第16話泣けもしない。

 傷つけたくない相手が勝手に傷ついていく。


 それは、俺にとっては至極当たり前の因果関係だった。


正直に生きようとした自分がいた。

正しく生きようとした自分がいた。

後悔をやめたい自分がいた。

すべてのことに優しくなりたい自分がいた。

すごく単純な気持ちのはずだった。

誰かに泣いてほしくない。喧嘩してほしくない。

辛い思いをしている人がいるなら、苦しんでいる人がいるなら、支えてやりたい。

そうやって誰かの助けになりたかった。


 物部三鶴は、弱い人間である。

「弱くなった」と言われて、弱く生きてきた。

強くない自分に、これ以上、生きる価値があるのか。なんて、そんなこと

言える資格だってないっていうのに。

「もう、何一つ、残ってないな。」

いや、はじめから、何も無かったのかもしれない。

俺の悪い癖だ。全部、調子がいいのは最初だけで。

『誰かを助けたい』? 違う、の間違いだろう。

「俺はまた……! 分を弁えなかった……!!」


ネル。ネフィリムの少女。ずっと一人きりで生きてきた、魔物。

彼女に言った、励ましの言葉は元々、自分が言ってほしかった言葉でしかなかったのだ。

一緒に、生きてくれる人がいなかったから。その苦しさは誰よりも分かった。

だから、一緒に生きようとした。でも、

俺は、こんな世界に来ても、姿形が変わっても、『人間』にはなれなかった。

誰かを助けたい、愛したいと思うことができても

他人からの悪意には耐えることができない。

それどころか、自分から悪意を他人にぶつけてしまうのだ。

自分ばかり満たされて、大切な人のことも考えなかった。

それが、物部三鶴の犯した罪だった。

どんな世界に来ても、忘れちゃいけないものがあったはずなのに。

「俺には、もう物語は紡げないみたいだ。」

薄暗い中、一人だけの世界で男は戯言を呟く。


 死にたい勇者は、今どこにいるのかな……。



 「ミツルを、、どこにやった! お前、いったい何をしたんだ!!」

今さっきまで三鶴がいた場所で、ネルは女に吠えた。

女は寂しそうな表情で、

「あなたの行けないところよ、化け物には場所。」

「ごまかすな! あいつがあたしを置いてどっかに行くか!!」


腹の横に黒々とした箱を抱えたまま、女はネルをあざ笑う。


「……まだ夢から覚めてないのね。あなたは、本当に愚かだわ。」

「お前の言うことなんか聞くもんか! あたしは愚かなんかじゃない!」

人間みたいなこと言うのね、と静かに呟く。


「ミツルちゃんの影響かな? 全く、余計なことしてくれた。あの子も」


女はネルの言葉に冷静に反応する。

「……覚えてるぞ、お前! アタシに『何かした』匣持ってた女だ」


「あらあら。覚えてくれてたんだ。さすがネフィリムね、頭いいわ」

「茶化すんじゃねえよ! それから、、アタシはもう『ネフィリム』なんてもんじゃねえ!」

「はは、じゃあ、なんだっていうのかしらあ?」

女、ツムギはせらせら笑いながらどす黒い匣を袖から出した。

「計画はもう、最終段階にまで進んだわ。あとは、、貴方が本物になってくれるだけで。」

「させるか!!」

ネルはいち早くツムギの元まで飛んで、箱を奪おうとした。

「ふふ!」

だが、匣の中身のほうが早くネルを掴んだ。

「『奈落ならく!!』」

その詠唱と同時にネルは猛烈な勢いで地面に叩きつけられた。

辺り一帯に土ぼこりが舞い、風でそれらが消えかかった時、

「ん?」

目の前に誰もいない。


ツムギは少し困惑した表情になって、寒気を感じた。

「!」

急いで後ろを見た瞬間、もうネルの黄色く燦燦と輝く瞳がまじかに迫っていた。

「『地割り』!」


周りの地面が一気に

その光景を空に飛んで避けたツムギはへえ、と

「そんなことできたんだあ!? おもしろいわね!」

ツムギはニヤニヤして、

「あなた、力をセーブしてたんだ。わざと、被害者を減らそうとして。」

あの男と関わって、そのたがを外したのか。


真っ青な髪をなびかせながらじっと佇む少女は、見るものをして神々しいと言わせるほどに、人間離れしていた。

「本当に、ミツルちゃんよりよっぽど強いのね……、!?」

少女の姿が一瞬にして消えて、

ヌッと、女の目と鼻の先にまで

「違えよ」

と言って女をズドンと蹴って地面に叩きつけた。


 衝撃で大きなクレーターができ、女はそこに沈んでいる。が、

相変わらずその気持ちの悪い笑みは消えていない。

 ネルは、怒りを込めた瞳を女に向ける。


「ミツルは、最初あった時から、、だったよ。強いとか、弱いとかそんなもんにアイツをあてはめんな。」

血を流しながら、口だけが動くのが分かる。


「……たった、一年ちょっとの付き合いでそこまで?」

「時間じゃない」


「……人間らしさが、出てきたのは、それも。」

三鶴ちゃんのせいか。

「……それなら、もういいや」

「……あ?」

 そう言うと女は急に狂気に満ちた眼を見開いた。


! !!」

そういうと、彼女の体を影が包んでいった。

「おい、待て!」


遠く離れていく女に呼びかけたが、


「あなたの大事な三鶴ちゃんなら、夢の扉に行けば、会えるよ」


暗闇に取り込まれていく間に、その言葉だけを残して消えていった。

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