生きる意味のない俺が、死にたい勇者に出会ったら。

黒犬

第一章 二人の化け物

第1話欠落した男

 長く伸ばした前髪が風に揺れる。

 月の光をその体に浴びながら、体中を走る痛みを強く感じた。

 だが、体の痛みよりも、何かを失ったという喪失感の方が大きかった。

 それに何もできなかった、無力感、孤独感、虚無感。

 それら全てが彼を内側から蝕んでいた。


 たった今さっき、彼は彼の戦いを終わらせてきた。

 本当なら、やりたくもない喧嘩だった。


 風が強く吹いて、もう使えないだろう小汚い制服をなびかせる。

 制服は所々破れていて、元々あったボタンでさえほとんど外れてしまったようだ。

 体のあちこちに痛々しい痣があり、歩くのもやっと。


 「寒い……」

 味方は初めからいなかった。

 

 何故か、彼は昔から喧嘩だけは強かった。

 特段スポーツセンスがあるわけではない。だが、単純な力が強いのだった。


 ただそれでも、やはりこれは苦しい。

 彼は怪我したところをさすりながら思う。

 体のいたるところにあざができて、肩も上まで上がらない。

 何しろ相手が大人数だったのだから、当たり前ではあるのだが。

 


 そうやって彼、物部もののべ 三鶴みつるは一人で夜道を歩いていた。

宵闇に浮かぶ月を眺めると、今日はやけにきれいに見える。

まるで、とても高い場所から自分の愚かさをせせら笑う神様みたいに、

遥か下にいる自分を見下しているようだった。


 それにしても。


 これからのことを考えると本当に辛くなる。

暴行を起こして退なんて、どこも受け入れてくれないだろう。

「あぁ、くっそ、いてえ……」


そうこぼす三鶴の体は、誰が見てもボロボロだった。

片腕は脱臼しているのか、ブランと垂れ下がっていて右手で肩口を抑えている。


 彼がそうやって、考え事ばかりをして、

 ずっと頭上の月を見ていたせいかもしれない。


 物部は自分の足元が少しずつ変化していることに気がつかなかった。

彼も彼で、もう何日もまともに寝ていないのだ。ぼうっとしていて、


「ん?」


月明りに照らされた家のコンクリートブロックや柵の影が

不自然なくらいに黒ずんでいる。

違和感を感じ、自分がこれまで歩いてきた道を振り返る。

「……?」


何かから見られているような気がした。

「……」


何か、変な気配がする。

足を止め、痛みに耐えながら身構える。

「……誰、だ? 誰か、いる、のか」



暗がりが生き物のように映る。

何かが、いる。


『今でも死にたい?』


重い首を持ち上げる。誰だ?

彼がその声の元をちゃんと認識する前に、その時は近づいていた。


世界が暗くなっていく。視界が、暗くなっていく。

暗い暗い暗い暗い暗い暗い。

目が開かない。体が動かない。

ついに目も見えなくなったのか。

それとも、自分の頭がもう駄目になったのか。

無理をし過ぎたか……。


暗がりの中、少しだけ高い声が響いた。


『ねえ、もう君は死んじゃうんだけどさ。今から死にゆく君に、一つだけ聞きたい。これまでの短い生涯で、君が生きた意味ってあったと思う?』


どこの誰だか知らないが、そんなの決まってるだろう。

あるわけが、無い。


『……そう?』

そうだよ。

上手に生きられなかったのは、俺のせいだ。


『……』

『馬鹿だね、君は』


その時。

ゆらゆら、ゆらゆら、と。

大きな大きな、のようなものが彼の体を覆い隠したことを、

彼は気が付くすべもなかっただろうと思う。



 と、つかの間にその巨大な影は彼を『掴み』、


 物部 三鶴を飲み込んだ。


「―――――!!」


何の前触れもなく、何の前兆もなく、

俺はその日、「下に落ちた」。


♦♢♦♢



「----。あ^^^==~~!!」


声が聞こえる。何を言っているのかわからない。

なんだろう?誰かが自分の体を揺らしている。

「だ、れ、だ……?」


かすかに動く瞼を開くと、目の前に女の子がいた。

「---!?~~~~あ==」


日本語じゃないけど、なんて言ってるんだろうか。分からない。

少しだけ動く体を持ち上げていくと少女はニコニコと笑ってこちらを見ている。。

「あの、君は誰、だ?」


「うん?」とその子はああ、と納得したような顔をして

うんうん、と頷いてから、俺の手を引いてどこかに行こうとしている。

ああ、頭がズキズキする。というかここ、どこだ!!??

木造の古臭い部屋の中にいるようだ。

だが、置いてあるものがなにかおかしい。模様も竜をあしらったものがほとんど

を占めている。

 「……??」 

どこなんだここは。

俺が少女に気を向けないでいると、少女は「はあ、」と嘆息し、

三鶴を動かすのをあきらめると、すぐに一人でどこかに行ってしまった。


 頭が重い……。だが、なんとなくの疲労が今は心地いい。

少ししてから少女が水晶を持って俺の顔に近づけてきた。

すると、急に、それが不思議な輝きを発し始めた。


 ガラスのような、いやもっときれいな何かでできているそれの中に

宇宙を思わせる放物線がいくつも揺らめいていた。

ずっとその光に見とれていると、頭の中に情報が流れこんできた。

「う……えっ!!」


衝撃が走ったように、頭の中の回路が「変わった」間隔がある。

目の前で相変わらずニコニコしている女の子は口角を上げて、

「おはよー!!」


「え」


「おはよー!!」


「は」


「お・は・よ―――!!!!」


耳がびくびくとした。


そんな声量で言うことじゃねえだろ。


「ってか、俺の言葉わかって……?」


「ん? ああいや、あんたのほうにわかってもらったんだぜ? 魔境石の力で。」


「魔境石?」


「っていうか……」

少女の風貌も人とはだいぶ違う。

青色の、腰まで伸びた柔らかそうな青色の髪に、少し焼けた肌。

瞳の色が、優しそうな黄色だし、それに……、


小さな角が二本、頭に生えている。

「ここ、は……どこ、なんだ?」


「ここ?おいおい、あんたなあ、どっかで頭でも打っちまったんじゃねえの?

いや、そうか打っちまってんのかなあ?」


怪我人だもんな、と。やれやれといった風に頭を振って。

ヒトではないだろう、少女は言った。


「ここは」


魔界だぜ。


その少女の声にかぶさるように、


彼女の後ろに見えた鏡には、


怪物のような、自分が映っていた。







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