第四章
噂のあの人
「――こんにちは。案内を頼めるかしら」
背後から響いた声に振り返ると、美しい女性が立っていた。
長身で、とてもスタイルがよく、微笑みと共に豊かな金髪が揺れる。以前にも頼まれて案内をした方だった。
地下三階から五階では客人の利用者が増え、古くからの常連も多い。新人である俺はよく目立つようで、利用者の方々から話しかけられたり、案内を頼まれたりすることが増えていた。
その中でも、この金髪の女性は特別目を引く存在だった。なにせ、美の女神か、と思うほどに美しいのだ。目の前にすると弱ってしまう。
ここは地下四階の南区画。大図書館は地下に降りていくほど、異世界の本が増えていく。地下四階の場合、その八割ほどが異世界本だ。だが、読書に不便はない。
大結界の中には、翻訳の魔法も含まれている。どんな世界の文字であろうとも、開けばその人の母国語で読むことが出来るのだ。
当然、会話の不便もない――が、緊張で声が上ずってしまうのは、どうにもならないのだった。
「ど、どのような本をお探しでしょう?」
「タイトルは解っているの。小説なのだけれど……」
「小説ですか」
俺は手帳を取り出し、案内図を確認する。地下四階の場合、小説は西区にあった。
「解りました、ご案内いたします」
笑みで言って、女性と共に歩き出す。
大図書館は広いから、目的の本の場所まで利用者を誘導するのも司書の仕事だ。
この女性を案内するのは、今回で二度目だ。今では少しずつ司書の仕事にも慣れてきて、緊張は減っているが、一度目の時はそうもいかなかった。しかも俺は美人に弱い。第一声の時点で声が上ずってしまって、顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
その時のことをどうしても思い出してしまって、今も若干恥ずかしい。
とはいえ、無言で淡々と歩くのも気まずく、かといってペラペラと軽薄に喋るのも違うだろう。当たり障りなく、天気や季節の話が出来れば一番だが、しかし客人――異世界の住民相手だと、そうもいかなくなる。
多くの人にとって雨は憂鬱なものだが、彼らにとっては違うかもしれない。そう思うと余計に喋れなくなってしまって、困ってしまうのだ。
そうでなくても、ここは大図書館。天気や季節とは無縁の場所だ。自分の話題の少なさを痛感しながら、無言で、かつ早足にならないよう気を付けて歩いていたところで、ふいに女性から問いかけられた。
「もしかして……貴方が、神木・誠治さん?」
「は、はい、そうです。ですが、どうして自分の名前を?」
胸のネームプレートには、『神木』と苗字しか書かれていない。何故名前まで知っているのだろう? と疑問に思ったところで、女性が微笑んだ。
「司書さん達が噂しているのを、耳に挟んだの。なんでも、凄く強いとか……」
ちらりと腰の剣を見られて、俺は慌てて否定する。
「いえ、自分はまだまだ勉強中の身です」
「でも、片斬? っていう、凄く強い人と一緒に働いているんでしょう?」
えい、えい、と女性が剣を振るう真似をする。そういう茶目っ気のある仕草も似合う人だった。
「確かに、一緒に働かせて頂いています。ですが、自分は片斬殿の足元にも及びません」
あの速度、気迫、迷いのなさ。どれを取っても敵わない。
痺れるほどに美しく、気高く――故に、越えたいと思う。
だが今は、その背中を見失わないようにするだけで精一杯なのだ。
「強い、だなんて、身に余る言葉です」
謙遜ではなく、心からそう思うのだ。
そんな俺に、女性が優しく微笑んだ。
「じゃあ、頑張らないといけないわね。応援しているわ」
「ありがとうございます」
嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で頷き返す。
そうこうしている内に、目的の本がある場所まで辿り着いていた。
「――では、自分はこれで失礼いたします」
「あぁ、待って。もう少し、私とお話しましょう?」
甘い声が、耳朶を震わせる。思わず頷きたくなる、魅了の魔法でもかけられているかのような提案だった。
だが、俺は首を横に振る。
「申し訳ありません、仕事が残っておりますから」
「そう、それは残念ね……」
悲しそうな表情をされてしまって、心が痛む。が、こればかりは仕方がない。
「他に探し物があるのでしたら――」
「いえ、そういう訳じゃないの。引き止めてしまってごめんなさい」
「いえいえ、とんでもありません。――それでは、自分はこれで」
深く頭を下げて、その場を立ち去る。
暫く背中に視線を感じたが、振り返らずに通路を抜けた。
■
その後、地下六階から運んできた浄化済みの本の移動と、タイトルと作者名があるもの、ないものの分別など、ラベル作成の手間が減るように作業を行った。
そして、ぐるりと中央区画を回り、仕事がないか確認してから、司書達に挨拶をして階段を下りていく。
だがその際、男女問わず多くの司書から睨まれ、苛立たしげな舌打ちまで聞こえてきて、参ってしまった。
理由は解らない。例え聞いたところで無視されるのが解っているので、俺は笑顔のまま階段を下りていく。
それでも、地下六階に戻ってきた途端、溜め息が出た。
「…………」
大図書館で働き始めて、一ヶ月弱。
斬れば済む魔物よりも、斬れない人間関係の方が厄介になってきていた。
働き始めの、不審者を見るようだった頃から考えると、個人単位ならば改善があるのだ。
しかし、それが『司書』という単位になると、途端に駄目だ。明らかに壁がある。こちらから一歩歩み寄れば、その分引かれる感覚だ。
そして今日のように、一方的な忌避を受けることもある。原因が解れば直すのだが、それが全く解らないから、ただただ耐えるしかないという状況だ。
保守的、というよりは、変化に対する恐れすら感じられた。
だが、それも仕方がないのだろう。
大図書館には、三百年の歴史がある。
不変であるという常識――信仰がある。
それを、突然現れた部外者が乱し始めたのだ。拒絶されるのは当然で、姉さんのところには、司書からの苦情や困惑の声が多く届いているという。
こういう時は、地下六階で大人しくしているに限る。ここで躍起になると、司書からの印象が更に悪くなるからだ。
嫌われるのは仕方がない以上、距離を置くのも重要だった。
三日後には駐屯地へと報告に戻る予定だから、その時まで地下六階で魔物の相手をしていよう。そう決めて、俺はアニスの部屋へと向かった。
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