誠治の決意


 思いを新たに、俺はアニスの部屋へと向かう。

 ココアを淹れて以降、アニスにお茶を淹れるのが日課となったのだ。


 部屋に入ると、既に執務机の周りに本の山が出来ていて、その奥に座ったアニスが浄化作業を行っている。その視線が俺に向くと同時に、ふふ、と小さく笑みを零した。

「大図書館に、新たな怪談が一つ出来たな」

「何かあったのですか?」

「上から確認の連絡があってな。『アニスとは誰だ?』と」

「も、申し訳ありません! 気になってしまいまして!」

 慌てて頭を下げると、アニスが楽しそうに笑い、椅子の背もたれに体重を預けた。

「謝る必要はないさ。私は『魔女』であって、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、こうして聞いて回るヤツが出てくるとは思わなくてな。『私も知らない』と誤魔化しておいたよ」

「わ、悪いお人だ……」

 怪談も生まれるというものだ。

 俺は姿勢を正すと、真っ直ぐにアニスを見つめた。


「興味本位という訳ではないのです。そうした歪みを知ることも、大事だと思いました」

「歪み、ときたか」

 アニスもまた姿勢を正し――見定めるように、その目が細められる。

 だから俺は、はっきりと言葉を返した。

「アニスが『魔女』と、通称で呼ばれるのは仕方がないことです。ですがそれ以上に、彼らは貴女に対して無関心すぎるように思いました。――とはいえ、それも当然なのかもしれません」

「どうしてだ?」

「例えるなら、太陽のようなものです。朝になれば昇り、夕方になれば沈む。当然のように享受しているものの存在を、人は疑いません。なくなるとも思いません」

「太陽、か。久しぶりに聞いたな、その単語。そういう意味では、私は舞以上に外を知らんからなぁ」

「ね、姉さん以上に?」

 思ってもみなかった言葉に、困惑してしまう。そんな俺に、アニスが苦笑した。


「誠治は、魔女の生まれ方を知っているか?」

「は、はい。木の洞から生まれる、と教わりました」

「そうだ。大樹と呼ばれる巨大な木の樹洞から、私は今と変わらぬ外見で、歴代の魔女が積み重ねてきた知識を持って生まれ、その日の内にこの大図書館へと来た。だから、故郷の思い出など一つもなくてな。面倒だし、魔女としての仕事が終わった後も、死ぬまで大図書館で暮らそうと思っているくらいだ」

「では、アニスは太陽を知らないのですか?」

「知っているぞ。この世界における『太陽』とは、銀河系にある恒星の一つで、太陽系の中心だ。地球との平均距離は149597870700メートル。これを一天文単位と言い――」

「そ、そういうことではなく」

「解っているよ。知識として私はあらゆることを知っているが、経験は殆どないんだ。だが誠治、考えてもみろ。書物の中には、太陽の描写がごまんと存在する。図鑑などは当然として、小説や漫画にも太陽は出てくるものだ。数多の作家が、その豊かな表現力で『太陽』を描いている。そうした書物を数多く読み解いてきた私は、果たして太陽を知らないと言えるだろうか?」

「それは……」

「逆に、誠治は太陽をどれだけ知っている? という話だ」

「……」

「魔女はこの世界を見捨てないし、こちらからは干渉しないんだ。太陽と同じように無関心でいいと、私は思う。舞の言っていた片斬の理念と一緒さ。『魔女』に区別は必要ない」

「……、……」

「他人から押し付けられるエゴほど、不快なものはないよ。誠治に悪意がないのは解っているがね」

 その言葉で、ようやく理解する。アニスは俺の味方ではない。だが、敵という訳でもないのだ。それこそ――空に浮かぶ太陽のように、彼女は常にここにある。

 だが、「そうですね」と頷く訳にはいかない。俺の腹は決まっているのだ。


「俺は、考えを押し付けるつもりはありません。提示して、受け入れてもらいたいのです」

「その行動が、軋轢を生むかもしれない」

「覚悟を持って動かなければ、変化は起こせません。まずは、如月隊が敵ではなく、味方であると知ってもらうこと。そこからです」

「一筋縄ではいかんぞ」

「壁は、高い方が挑戦しがいがあるというものです。――やると決めたからには、貫き通します。中途半端が一番悪い結果を招きますから」

「その壁を乗り越えられなかったら?」

「……意地悪ですね、アニス」

「誠治のことは気に入っているからな。思っていたよりも行動が早かったし、少しはたしなめる気にもなるさ」

「ありがとうございます。ですが、俺は前に進みます。壁を乗り越えられないのであれば、迂回すればいい。それでも駄目なら――」

 そっと、剣の柄に触れる。

「――斬ります。俺はそれしか知りませんから」

 アニスが驚き、そして楽しげに笑った。


「本当に、誠治は舞とそっくりだな。舞から聞いていたとおりの男だ」

「姉さんから?」

「ああ。私は五十年前から魔女をしているから、先代の片斬である片斬・雪をよく知っているし、彼女から舞を託されたくらいなんだ。だから舞とは親しくて――あの子から、『弟』の話をよく聞いていたよ」

「そうだったのですか。では、あの頃の姉さんが言っていた、『姉様』というのは――」

「私のことだな。……今ではもう、そう呼んではくれないが」

 アニスが悲しげに言う。俺もまた、無意識に視線が下がっていた。

「姉さんは、自罰的なほど自分に厳しい人です。こうと決めたら、死ぬまで曲がりません」

「誠治にとっては、最大の『壁』になりそうだな」

「それは――まだ解りません」

「ほう?」

 意外そうに、興味深そうにアニスが俺を見つめてくる。

 初日から感じていたが、彼女は好奇心旺盛な性格をしているようだ。それに応える為、俺は言葉を続けた。

「相手が見知らぬ片斬であれば、最大の壁と断言出来たでしょう。ですが、片斬・舞は俺の姉です。説得の余地はありますし、それが無理なら剣を交えます。俺達はそうやって対話してきたのですから」

「押して駄目なら引く――のではなく、斬るのか。本当に似ているな、二人は」

 ふふ、と嬉しげにアニスが笑い……ふと、何かに気付いた顔をした。


「もしかして……誠治は舞に惚れているのか?」

「は?!」

 予想外の言葉に、素っ頓狂な声が出た。

 対するアニスが笑みを深め、机に軽く身を乗り出し、

「五年ぶりとはいえ、やけに強い信頼があるじゃないか。となるとやはり――」

「いえいえ、とんでもない! 俺では姉さんと釣り合いません!」

「そうなのか?」

「そうなのです。恋愛感情ではなく、同じ道場に通う姉弟弟子として、強い絆がありました。それも取り戻せたら、と思っています。だって俺は――」

 噂をすれば影が差す。

 ノックと共に扉が開き――振り返ると、当の姉さんが立っていて、

「――俺は、屈託なく笑う姉さんを知っていますから」

「なんの話だ、馬鹿者」

「懐かしい話です。――取り戻したい話です」

「ハッ、寝言は寝て言え」

 鼻で笑いつつ、姉さんが丁寧に扉を閉める。こういうところに育ちのよさが垣間見える人だった――なんてほっこりするや否や、鋭く睨まれた。

「――司書達から聞いたぞ。貴様、私のように働くそうだな?」

「耳が早いですね」

「それが片斬というものだ。魔女様ほどではないが、私も大図書館のあらゆる変化を感じ取れる。――誠治、お前にそれが出来るか?」

「やってみせます」

「ならば、その言葉が嘘ではないと、身を持って証明してみせろ。――話はそれからだ」



 

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