第19話悪意の権化

 物部三鶴の母親、物部紬が亡くなったのは彼が高校生になったばかりのこと。

ツムギはパートの仕事を早めに切り上げて、自転車に乗って家に帰っていた。

シャー、と自転車をこいでいる彼女はその軽快なペダリングとは裏腹にとても思いつめた表情をしていた。

「…………」無言で風を切って進む。

彼女の悩みの種は他でもない、三鶴の学校での状況だった。

自分の子供がどうやら「いじめ」とやらに巻き込まれているらしい。

最初に紬が三鶴の異変を感じたのは、三鶴の心が崩壊する3か月前。

家の三鶴の部屋から夜中にバチン、バチン! と何かが破裂したような音が頻繁に聞こえるようになったのだ。


「……? ミツル?」

一体何をしているんだろうかと彼の部屋の扉をゆっくりと開けると、

目をそらしたくなるような、ぞっとした光景が彼女の眼前に広がっていた。

自分で、

それも、全力で。彼の頭や頬からは切り傷のようなものができて血がぽたぽたと流れている。

一番可笑しいのは、彼がそれを黙々黙々とまるで自分で自分に罰を与えているかのように本気で殴り続けていたことだ。

怖くなって扉を狭め、じっと耳を澄ますとぼそぼそと蚊のような声で何かを話している。いや、何かと話している? うん?

急に三鶴は黙り込む。

落ち着いたのかなと思った紬は部屋に入ろうとしたが、

ブルブルブル!! っと三鶴の体が痙攣のように震えだしたのでやめた。

「‥‥………やる」

ふと声が聞こえる。

「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ!!!!!」


うがあっと彼はまた自分を傷つけ始めた。



 物部紬は冷静だった。明らかに人間として壊れ始めてきている自分の子供に

失望するでもなく、叱咤激励するでもなく、ただじっと見守った。

なぜなら、彼女自身精神を病んだ経験は豊富にあったし、その時からずっと

誰とも関わらず、助けも借りずに彼女は『彼女』というものを作ったので、

ことが彼にとっては一番安心できることではと思ったからだ。

まあ、独り言だって別に覚えがないわけでもないし。

そんなことを考えながら、ツムギは自転車のペダルを漕いでいた。

夜中の明かりが無い公道を自転車で走ると、不安でいつも何かが自分を見ているような気がしてくるのだが『その日』は月がとても綺麗で、不思議とライトを点けずとも視界には困らなかった

そんな中、邪悪な存在がいることに彼女はまだ気づかない。

邪悪な存在はニタあっと笑って、手と思しきものを彼女に向けて掲げ、

ぎゅっと握りしめた。


『ドクン』。

「え……?」

急に、紬の視界が赤くなった気がした。一瞬。

気にせずペダルを漕ぐと、今度は、、

『ドクン』『ドクン』。

今度は二度、視界が赤くなった。

ドクン、ドクンと自分の心臓が不規則な動きをしているのがわかった。

視界が赤くなるペースがだんだん上がってくる。

「と、ま、、らな、いと。」

紬はペダルを漕ぐ足を止めようとしたが、うまく止まらない。

そうこうしているうちに、真っ白な光が見えてくる。

大型トラックだ。

紬は冷や汗をだらだらとかきながら、なんとか車道からでようとするが体がいつものように動いてくれない。

こうしている間にも、白い光は刻一刻と近づいている。

嫌だ。嫌だ、嫌だ! まだ死にたくないんだ!! 

紬はまともに動かない体を無理やりあがいて揺らし、無理やりバタンと車道から歩道に倒れこんだ。やった。

ブオオオオ! と眼前まで近づいてきたその光からなんとか逃げ、

するとキー――というブレーキ音が聞こえ、光のほうを見ると、、

自分が倒れこんだ歩道に、大型トラックが突っ込んできた。

「ぇ」

ズガッと紬の体が宙に舞う。


 辺りに血をまき散らしながら、紬はコマ送りのように空を飛ぶ。

その時、彼女の二つの目がとらえたのは、


ニヤァと気持ち悪く笑った、真っ黒な化け物だったのだった。



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