変わっていく日々
そうして、俺の日々は変化していく。
日々地下六階を巡回し、現れた魔物を斬るのは当然のこと、上階で作業を手伝ったり、司書として利用者の案内を行ったりと、仕事が増えていた。
力仕事も増えているが、肉体的な疲れはない。大図書館の結界の中には、『不変の魔法』が編み込まれており、それは『疲労する』『空腹になる』といった肉体的変化を止めてくれる。これにより、一日中動き回っても疲れることがなく、魔物退治にも常に全力を出せていた。
だが、精神的な疲れは別だ。
大図書館で働き始めて、早半月。アニスが言っていたとおり、魔物の出現にはむらがあり、月初めはあれだけ忙しかったのに、先週など一匹しか魔物を斬らなかった。
そうした魔物に対する警戒と、まだ改善の兆しが見られない司書達との人間関係が、気疲れを生んでいた。
そのストレスをどこかで発散する必要があり……俺にとっては、それが料理だった。
調理に集中していると、無心になれて、初心に返れるからだ。
なので今日も、と朝食の準備を始めたところで、
「――そうだ」
ふと思い立ち、俺は食材を冷蔵庫に戻すと、制服に着替えて部屋を出た。
書架の間を抜け、中央区画にあるアニスの部屋へと向かう。
すると、区画の中心部にある広間で、アニスが大結界の張り直しを行っていた。
アニスの足元に展開している巨大な魔法陣が、七色に幻想的な光を放ち、中心からゆっくりと白銀色に染まっていく。
その光が一段と強くなったところで、魔法陣がぱっと弾け、光の粒子となって舞い、静かに消えていった。
「これでよし」と、アニスが小さく呟く。
大図書館には、様々な結界が張られている。その中でも最も重要で、厳密に施されているのが、この『大結界』――大図書館全体を包むように張り巡らされている結界だ。
大結界は三百年前から魔女によって護られてきたものであり、こうして毎朝欠かすことなく張り直され、その強度を維持し続けている。とても大事な結界なのだ。
作業を見るのはこれで五度目だが、何度観ても魅入ってしまう美しさと神々しさだった。
魔女の魔法は、まさしく全能の力だ。死者の蘇生すら可能にするという話だが、彼女達は絶対にそれをしない。人類に英知を与え、あとはただ見守っている。
故に、魔女を神と崇め、信仰している人達もいるという。普段のちょっとした魔法ではなく、こうした大規模なものを目にするにつれ、その気持ちも解るようになった。
確かにこれは、神の御業だ。
だが、こちらに気付いて微笑むアニスは、『魔女』という神格化された存在ではなく、生きている一個人なのだ。俺はそれを大事にしたいと思うのである。
「おはようございます、アニス」
「おはよう、誠治。今朝は早いな」
「一つ、気になることがありまして。アニスは、朝食は済まされましたか?」
「いいや、まだ――というか、食べる予定はないんだ。魔女は本来、食事を必要としないからな」
「全く食べない、と?」
「いや、食べるのは好きだぞ。ただ作るのがな。本を読みながら料理が出来るほど、私は器用じゃないんだ」
「では、俺が作りましょう。姉さんも呼んで、一緒に朝食を食べませんか?」
「ほう、作れるのか」
「はい。昔から、料理は俺の仕事でしたから」
「なんだ、剣一筋というわりには多才だな?」
アニスが興味深そうに覗き込んでくる。それに鼓動が早くなるのを感じながら、俺は胸に手をやった。
「剣は人生。料理は趣味です」
「それはいい」
二人で笑い合い――アニスの部屋へと歩き出しながら、俺は言葉を続けた。
「幼い頃、父さん――剣の師範に言われたのです。『一流の剣士たるもの、どんな刃物でも扱えないとね』、と。そうして手渡されたのが万能包丁で、俺はその日から、母さんの手伝いをするようになりました」
神木道場は、他の道場から推薦されてきた選りすぐりの門下生が集まる場所で、朝から晩まで稽古が続いていた。だから、昼食や休憩の時など、母さんが料理を振舞ってくれていたのだ。
「最初は野菜の皮むきから始まり、様々な切り方を覚え、調理を手伝うようになり……次第に料理の奥深さに目覚めて、今に至るという訳です」
懐かしい日々だ。
「母さんは料理が上手で、全て目分量で作ってしまう方でして、味を盗もうにも上手くいきません。ならば、計量するお菓子なら――と思うのですが、全く同じ材料を用意しても、何かが違うのです。今にして思えば、具材の混ぜ方一つから違っていたと解るのですが、当時はそれが悔しく、余計に料理にのめり込んでいったのです」
「そうだったのか。意外と思いきや、誠治の性格に合っていたのだな」
アニスが嬉しそうに話を聞いてくれるから、なんだか照れてしまう。
「父さんも母さんも、よく褒めてくれました」
懐かしい団欒を思い出して、胸が温かくなる。本当に、二人には感謝してもしきれない。
なにしろ――俺は捨て子で、生まれてすぐに道場の門前に置き去りにされていたのだから。
これだけ発達した時代においても、望まぬ妊娠というのはあるもので……気付いた父さんがすぐさま病院に駆け込んでくれて、警察に連絡して、色々と手を尽くしてくれたそうだが、結局両親は解らずじまい。俺は養子として神木道場に引き取られた。
当時、父さんは三十歳。先代から道場を継いだばかりで、乳飲み子の相手など出来る余裕はなかっただろう。それでも、俺を男手一つで育ててくれて……
どうにもこうにも手が回らなくなり、知り合いの伝手で頼んだベビーシッターが、後に妻となる女性だったのだ。人生、どこで何が繋がるか解らないものだ。
「姉さんも、俺の料理の腕は知っています。呼べばすぐに来るでしょう」
「そういえば、舞から聞いたことがあった気がするな。楽しみにしているよ」
微笑むアニスと共に、彼女の部屋へ。そして俺は、キッチンルームの扉を開いた。
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