異変
幾度となく響いた剣戟の後――
指し示したように数歩距離を取って、俺と姉さんは二人同時に剣を下げる。
心地よい疲労が、全身を包んでいた。
「――嗚呼、気持ちよかった」
さっぱりと、けれどどこか影を滲ませて、姉さんが微笑む。声は明るいが、言うほど元気ではない様子で――でも、俺はそれに気付かないふりをして、笑みを返した。
「久しぶりですね、こういうのは」
「本当にな。だが、休憩と呼ぶには少々時間を取りすぎてしまった。後半は少し急がねばな」
「そうですね」
苦笑して、お互いに剣を収める。片斬として、ずっと張り続けていたものが落ちたようで、姉さんもまた苦笑を浮かべていた。
姉さんが、小さく息を吐く。そして、改めて俺を見た。
「誠治」
「はい」
「私は姉として――片斬として、神木・誠治を認め、受け入れよう」
「――!!」
「共に戦ってくれるか」
「はい! 弟として、如月隊隊員として、どこまでもお供します!」
「ありがとう、誠治」
心から、姉さんが笑って――
――本が一冊、書架から零れ落ちた。
「「――ッ!!」」
一瞬で空気が変わり、姉さんが瞬時に片斬の顔に戻る。その隣で、俺もまた剣の柄を握った。
散々剣戟を繰り広げたが、お互いに殺意のない剣だったのだ。アニスの魔法はまだ効果を発揮している。
では、あの本はなんだ。
「アレは一体――」
「斬れば解る」
「待ってください、姉さん。この本……」
鯉口を切る姉さんを制止して、俺は警戒を緩めぬまま本へと近付き、そっと拾い上げる。
その背表紙には、予期せぬものが付いていた。
「地下二階の管理ラベル……? どうして二階の本が、あ、うわっ、」
手の中で本が跳ね上がり、ぽん、と白煙を上げて、白い鳩へと奇術のように変化する。それが羽ばたいて飛び立とうとした瞬間、姉さんの刀が煌き――二つに斬り伏せられた鳩が、ばさりと紙の束になって落下した。
神木流抜刀術である。流石のキレに感動しつつ、紙束を拾い上げて確認すると、確かに地下二階のラベルが付いていた。
「これは……アニスの、魔女の浄化が解けている、ということですか?」
「そんなはずはない。浄化した本が再び魔物化した事例など、今まで聞いたことがないからな。……だが、浄化したとはいえ、元は魔物を封じていた本だ。地下十階の濃密な魔力に当てれば、その力が復活するのかもしれない。魔女様に報告せねばな」
「すぐに戻りますか?」
「――いや、今は検査を優先し、他に異変がないか確かめよう。こうして会話していれば、魔女様の耳に届くからな」
「そういえばそうでした」
「さっきは恥ずかしい話をしてしまったが……、――ん?」
「姉さん?」
「……今、何か妙な音がしなかったか?」
音? と首を傾げつつ、耳を澄ます。
子供の笑い声のようなものが、微かに聞こえた。
「「…………」」
姉さんと頷き合い、俺もまた剣を抜き、書架の間から外に出る。
様子を探る、という判断は、俺達にはない。何かあれば斬るだけであるし、何かが起きては不味い場所なのだ。そして既に、異変は起きている。
笑い声が響いているのは、南区画の中央広間辺りか。姉さんの姿が掻き消え、俺もその後を追った。
見えてきた広間には、五歳くらいの少年と少女の姿があった。
二人は書架から本を引っこ抜いては、積み木のようにして遊んでいる。
一見すると微笑ましいが、二人が纏っている魔力は魔物のそれだ。一目で人間ではないと解る。
何よりここは、帝都大図書館地下十階。無垢な少年少女が迷い込める深さではない。
二人がこちらに気付くよりも早く、俺達は接近。
姉さんが少年の首を刎ね、俺もまた少女を両断する。
だが、予期せぬことが起きた。
床に落ちた頭と、二つに割れた顔が、ニタリと口端を吊り上げ――内側から、黒い霧となって弾け飛んだのだ。
「「なッ?!」」
魔物は斬れば紙になる、と完全に思い込んでいたから、俺も姉さんも反応が遅れてしまった。
その一瞬が、致命的だった。
黒い霧が、床の本を飲み込むように広がっていく。
と同時に、床に積まれた本の表紙が次々と開き始めた。
「魔物化を誘発するつもりか!」
「くッ!」
横薙ぎに剣を振るって霧を払い除けるが、遅かった。
ある本は魔法陣を展開し、
ある本は空へと浮かび、
ある本はどろんと煙を生み――
耳をつんざく獣の咆哮と共に、魔物の群れが溢れ出した。
「誠治!」
「はい!」
もはや一刻の猶予もない。
紅い毛の大熊、二つ首の大蛇、腐臭を放つゾンビ犬の群れ、機械の巨象、灰色鎧の剣士など、統一性のない、けれど明らかな殺意を放つ魔物達を斬り伏せていく。
そんな俺達の焦りを嘲笑うかのように、再び子供の笑い声が響き出した。
彼らは死んでいなかったのだ。次々と現れ続ける魔物の向こうで、広間の床に巨大な魔法陣を展開していた。
「姉さん!」
「解っている! しかし――!」
魔物の数が多すぎて、魔法陣に近付けない。
その間に、少年少女と魔法陣がふわりと空中に浮かび上がり、光り輝くハンマーのような形を作っていく。
「ま、まさか」
果たして、勢いよくハンマーが振り下ろされ――巨大なそれが床を打撃した瞬間、地面が物理的に波打った。
大図書館は地震にも耐える作りになっているが、こんな揺れ方は想定していなかったのだろう。次々と巻き起こる波に、書架が大きく揺れ、本が滝のように零れ落ち、真っ直ぐ立っていることすら出来なくなる。
ハンマーが床を叩く毎に揺れは大きくなり、衝撃も増していく。
そしてハンマーが一際強く光り輝き、凄まじい勢いで床を打撃し――
大図書館の床が、轟音と共に抜け落ちた。
■
突然の出来事――だが、俺達はすぐには動けなかった。
凄まじい崩落音と共に、大きく口を開けた床の向こう。
地下十一階に、巨大な魔法陣が展開していたのだ。
青白く光るそれは、床に対して垂直に、立つように展開している。円の内部には幾何学模様と、異世界の呪文が描かれていた。
まだ安定していないのか、ゆらゆらと揺れているが――その向こうに、数百、数千という人影がうっすらと浮かんでいるのが見えた。
あれは、不味いものだ。
斬っておかねばならないものだ。
直感が告げる。
だが、魔物の数は減っていないのだ。近付きたくても近付けない中、ハンマーが内側から爆ぜるように弾け、黒い霧を再び撒き散らし、周囲の本の魔物化を誘発していく。
最悪の状況だ。だが、嘆いている暇はない!
「誠治!」
「はい!」
姉さんと共に剣を振るい、魔物を斬り続ける。
しかし、舞い散る紙で視界が塞がれ、次第に状況が解らなくなっていく。地下六階と違い、すぐに紙が舞い上がっていかないのだ。魔女の魔法の効果が薄い、というのを痛感させられるが、魔物は斬らねばならない。
斬って、
斬って、
斬って、
紙吹雪の中、がむしゃらに前へ出た時に、茶褐色の鱗を持つ大蛇が、身をくねらせながら階段を上り始めていたのが見えた。
不味い。そう思った次の瞬間、
「――凍れ!」
凛とした声と共に、時すらも凍り付いた。
瞬きの直後、周囲を埋め尽くしていた全ての魔物が凍り付き、弾けて紙と舞っていた。
その中を、ふわりと飛んでくる影がある。
アニスだ。彼女の魔法が、一瞬にして何百という魔物を紙に変えたのである。
明らかに、普段の威力を超えたものだ。その意味を理解し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「二人とも、大丈夫か?」
俺達の前に降り立ったアニスに、姉さんが深く頭を下げた。
「申し訳ありません、魔女様。このような事態を引き起こしてしまい――」
「舞が謝ることじゃない。ここ数ヶ月の異変も含め、私の感じていた違和感には正体があったのだからな」
アニスが睨む先――地下十一階の魔法陣は、少しずつ形を確かなものにしつつあった。
「あれは一体、なんなのです?」
「「――侵略者だ」」
魔女と片斬の声が同時に響く。
侵略、という言葉に驚くしかない俺に、アニスが補足をしてくれた。
「魔法陣の形状、感じられる魔力の強さからして、あれは世界と世界を繋げる異界門だ。うっすらと見えているのは軍勢だろう。武器を隠してすらいない。敵意があるのは確実だな」
異世界からの客人は、必ずお台場の異界門へと辿り着く。そういう風に、魔女がこの世界の理を書き換えたからだ。それを捻じ曲げて現れた時点で、彼らの敵意は計り知れない。
だが、俺達のやることは一つだ。
「解りました、そういうことなら――」
斬ります。そう告げようとした瞬間、先ほどとは違う、細かな振動が起き始めた。
錆び付いた蝶番の鳴き声のような、甲高く耳障りな音が、捩れるように長く響き――
一瞬の静寂の直後、何百枚というガラスを叩き割ったかのような、凄まじい音が耳を貫いた。
高音域の大音量に、思わず膝を突きそうになる。その目の前で、アニスが苦しげに身をよじり、
「ぐっ、」
「アニス!」「姉様!」
姉さんと共に、咄嗟にアニスを支える。彼女の顔には汗が浮かび、荒れた息を吐いていた。
「……な、なんてことだ、大結界を破壊された! このままでは、魔物が溢れ出すぞ!」
アニスの悲痛な叫びに応えるかのように、周囲の、まだ魔物化していなかった本までもが、次々と魔物化し始めた。
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