姉と弟 (前)


 五年前――姉さんには、龍ヶ崎・マキという年下の親友がいた。

 弟である俺が入る隙間もないくらい、二人は仲良しだったのだ。


 だからこそ、『近い将来、マキが如月の名を拝命する』と解った日、姉さんは荒れに荒れた。

 当時から、姉さんは片斬として周囲に距離を置かれていた。俺という弟は出来ても、対等な友人は一人もいなかったのだ。それなのに、大親友と敵対する未来が確定してしまった。

 姉さんは、『マキちゃんとは争いたくない!』と強く抵抗し、説得しようとする片斬家の者達相手に暴れまわった。

 騒ぎを聞きつけた当時の俺は、姉さんを落ち着かせようと『大丈夫』『きっとなんとかなる』という、中身のない言葉だけを繰り返し――姉さんから拒絶され、大きな亀裂を残してしまったのだ。


 あれから五年。

 俺は、あの失敗を繰り返したくなかった。


「――斬る!」

「――殺す!」


 剣を打ち合う俺達の気迫に当てられたか、魔物が次々と飛び出してくる。それを斬り伏せ、舞い散る紙吹雪の中を飛び回り、火花を散らす。

 決着は付かない。そもそも、勝敗など関係ないのだ。

 物心付いた頃から剣を握っていた俺達は、口でどうこう言い合うよりも、剣を交えた方が解り合える。

 心の乱れは剣の乱れ。動揺は、如実に剣に現れる。だからこそ、解るのだ。

 姉さんの中に、不安と迷いがある。

 その先へ踏み込みたいのに、力任せに押し返され――心中を隠すように、姉さんの力がより強くなり、剣筋が粗くなる。姉さん自身すら、自分の感情に戸惑っているように感じられた。


 そして――俺達は同時に距離を取り、剣を下げる。

 これ以上やっても無駄だと、お互いに感じたからだ。

「――止めだ。仕事に支障が出る」

 そのまま背を向け、姉さんが剣を収めて歩き出そうとする。俺はその背に声を投げた。

「姉さん」

「うるさい」

「逃げないでください」

「ッ、」

 背を向けたまま、姉さんが立ち止まる。……そうだ、逃げたのだ。

 片斬は変化を拒絶する。それは矜持であり、同時に恐怖からのものだ。

 変化を知らないから、それを極端に恐れている。

 そういう家の出身だ。日常が大きく変化しそうになると、姉さんは荒れる。

 姉さんが過剰に反応する時こそ、姉さんの本心が露わになった時なのだ。

「――俺は、今すぐに変化を起こす訳ではありませんし、出来るとも思っていません。アニスを振り向かせるにも時間がかかりそうですし、全てが手探りです。ゆっくりと、ですが確実な変化を起こしたいと考えているのです」

「夢物語だ、そんなもの」

「それでも、やらなければ始まりません。剣と同じです。立ち振る舞いを学び、剣の握り方を学び……素振りをするのはそれからです。段階を飛ばしては、失敗する。そうして今の俺達があるのです」

「……本当に言うようになったな、お前は」

 姉さんが振り返る。

 厳しい表情の中に、片斬としての顔が半分、姉としての顔が半分浮かんでいた。

「変わると思うのか、本当に」

「思います。俺がそれを信じて行動しなければ、誰も付いてきません。何も変えられません」

 片斬や司書は人間であり、話の通じる相手だ。彼らの持つ常識、或いは信仰ともいえる、『大図書館は不変である』という意識をそのままに、隣に立って手伝いたいというだけの話だ。

 片斬の顔で、姉さんが俺を睨んだ。


「だが、貴様は『侵略者』なのだろう?」

「姉さんにとっての、です」

「何が違う」

「何もかも違います。今俺の前に立っている貴女は、『片斬殿』ではない。俺の『姉さん』です」

「そういう意味での侵略か。……確かにそうだな。誠治の前では、私は姉としての自分に戻っていた」

 言って、姉さんが一つ息を吐く。視線が下がり、美しい黒髪がその表情を半分覆い隠した。

「誠治が来てから、私は少し楽になった。……解っているんだ。片斬はあまりにも戦闘に特化しすぎている。司書達も鍛練を積んでいるが、誠治ほど活躍出来る者は一人もいないだろう。――だが、だからといって、如月隊の力を借りてそれで済ませる、という訳にはいかない。我々にもプライドがある」

「問題ありません。今まで言い出す機会がありませんでしたが……司書達を、如月隊と同等の戦力にまで押し上げる方法があります」

「何?」

「魔法技術は、五年前よりも格段に進歩しています。例えば――」

 踵に力を込め、靴の裏に仕込んである魔法武装を起動する。と同時に、足裏に魔法陣が展開し、それが淡く銀色に輝いていく。それを確認してから、俺は軽く跳躍する。

 すると、体は軽々と十メートルほど飛び上がり――大図書館の天井に軽く触れてから、反動もなく静かに着地した。

「――っと。こうしたことも出来ます」

「凄いな……。それを使えば、私に追いつけるではないか」

「道具に頼って姉さんに勝っても、意味がありません」

「私に勝てると言うのか、お前は」

「はい。五年前よりは、確実に」

「卑怯だ――とは、言えないか。それはただの道具だものな。……予想以上だったよ」


 神話の時代、火は信仰の対象であり、人類には扱いきれないものだった。

 だが時代を経て、人々は火を支配下に置き、文明を発展させ、今ではマッチやライターを使って手軽に火を扱えるようになった。

 魔法も同じだ。魔女によって与えられた力は、使用者によって出力される結果が異なるという不安定なものだった。例えば火を生み出そうとする時、マッチの火をイメージするか、燃え盛る業火をイメージするかで、火の熾り方が大きく変わってしまう。

 それを平均化し、誰でも平等に魔法を扱えるようにと研究が進んだ結果、魔法技術の発展が進んだのだ。


「以前からこうした道具はありました。ただ、俺達はそれを知らなかった。父さんから教わる前に――体が出来上がり、次の段階へと進む前に、姉さんが片斬に選ばれてしまったからです」

「……、……」

 姉さんが目を逸らす。

 俺は言葉を続けた。

「魔法武装が広まれば、司書達の戦力増強のみならず、自信向上にも繋がるでしょう。片斬と同等に戦えるのであれば、『如月隊に舐められる』と思うこともなく、肩を並べられるはずです」

「……戦争屋の考え方だな。武器の横流しと何も変わらない」

「では、魔物とは如月隊が戦います。貴女方は戦わなくていい」

「本を斬らぬ片斬は片斬ではない。三百年の歴史に泥を塗れと言うのか」


 何十枚、何百枚と紙を重ねても、それは『本』ではない。

 片側を綴じてあって初めて、それは本としての体裁を持つ。

 その綴じた側を斬るから――片斬。

 右閉じだろうと、左閉じだろうと、なんであろうと関係がない。

 本であるなら全て斬り伏せ、ただの紙の束にする。

 故に片斬。

 故の片斬――である。


 姉さんが俺を睨む。

 それを真っ向から受けながら――俺は、言いたくはなかった現実を口にした。

「……片斬家は、重要なことを忘れているのです。確かに、『片斬』の名は偉大なものですが――しかしそれは、魔女の庇護下によって初めて意味を成すもの。一歩大図書館の外に出れば、なんの意味も持たない名です」

「貴様……」

「事実です。侮辱にすらなりません。……俺だって悔しかった。姉さんは俺の誇りで、片斬は目標だったのですから」

 だが、現実は非情だった。

 軍学校に入学してすぐに、俺は事実を知ることになったのだ。



 

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