♯1 全裸な女神のお姉さん


「良い湯だぁ~…………日本に生まれてよかったぁ…………」


 目をつむり、足からゆっくりと入湯すれば自然とそんな言葉が漏れてしまい、感嘆の長い息が湯気と一体化して空へ消えていく。

 冷え切っていた身体は足先からジンジンと痺れるくらいに温まっていき、徐々に腰を落として……やがて肩の辺りまで浸かったところで、そっと目を開けた。


「――おお、やっぱすげぇ景色!」


 目の前に広がるのは、一面真っ白になっていた山々。今もシンシンと粉雪が降っている。他に客はいないため、この景色も俺の独り占めだ。

 さすがに冬の山間部ともなればこのくらいは降るみたいだけど、地元の人の話によると今冬はこれでもかなり少ないほうらしい。

 山の麓に見える民家では今でもせっせと雪下ろしが行われていて、そういうものをニュースなどで見るたびに俺は雪国出身じゃなくて良かったと感じる。雪国出身だったらこんな温泉に入れるのも当たり前になって、ありがたみも薄れそうだしな。


「さーて、そんじゃしばらく絶景を楽しみますか」


 持参したタオルを頭の上に乗せ、ゆらゆらと立ち上る湯気の向こうに煌めく景色を脳裏に焼き付けるようにただただじ~っと見つめる。

 俺は旅先でもあまりカメラで写真を残すようなことはしないんだが、その代わりに、こうやって思い出を意識的に頭の中へ保存するようにしていた。

 不思議と、温泉に入りながらの景色は後で鮮明に思い返すことが出来たし、なんとなく写真より自分の頭の中で完結させる方がカッコイイ感じがするしな。


「ふぅ……けど、ちょっとハイペースにやりすぎたかー」


 すぐ近くの岩上にある脱ぎ捨てたジーンズのポケットをあさり、中からスマートフォンを取り出す。

 スケジュールアプリを開いて確認すれば、もうこの地域の『秘湯』もすべて制覇してしまった。

 これで日本は行き尽くしたことになる。


「あー……やっぱ制覇しちまったか……。嬉しいんだか悲しいんだか……」


 なんとも複雑な気持ちになりつつ、スマホをジーンズの上に置いて戻す。



 俺――藤堂奏多とうどうかなたの趣味は『秘湯めぐり』である。



 東京在住の十八歳にして高校三年生男子。

 両親と妹と犬が一匹の平和極まりない家庭に生まれ落ち、勉強もスポーツも平均的と、凡夫を絵に描いたような男児としてすくすく成長。

 将来やりたいこともないうえ、進学校に通う妹がいたから、ただなんとなくで進学して親に経済負担をかけるのも申し訳ないと思い、結果、浪人生という形で卒業することが決まっているこの冬。

 春には高校を卒業してプー太郎になってしまうわけだが、どうしたもんかな。

 つーかそんな簡単に夢なんて決まってたら苦労しないわけだし、ただなんとなくでどっかの大学に行っても良かったんだが、そうしてしまうとその先俺はただなんとなくでどっかの企業に就職し、ただなんとなく働いてただなんとなく生きていくただなんとなくの人生が待っていると確信出来てしまった。

 それはそれで幸せなのかもしれないが、しばらく自分の人生について考える時間がほしかったわけだ。いわゆる自分探しってやつか。中二か俺は。インドにでも行くべきかもしれん。


 まぁそんなわけで、この冬休み中に唯一の趣味と呼べる『秘湯めぐり』を続けていたわけだが……。


「……ま、やりたいことなんてねーよなー……」


 強いて言えば、この『秘湯めぐり』がやりたいことだったのだが、中学から高校の六年間で全国あちこちをめぐり、ネットや本なんかでいわゆる『秘湯』と呼ばれている温泉は今日ですべてめぐり尽くしてしまった。

 思えば高校に入ってから原付免許を取り、我が愛車『スーパーカブ50』のパールバリュアブルブルーカラー、通商ブルブルちゃん(脳内設定では♀)を中古で買ってしまったのが原因である。

 中古だが、清楚でよく働き俺に尽くしてくれるブルブルちゃんという自由な翼を手に入れてしまった俺は、週末やら長期休暇やらを利用して全国各地へ飛び回り、秘湯をめぐってはまた次の秘湯へ。格安民宿やライダーハウスや時にはキャンプ場を使ったりして、気ままに旅を楽しんでいた。

 まぁそのおかげで家族にも呆れられたり成績もやばくなったりはしたが、意外と担任の先生なんかは「渋くて良い趣味持ってるなぁ。そのフットワークを活かせる仕事を探してみるのもいいんじゃないか?」と協力的に俺の将来を考えてくれた。なかなか良い先生である。俺だったらそんな生徒はアホ扱いしてる。


 とまぁそんなことは置いといてだ。


「唯一の趣味まで制覇しちまったら、どうすりゃいいんだ……」


 たぶんため息をついたはずだが、湯気にまぎれてよくわからん。

 それは他の人にとっては大した問題ではないだろうが、俺には大問題だった。

 何せ、他にやりたいこともない俺はこの『秘湯めぐり』のために毎日生きてきたようなもんであり、それを制覇してしまったというのは、アイデンティティを失うようなもんなのだ。

 いや大げさじゃなくてマジで。

 だから最後の目的地だったこの山奥の秘湯に入っている今も、達成感よりは虚無感のほうが強い。


「他のやつって、みんな夢でも持ってんのかなー……。いや、なくても普通はとりあえず進学して就職して、それでなんとかやってくんだろうけどさ……」


 みんな当たり前のように進学して当たり前のように就職して当たり前のように家族を作って幸せになっていくが、それって実はすげーことなんじゃないかと俺みたいな秘湯バカの社会不適合なアウトローは思うわけである。いやマジ尊敬する。


「俺みたいなやつでも、なんか世の中の役に立つことでも出来りゃいいけど……。秘湯めぐりの本も、全然売れなかったしなぁ……。はは、運良くブログが本になって大金持ちか、なんて思ってたけど、甘い妄想だったよな」


 実は、趣味が高じて始めた俺の秘湯めぐりブログがついこの間奇跡的に本にしてもらえたのだ。

 それがまったく売れなくて、続きを出す話もなくなってしまった。素人のブログだし当然っちゃ当然だ。

 売れに売れて人気者になり、それを機に芸能界デビューしてバラ色生活とか妄想したもんだけど、一瞬で黒歴史になったわ。

 昔から妄想黒歴史はため込むタイプの人間なんだが、日本の秘湯めぐりを終えてしまう悲しみから、最近は異世界の秘湯めぐりなんて出来たら楽しそうだよな、女神様でも現れて転生とか転移させてくれてねーかな、なんて思ってしまうくらいには平常運転なわけである。


「異世界で秘湯めぐりかー。ま、冷静に考えたら魔物とかいるし戦争とか起きてるだろうしやべーよな。温泉浸かってる場合じゃねぇぞ。美少女エルフちゃんとかに会えたら最高だけど……はは、馬鹿馬鹿しい話だわ。な、ブルブルちゃん?」


 他に話相手がいるわけでもなかったので、背後の青い相棒につい話しかける俺。



「――うふふ。いいえ、とても素敵なお話だと思いますわ」



「――えっ?」



 まさかの返答に振り返る俺。

 ひょっとしてブルブルちゃんが喋るカブとなってしまったのかそれどこのアニメの話っすか――と一瞬思ったがそんなわけはなく。



 そこに立っていたのは綺麗なお姉さんだった。


 裸の。


 めっちゃ俺好みな素敵笑顔のお姉さん!

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