第25話忘れてはいけないこと
「ミツル。あなたは、もう人間には戻れない。」
ツムギは三鶴にそう断言した。
心底、残念そうに。悲しそうに。そう言った。
同じテーブルに座っている三鶴は、彼女の話を聞きながら、ふと思う。
どうして俺はまだ生きているんだろう?
「知ってるよ。俺は怪物だから。」
口に出してもしょうがないと思い、心の中にしまっておいた。
「でしょうね、貴方ですもの。分からないはずがないわね。」
「それで、俺は、どうしたらいいんだ?」
三鶴はツムギに問いかける。
「俺は、あんたの一部で。あんたは俺の一部だ。」
そして。
「そして、互いに受け入れられない。」
「私も、貴方を受け入れるつもりはないよ。」
ツムギは溜息を吐きながら、同意する。
「だから、もうここで終わらせましょうか? ミツルちゃん。」
「……ああ、もう、終わりにしよう。もう、疲れたから。」
二人は、すべてをわかりきった顔で、同じ結論を出したようだ。
「うん。……それじゃあ。」
じゃあな、俺。
さようなら、私。
ツムギは、パンドラの匣をすべて解放し、
三鶴はそれに答えるかのように、それを、
拳で受け止めた。
♦♦♦♦♦
辺りに暴風が吹き荒れる。
二人の息遣いが聞こえてくるように。
「弱者への裁き《ディストラクション・ハート》!!!!!!」
その詠唱とともに、紬の周りに不可視の『悪意』がまとわりつき始める。
三鶴はそれを回避しようと、後ろに飛び引いたが、
「あなたは、『これ』からは逃げられないよ。」
地面から伸びた影に、体を掴まれた。
「うあ……!」三鶴は抵抗できず、振り回された、が。
ふ、、、!と、自分の体を右回りに回転させ、影の力を分散させた。
「…、あははは!!」数秒で自分の目の前に迫ってきた三鶴を見て彼女は笑う。
眼から血を流しながら。
ツムギは左手を強く強く握り、持っていた箱の中に突っ込んだ。
「殺意の
詠唱とともに、三鶴に向かって、巨大な悪意の手が伸びる。
これでは回避できない。ミツルはそれに対して、
「う、、、うがあああああああああああ!!!!!」
自分の左腕をわざと、その拳にぶつけ、掴ませた。
ツムギとの距離、およそ3メートル。
「があああああああああああ!!!!」
ミツルは掴ませた左腕を軸にして、
体を、回した。
片腕を犠牲にしたのだ。
ツムギはそれを見て、呆然とした。
どうして、よわいくせに。頑張るのよ。
バキボキと骨の折れる音が聞こえる、が。
肝心のミツルは激痛にもひるまず、ツムギに近づく。
あと、、1メートル。
眼や鼻から血液をだらだらと流しながら、ツムギも、
「気持ちが、悪いよ!!!」
何もまとっていないただの人間の拳を彼にぶつけようとする。
ミツルも使える右腕を強く強く握りしめて、彼女に繰り出す。
二つの拳が交差した。
ツムギの拳はミツルの頬をかすめ、
ミツルの拳もツムギの首をかすり―――――!!
何故か、彼の腕だけ、彼女の首を回り、
ツムギを、抱きしめた。
「か、、……あ、れ、、、?」
何を、しているの? あなたは。
ミツルは、彼女を抱きしめたまま、その優しい瞳から涙を流している。
「ごめんなあ……、かあさん。」
「!」
彼の言葉を聞いて、ツムギは目を見開き、
彼女の体を締め付けていた力がほどけた。
どうして。
「知ってるよ。あんたの、考えそうなことぐらいわかる。」
彼は、とうに限界を迎えているツムギを残った右腕だけで抱える。
彼女は脳裏に残った疑問に答えが出せない。
どうして、
どうして、
どうして。
「あなたは、どうして、そんなにがんばれるの? 三鶴ちゃん」
生きる意味だって、無いんでしょう?
「かあさんが、いて。……ネルがそばにいてくれたからだよ。」
彼はずっと、ずっとずっと話したかったことを伝える。
「こんなことを言っていたよな?」
傷の痛みをこらえながら、彼は言葉を紡ぐ。
「『私たちは生きなきゃいけないから生きているんじゃない。』」
三鶴はかすかに残った、物部 紬の言葉を口に出す。
「『生かされているから、生きているんだ。』」
「…………」
「あんたが、俺に教えてくれたことじゃあないか。俺の、願望さん。」
俺の、夢をかなえてくれてありがとう。
あんたは、
「あんたは、死んだ物部紬の、魂に、俺の悪意が入り込んだ存在なんだな?」
「…あ、っは。ハッハッハハハハハハハ!!!!」
そうかあ。
そういうことかあ。
「よく、くく! わかったわねえ? ミツルちゃん! ふふふ!」
ツムギは笑いながら、最後になるだろう、涙をぼろぼろと流す。
「忘れちゃ、いけないものは、ちゃんと。わかったのね?」
「ああ。思い出したよ。」
少年の言葉を聞いて、彼女は首肯し、
「じゃあ、もう、大丈夫ね。」
あなたの中に、もう、曇りが無いのなら。
「じゃあ、、、、あの、《悪意》に立ち向かいなさい。」
あなたなら、きっと大丈夫だから。
「悪意? 『何のこと』だ?」
「……今は言えない、ただ、」
ツムギはぼそりと呟いた。
「もうすぐ私は私じゃなくなる。あの化け物に、飲み込まれる。
今日が、貴方と話をするための、最後のチャンスだったから。お話できてよかったよ。」
本当に、良かったよ。
「……じゃあ、そろそろいくね。三鶴。」
影が、彼女の体を飲み込んでいく。
「おい、!! 待ってくれ!!」
「せいぜい、あの子の味方でいなさい。くれぐれも、悪魔に飲み込まれないように。最後のアドバイスよ。……あなたは強くなんて、ないんだから。」
その一言を残し、ツムギの体はすべて影の中に入り、
たった数秒で、ツムギの体は消え去ってしまった。
抱きしめていた三鶴の右腕がから回る。
「……うるせえや。知ってるよ、それくらい。」
勝手にいなくなってしまったツムギをよそに、彼は覚めた目で、独り言を呟く。
すると、彼の後ろから、かつかつと景気のいい足音が聞こえてきた。
「にゃはははは。 母親離れはもう終わったのか? 」
そう、一部始終を見ていたであろうネルは、彼に言葉をかけた。
「ミツル……腕、よかったのか?」
「……、、ああ。もう、ここですてるつもりだった。」
「……ふん」
いつか来る終わり。それはもう、すぐそばまで来ているのだろう。
分かっていたふりをしながら、分からなかったふりをしながら、
血へどを吐いて、「終わり」に向かうのだ。
そうやって、
また、俺たちは、強がって生きていくのだろう。
二人でいることにだって、生きる意味があるみたいだから。
きっと、最後まで。
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