第18話何もないなんて言うなよ。

 『夢の扉』という場所がある。

そこは魔界に生きる魔物たちからするところの、現世うつしよとの境界線と言われている場所だそうだ。

だが、誰もここを通れない。通ろうともしない。

簡単な話だ。ここを通るにはいくつかの条件がいるからだ。

 そして、それはほとんどの魔物には満たすことができない。

遥か昔、人間に恋をした一人の堕天使がここを通ったことがある。

だが。『彼』は……。いや、それはまた後で話すことにしよう。


 今、その場所に一人の青い魔物がいた。

鬱蒼とした森林を抜け、数々の魔物たちをかわしながらネルはまで

たどり着いた。

「はあ、はあ。ついた、よな?」

ネルは長旅でくたくたになりながら一つの『扉』をじっと見つめる。

巨大だった。ただひたすらにその扉は大きく、重い。

ぼんやりと蠢いている。


恐らく、ここの空間は魔法の力で歪んでいるのだろう。

魔界にはこのような場所が少なからずあるのだ。


 特異点的に、次元のはざまともいうべき場所はここ以外にも存在しているらしい。


待ってろ。浮浪人。

少女はニタっと無理やり笑みを作って、それを開こうとした。が、

当然のようにびくともしなかった。

ぐ、、と力を両腕、両足に込め、


「ウルアああああああああああああああああッ!!!」


少女の立つ場所に彼女自身の力によって風が吹き始める。

地面が割れ、辺りは空間そのものが震えているようだった。

ネルの指から血がたらたらと流れ出してくる。少し開いた。

このままの状態では指が壊れてしまうだけで終わる。

もっとも、指がちぎれたところですぐに再生するだろうが。

だが、これではには行けない。


案の定、ネルは扉を開けることに失敗した。


♢♢♢♢

開け開け開け開け!! と少女は想いながらもう何度目になるか分からない挑戦を行う。

そして、また彼女の指が壊れることで挑戦は中止される。


 もうどれくらいこうしているのだろうか?

少女は涙を流しながら『夢の扉』に手を当てている。

『化け物には行けない場所』と言っていたっけ?


 ミツル。いい加減開けさせてくれよ? 

あたしと迷ってくれるんじゃなかったのか?

いっしょに、生きてくれないのか?

なあ。


「なあ!! なんで開かないんだよ!!? 開けてくれよ!!」

一人叫んでも、答えるものはいない。

そうこうしているうちに、雨が降ってきた。

ポツポツと、徐々にネルの体を水滴がぬらしていく。

雨はだんだんと強くなりだして、土砂降りになってきた。

まだ、私は三鶴のことを何も知らない。

でも、失いたくはなかった。

この気持ちが一体どんなものなのかもよく分からないが。

私の中で、あいつっていう存在が、どれくらい大きなものになっていたのかってことは分かるんだ。

 ミツルが、私の退屈を埋めてくれていたんだって、今は分かるんだ。


疲れ果てたネルは、

その日、激しく降る雨の下で、眠りについた。

そして。



とても不思議な、夢を見た。


♢♢♢

 ……。

 ……? あれ?


 誰かの、叫ぶ声が聞こえる。

『夢の扉』の前で眠っていたはずが、周りが見知らぬ風景で囲まれていた。

景色が朧気に見える上に、目に映る建物は全く見覚えが無い。

有りとあらゆるものがぼやけていて、ただ、周りを歩いているのが

魔物ではなく、人間だということだけはわかった。

「人間界?」


目の前を流れる景色が、どんどん変わっていく。

まるで、誰かの記憶をたどっているような……?


「ここは……? 」

周りに何かに使われているのだろう広い円形の砂場が見えた。

近くを見るとまた大きな家のような建物がある。

中にたくさん人がいるみたいで、行ってみたいなとネルは思った。

声が聞こえている。どうも、あそこは「がっこう」とかいうらしい。


そこに向かって少し歩いて、入り口で遊んでいる少年に気が付いた。

誰かに似ている。

「なあ、お前……」

そう語り掛けようとしたところで、また景色が変わった。


 夜だろうかー眼前は真っ黒に染められている。

陰気な声が聞こえる。


「良かったよ。俺は……良かったんだよ。十分、幸せだった。

大切なものもたくさんもらった。愛情をもらった。不満はない、あるはずないんだ。俺は幸福だったんだ。不幸じゃない。ずっと助けられてきたんだから……」


ネルは、声の主を見つけた。

小さな部屋の隅で、一人うずくまって座っている。


無茶苦茶に雑に切ったような髪の毛に隠れて、

その顔は見えない。

だけど、

「ミツル。……何してるんだ? 帰ろ?」

ネルが、彼に手を伸ばすと、


「……無理だ。俺は、もう、強く、無い」

「……」

「……弱い俺じゃあ、誰かの、役に立てない」


ネルは、息をのむ。

そんなことを考えていたのか。


「俺は、空っぽだ。」

悔しそうに、少年は独りごちた。


「……かもしれない。」

ネルは一度だけ、少年に首肯する。

だけど。


「だけど、お前は、空っぽなんかじゃないよ。ミツル。」



彼女の声にぴく、と反応して、ミツルは頭を強く抱え込み、

悲痛に満ちた、叫び声をあげた。


「うゥアあああああああアアアあアアアアアアあああああああああアアアッ!!」

ネルは、ミツルが何で泣いているのかが分からなかった。


「ミツル?」

語り掛けたが、反応が無い。

「なあ、ミツル?」

今度も反応が無い。

「……おいこっちみろ」

ミツルはこっちを見ない。


「~~~~アア!! もうしょうがねえ奴だなお前は!!」

ネルはミツルの方へ自分から近づいて、

一人ブツブツと文句のような言葉を垂れ流している三鶴を、


バキッ、と上から叩きつけるように殴りつけた。

「があッ!!??」

ミツルは、頭部から叩きつけられた痛みに悶える。


「痛ってえ……誰だ、、って。え?」

ミツルは、なんで私がここにいるのか分からないというように首をかしげた。


「え? じゃねえよ!! それでも男かてめえは!!」

ネルはこめかみに血管を浮かべて、。彼をしかりつける。


助けに来たはずなのに、ネルは本気でイライラしていた。

情けない。

「情けねえ!! お前は、本当になんでそうなんだよ!? ガキでもねえのに。

なんでそんなことばっかやってんだ!!」


ネルは自身の青髪を、静電気のようなものを回しながら激昂している。

訳が分からないけれども、気持ちが、、滂沱と押し寄せてくる。


「や、やめとけ!! ここでお前が怒ったら……!」

「何だ?」

「ここの世界の秩序が壊れる。」

秩序?

「私が? 怒ったら? ここが崩れるんだな?」

ネルは彼の言葉を聞いて、ニヤ、と笑った。

ミツルは、まだ痛む殴られた頭に手を乗せて、そんな彼女の考えていることを察する。

「いや……! 待て! 俺の話を聞け!! 夢の扉が作った世界を無理やり壊したりしたら、ここに入ってきたお前だってただじゃ済まねえんだって!」

「アタシ? アタシは大丈夫だよ。ほら、アタシ不死身だから」

「……そうじゃない! ここでこの世界ぶっ壊しちまったら、魂そのものが、消えちまうかもしれないんだ!」


ネルは不思議そうな顔になる。

「魂? なんで?」

「……ここは、俺の記憶の影響を受けている。それに、ここは魔界の魔力が集まってるところだ、壊したらお前だって!」

本来魔界というのは、人間界の想像力によって生まれたものだ。

そこに、ミツルという元人間の心の影響を強く受けてしまうようなことがあれば、


夢の扉に集まっている魔力が、暴走しかねない。


「どうでもいいよ」

ネルはぴしゃりと言い張る。

「お前を連れてここを出てやる。アタシは、死ぬかもしれないくらいじゃあ、自分の決めたことをやめる気はないね」

「……お前、なあ!」

「アタシはお前のそういうところ、大っ嫌いだ。」

嫌いだと言われて、ミツルは臍を噛むような顔になる。


「けど、さ?」


ネルはこれでもかとばかりに笑って。

「アタシは、お前みたいな馬鹿な奴、嫌いじゃねえんだよ」


ミツルは彼女の言葉に息を詰まらせた。

「……俺は、お前から、そんなこと言ってもらえるくらい、良い奴じゃない」


「いーや? 違うね。お前はいい奴だよ」

ネルはまたもやすぐに言い返した。

まるで、最初から、彼が言いそうな言葉を予想していたかのように。


「お前は、ただ生きるってだけで苦しむくらいには、

 生きることに必死なだけの、アタシの仲間だ。」


「……!」

「お前だってわかってるだろ? なあ、アタシに、手を差し伸べてくれたお前なら。……生きるってことは、誰かと一緒にいることだ。」

「……」

「味方なんかいらねえか? 自分ひとりだけでどうにかやってけるってか?

下らねえよ、ミツル。お前は、最初、そんな弱くなかっただろ? ここに来るまでの間に、いや、今だってそうだ。お前の仕草が、声が、アタシに教えてくる。……お前は、優しくて、良い奴だ」


こうしている間にも、彼の感情が生み出している幻想が、辺りを包んでいた。

「……ん? あれは?」

何人もの、カタチさえ朧気な化け物がこちらに向かってきている。


その中の一人が飛びかかってきた。

手をハンマーのような形状にして両手で殴りかかってきている。

ネルは、それを片手で受け止めた。

そのまま、受け止めた片手に力を込めて。


「取り込み中だ、消えろッ!!!!」

空気を切るように、薙ぎ払った。

その衝撃で、『それ』はバラバラになり、消滅する。

まだ、何十人も、同じやつが向かってきていた。

ギリ、、と歯ぎしりして、

ネルは、ミツルに目配せしていった。

「少しだけ、本気を出す。……自分の身は自分で守れよ、ミツル」


両手から、電磁波のような青い魔力を発する。

小さな体躯を、雷のようなものが駆け巡った。

「ちょっと行ってくる」


♦♦♦

たった数分で、さっきまでの化け物を倒したネルは、

ミツルに笑いかけている。

「お前は。。強いな、やっぱり」

「ああ、アタシは強いぞ? 多分この世界で一二を争うくらいには」

ガハハ、と豪快に笑う彼女は、

「さあ、一緒に帰ろう」

「……いいのか? 俺みたいな奴が、お前と一緒に行って」


「当たり前だろ。アタシがお前と一緒にいたいんだから。

お前に拒否権はないぞ?」


ミツルは自身の方の力が抜けるように、自然と、

笑みをこぼした。


「そうだ! お前は笑ってりゃいいんだ!」

行くぞ、ミツル。

アタシたちの旅は、まだ終わらせない。

アタシだって、生きることが怖いんだからな。

いつか死ぬお前が、怖くないはずないからさ。

「夢の扉。ここのことは昔から知ってるんだ。良いかミツル? 今からアタシの言う通りにしろ!」

肩を抱えて、ミツルを起き上がらせる。


「何を」

「目閉じろ」

言われた通り、ミツルは瞳を閉じる。

すぐに、何故か自分の唇に暖かい感触を感じた。

「っ!?」


離れて、ネルは少しだけ恥ずかしそうに向き合う。


「今、お前にアタシの魔力をやった。一時的にだが、お前はアタシと一部だけ存在を共有した」


すると、扉が、ひとりでに開きだした。

「条件は満たした。あとはお前が来るかどうかだ。」


目を細め、化け物と呼ばれた少女は続ける。

体を前に傾け、青年の髪を優しく撫でつける。

「もしも、お前の存在が誰かの迷惑になるって言うなら」

ネルは自分の額を青年にくっつけて、

「その役目は、あたしが買ってやるよ。」


世界が広いことを、あたしがお前に教えてやるさ。

だから。

「あたしと、、生きてくれ。」

これ以上の、言葉は要らないはずだろ?


瞬間。雷が落ちたような衝撃が走り、世界が光に包まれた。


♢♦


 ネルが目を覚ますと、雨はやんでいて、有ったはずの扉も消えていた。

いや、何故か景色が動いている?

ん?と首を動かすと、見慣れた青年の顔が見える。

容姿は魔物のものに戻っているようだった。

欠けたまま、か……。

「……起きたか。」


と言いはするが、こちらを見ようとしない。

「ああ。ご丁寧におんぶなんかしてくれてんのか。」


「…………」


「あ?」


「……ぁ」


「?」


はーっと息を吐いた三鶴は微笑んで、


「例は言わねえ」


「……ケケッ、いや言えよそれくらい」

くつくつと笑って、おぶられながら歩く。


こいつに助けられてよかった。


 と、素直じゃない二人は互いにそう思った。


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