変わらない朝食

 扉の向こうは、広々としたダイニングキッチンだ。

 手前に四人がけのキッチンテーブル、その向こうにシンクと調理スペースがあり、向かって左奥から食器棚と冷蔵庫、コーヒー豆や茶缶などが置かれた棚が並ぶ。

 毎日お茶やココアを淹れるようになって、どこに何があるのかは把握出来ている。が、改めて確認してみると……

「食べないわりには、色々揃っていますよね」

「歴代の片斬が置いていったものや、茶菓子のついでに頼んだものが多いな。好きに使っていいぞ」

「ありがとうございます、アニス」

 笑顔で言ってから、俺は冷蔵庫を開ける。中は殆ど空っぽで、数日おきに買い足している牛乳の他には、卵とベーコンが残っているくらいだった。


 大結界に編みこまれた不変の魔法は、本来は蔵書の劣化を防ぐものだ。だが副次的に、人体や食品にも影響を与えている。その効果は絶大であり、売店で売られている食品には賞味期限が存在しないほどだ。

 大図書館内にある限り、今日買った卵も、三百年前の卵も、同じ鮮度で保たれる。

 こうして手にとって、外部から影響を与えない限りは。

「賞味期限を気にしなくていい、というのは素晴らしいですね。こればかりは最新の冷蔵庫でも再現出来ていませんから、余計です」

「なんだ、出来ないのか」

 意外そうなアニスに、俺は苦笑を返す。

「人類の扱う魔法は、魔女のそれよりも劣りますから。腐敗を遅らせることは出来ても、止めることまでは出来ないのです」

 帝都での生活と比べて、大図書館の中は不便が多い。けれど、そこにある魔法技術は、圧倒的に大図書館の方が上なのだ。魔女の魔法の凄まじさを、改めて感じる日々だった。

「では、今朝は朝食らしく、トーストとベーコンエッグとサラダ、玉ねぎのスープにしましょう。足りない材料は、俺の部屋から持ってきます」

「期待しているよ。調理の間に、私が舞を呼んでおこう。それと――舞の第一声はなんだと思う?」

「そうですねぇ……」



「誠治、私のトーストは二枚――って、なんだその顔」

「よし、正解」

「流石だなぁ、誠治」

「な、なんなのですか、魔女様まで」

 珍しく焦った様子を見せる姉さんに、アニスが柔らかく微笑んだ。

「舞の第一声が何か、誠治と予想していたんだ。私は『トーストにジャムをつけろ』、と言うかと思ったんだが」

「それも言うつもりでしたが……人で遊ばないでください」

「すまんすまん。だが、存外素直に応じたな?」

「それは――」

 姉さんが俺を見て何かを言いかけ、けれど黙ってしまった。その先は言われなくても解っているから、俺は自然と笑顔になる。

 すると、姉さんがあからさまに視線を逸らし、

「……朝食は大事ですから。それだけです」

 椅子に座る姉さんに苦笑しつつ、俺はフライパンに卵を落とす。


 片斬家は、お抱えの料理人がいるほどの名家なので、姉さんは幼い頃からの美食家だ。それなのに姉さんは、日によって成功したり失敗したりする俺の料理を妙に気に入ってくれて、一緒に道場に通っていた頃は定期的に食事を振舞っていた。

 なので、姉さんの味の好みは熟知している――が、それでも俺は問いかけていた。

「――姉さん、卵の焼き加減はどうしますか」

「……いつもの」

「っ、了解です」

 まるで、五年間の隔たりなどなかったかのようで――思わず泣きそうになってしまって、俺は慌てて二人に背を向け、コンロに向き合う。

 ああ、そうだ。姉さんの好みはよく解っている。目玉焼きは、黄身がとろりとした半熟で、白身がプリプリのものを。ベーコンエッグの場合、ベーコンは薄切りにしてカリカリに。でも脂っぽくなるのが苦手だから、卵とベーコンは別のフライパンで焼く。

 他の料理でも、姉さんは注文が多い。

 気を許した相手には、わがままを言ってくれる人なのだ。

 振り返った時には、自然と笑顔が浮かんでいた。

「……なんだ、誠治。ニヤニヤして」

「姉さんの為に作る料理は、楽しいのです」

 姉さんの為なら、いくらでも試行錯誤出来る。

 大切な人の為だから、その一手間がとても楽しいのだ。

 姉さんの頬が少し赤くなった。

「ころすぞ」

「卵が焦げますよ?」

「むぅ……」

 俺達のやりとりに、アニスがおかしそうに笑って、姉さんが更に顔を赤くする。

 ――ああ、なんて幸せな時間だろう。だから俺は、料理が好きなのだ。



 

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