一触即発


 慌てて手を放してソファーに座り直すと同時に、扉を開いて姉さんが部屋に入ってきて、

「失礼します。――ん? 何かあったのですか?」

「い、いや、何もないぞ!」「な、何もありません!」

 アニスも俺も、声が裏返っていた。

 そこに何かを感じ取ったか、姉さんの表情が段々と剣呑になって、俺を睨む。先ほどまでの甘い空気が一瞬で吹き飛ぶ恐ろしさである。

 その口から『殺す』の一言が出る前に、俺はテーブルの上の紙袋を手に取った。


「きょ、今日は駐屯地へ報告に出ていたので、帰りにお土産を買ってきました」

「……雷おこしか」

 予想通り、姉さんが絶妙な顔をする。嬉しいけれど、しかし、という顔だ。それを隠さないくらい、昔の空気が戻ってきていることを喜びつつ、俺は別の袋を取り出した。

「あと、こちらも。マキ隊長殿がお勧めしてくれた、チョコブラウニーです。洋菓子の方が好きですよね?」

「殺……まぁ、そうだな。だがいいのか、二つももらって」

「アニスの分も買ってありますから、大丈夫です。試食で一口もらったのですが、濃厚で美味しかったですよ」

「ほう」

「それと、隊長殿から伝言です。『雑誌に載っていたあの店は、今も営業しているぞ!』と」 

「……そうか。……解った」

「何か、約束があったのか?」

 顔に赤さの残るアニスからの問いに、姉さんが「古い話です」と頷きながら、俺の隣に腰掛け……逡巡がありつつも、説明を始めた。


「……マキは、神木道場での後輩で、友人でした。当時はお互いの素性を知りませんでしたから、他愛のない話もしたものですが……お互いの立場が解ってからは、そうもいかなくなりました。私達がよくても、周囲がそれを許しません。当時の私は、自分の立場が解っていませんでしたから、反発もしましたが――全て、無駄でした」

 ですから、と姉さんが俺を睨むように見た。

「ですから、五年越しに誠治が現れて、私は驚きました。彼女はまだ諦めていなかったのか、と。……その強さが、私には羨ましい」

「舞がそう言うとは、大切な相手なのだな」

「はい。そういう意味では、私とマキちゃ――彼女との間では、和解も何もないのです。しかし、これが『片斬と如月』となった以上は、そこに三百年の歴史が圧しかかってきます。私情を挟む余地などありません」

「姉さん……」

「……なんだ、誠治」

「いえ、何でもありません」

 やはり、姉さんは変わっていないのだ。五年前と同じように、隊長殿を大切に思っている。

 俺は姉さんに向き直り、真っ直ぐに告げた。

「その関係を変える為に、俺が来たのです」

「……本当に、出来ると思っているのか?」

「当然です。例え何年かかろうと、俺は揺らぎません」

「お前も変わらないな」

 姉さんが小さく苦笑する。この一ヶ月で、大分表情が軟化したと思う。

 このまま少しずつ、五年前を取り戻したい。そう思ったところで、アニスが姉さんの湯飲みを机の上に召喚し――再びお茶の準備が始まる中、アニスが姉さんを手招きした。そして脇に控えた姉さんへと、耳打ちを一つ。

 直後、姉さんが驚き、アニスを見て、俺を見て――


 ――ゆらりと立ち上がりながら、修羅の顔になっていく。


「誠治……。貴様、いい度胸をしているな」

「ま、舞?!」

 恐らく、俺からの告白の話をしたのだろう。ただ、姉さんがこういう反応をするとは思っていなかったようで、アニスが目を白黒させている。

 だが、それも仕方がない。誰だって、さっきまでの和やかな様子から、鬼が出てくるとは思わない。――俺以外には。

 この状況を覚悟した上での、告白だったのだ。俺はアニスに「大丈夫です」と告げてから、姿勢を正し、姉さんの視線を真っ向から受け止めた。

「俺は本気です」

「下らん。魔女様に懸想している身で、我らの確執に首を突っ込もうとはな」

「それに、何か問題が?」

「何――?」

 ぎらりと睨まれるが、怯まない。俺の腹は決まっているのだ。

 無意識に拳を強く握りながら、俺は言う。

「大図書館の司書も、如月隊の隊員も、『魔女』という存在を知っているだけで、アニスの名前も外見も知りません。俺がその手を引いて、堂々と出入り口から連れ出しても、誰も気付かないでしょう。であるなら――誰にも知られていない女性に恋をすることに、何の問題があるのですか?」

「卑怯な物言いだな」

「それを肯定してきたのが、片斬ではありませんか」

「貴様……」

「俺の恋愛と、片斬と如月隊の確執には、何の関係もありません。個人の問題と、組織の問題は別ですから。俺は俺の仕事をするだけです」

「論点をすり替えるな。私は覚悟の話をしている」

「如月隊に入隊し、片斬となった姉さんの前に立っている――それが俺の覚悟です。アニスに恋をして、より強固になった決意です」

「……言うようになったな、誠治。――よし解った、表に出ろ。殺す」

「俺の決意は斬れませんよ、姉さん」

 大股で部屋を出て行く姉さんの後を追い、俺は外に出た。


 この展開も予想外だったか、慌てた様子で追いかけてきたアニスへと、俺は笑みを作った。

「アニスは見ていてください」

「だ、だが……」

「俺達は口でどうこう言うより、剣を交えた方が早いのです」

 蒼白になっているアニスに告げてから、俺は剣を抜く。と同時に、通路の中ほどに出ていた姉さんもまた、刀を抜いた。

 いつぞやの再来のように、対面に姉さん、背後にアニスという構図になり――


 ――躊躇いなく、踏み込んだ。


「「――ッ!!」」

 一歩目は同時だが、二歩目からの伸びが明らかに違う。が、ここで小細工を弄したところで意味はない。初手に限り、姉さんは確実に正面から突っ込んでくる。その一撃を止められない男の決意表明など、姉さんは意に介さないだろう。

 ならばこそ、俺は力強く踏み込み、前へ。

 振り下ろされた殺意を真正面から受け止め、舞い散る火花を見ながら渾身の力で弾き返す。途端、姉さんが小さく舌打ちし、その姿が消え失せ、殺意すら消える――が、問題ない。

 この一ヶ月、間近で姉さんの動きを見てきたのだ。どちらに飛んだのかは見えている!

「右ッ!」

「見えたところで!」

「ッ!」

 大上段からの一撃に剣を合わせ、けれど受けきれずに吹き飛ばされた。

 背中から書架にぶつかり、本が滝のように落下する。それに構わず飛び出し、再び消えた姉さんを追いかける。

 白刃が煌き、火花が散り、剣戟の音が派手に響く。

 それに反応したのか、先ほど落下した本が魔法陣を展開し、召喚されたゴーレムが襲いかかってきて――

「「――邪魔をするな!!」」

 岩の巨人を、二人同時に叩き切る。

 

 戦いは――姉弟喧嘩は続いていく。



 

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