第五章
決意と熱意
ゆっくりと午後を過ごした後、夕暮れを背にマキ隊長殿と蓮夜殿と別れ、俺は大図書館に戻ってきていた。
地下六階へ向かう前に、各階へとお土産を置いていく。何にしようか迷ったものの、帝都名物で歴史があるものにしよう、と決めて、雷おこしにした。
地上階の司書達は理解があったが、地下に降りる毎に「こんなお菓子が」「初めて見た」という反応が多くなっていく。
片斬ほどではないが、司書の中にも大図書館に身を捧げている人は多く――地上三階にある司書学校へ入学して以降、外に出ていない、という司書も少なくない。
一つのものに青春の全てを捧げてきた人達が、娯楽に疎くなりがちなのと同じだ。大図書館が世界の全てだから、他のものに目が行き難くなってしまう。俺だって、父さんに薦められなければ、料理に興味を持つことすらなかっただろう。
無知である内は、知らない、ということにすら気付けない。そうした司書に情報を提示するのも、変化の一つだ。
ただ、変化を押し付けるのではなく、自然と相手が興味を持ってくれるようにしなければ、本末転倒だ。だから、お土産は効果的だろうと思う。
昔ながらのものだけでなく、日々発売される新商品も多く、飽きさせないものだ。来月は洋菓子にしよう、と決めつつ、俺は地下六階――アニスの元へ向かった。
■
「おお、雷おこしか。実物は初めて見た」
こういうパッケージなのか、と感心しながら、アニスが雷様の描かれた箱をしげしげ見つめたり、ひっくり返して成分表を読んでみたりする。可愛らしい。
「和菓子には日本茶が合うでしょうし、淹れてきますね」
「いや、今日は私が用意しよう」
メアリが左から右へ、机を撫でるように指を動かすと、その軌跡に光の粒子が生まれ――光と共に、キッチンから召喚されてきた急須や湯飲みが俺達の前に並んだ。
そしてアニスが急須を傾けると、湯気立つ緑茶が注がれていく。茶葉や熱湯を用意しなくても、一瞬でお茶を淹れてしまえるのだ。こうした何気ないところに、魔女を魔女足らしめるものを感じた。
それから、アニスが雷おこしの箱をひっくり返し、包装紙をそっと撫でる。すると、花開くように包装が開いていく。思わず感嘆の声が出た。
「本当に、アニスの魔法は美しいです」
「ん、そうか? ありがとう」
似たような、ラッピングを綺麗に開く魔法は存在するが、どこか機械的なそれとは大違いだ。嬉しそうにアニスが微笑んだ。
「それで、古巣はどうだった?」
「有意義な時間を過ごせました。光明が差した気持ちです」
「それはよかった。何よりだったな」
「はい。それで……俺が出ている間、魔物の出現はありましたか?」
「いくつかあったが、舞が全て処理したよ。心配になる気持ちも解るが、一ヶ月前まではそれが日常だったんだ。来月以降も、気負わず報告に戻るといい」
「解りました。ですが、姉さんにも休んで欲しいですから。俺では頼りないかもしれませんが、それでも」
「そう謙遜しなくても、誠治はよくやっているよ。まぁ、舞はあの性格だから、素直に褒めたりはしないだろうが」
そうですね、と苦笑しつつ、俺は何気なく部屋の入り口を見やる。
鼻が利く人だから、すぐにやってくるかと思いきや、今日はまだ顔を見ていなかった。
「その姉さんは、今どこに?」
「巡回中だ。そろそろ戻ってくると思うから、先に頂いていよう。……おお、中はこんな感じか」
わくわくした様子でアニスが箱を開け、個梱包された縦長の雷おこしに目を輝かせる。白砂糖、黒砂糖、抹茶のどれにするか指先が逡巡してから、黒砂糖のものを手に取った。
「では早速……。……ん、思ったほど硬くはないんだな。サクサクしていて、匂いもいい。美味しいな」
「…………」
「ん? どうした誠治。一緒に食べよう」
「ありがとうございます。ですが、少し気になって」
「なんだ?」
「アニスは――外に興味がありますよね?」
「んー」
アニスがお茶を一口。否定とも肯定とも取れる、曖昧な笑みをした。
はっきりと答えないのは、魔女という立場ゆえ、だろうか。……解らない。解らないものを推測したところで、答えは出ない。
外から――時間の経過を五感で感じられる場所から、停滞した大図書館に戻ったからか、たった半日なのに、数日ぶりにアニスと再会したような感覚がある。
彼女の微笑みに、胸が締め付けられるのだ。だから、俺は行動すると決めた。
こればかりは、善は急げ――である。
「以前、太陽の話をしたことがありましたが……あれから色々と考えて、俺は決めました」
真っ直ぐに、告げる。
「俺は、この大図書館から貴女を奪います」
「――奪う?」
流石に予想外だったか、アニスが驚く。その目には懐疑と、僅かな好奇心があった。
「悪事を成そう、という訳ではありません。大結界をどうこう、というつもりもない。俺が起こそうとしている変化の、延長線上の話です」
「……どういうことだ?」
「如月隊の中には、結界の扱いに長けた隊員がいます。現代魔法技術に秀でた出向者もいますから、大結界の維持や本の浄化作業を手伝えるはずです。そしていずれは、魔女の力に頼らずとも、大図書館を維持出来るようになるでしょう。そうなれば、アニスの仕事が減り、暇な時間も増え――魔女は、書物以外の知識も得られるようになるはずです」
「誠治、お前は……」
「この一ヶ月で、俺は自分の勘違いに気付きました。一般的な、物静かで知的な魔女のイメージと、実際の魔女は――アニスは大きく違っていたのです。知的なのは間違っていませんが、魔女はとても好奇心が強い。この世界へとやってきたほどに」
「……、……」
「俺は貴女を、この大図書館から奪いたい。本物の太陽の下に、連れ出したいのです」
真っ直ぐに告げた言葉に、アニスが動揺した様子を見せる。
彼女は暫く視線を迷わせてから、戸惑いがちに呟いた。
「ど、どうして、そんな……」
「貴女のことが、好きだからです」
自分でも驚くほど、するりと言葉に出来ていた。
対するアニスは、一瞬きょとんとした後、驚き、混乱した様子を見せ、
「な、なんだって?」
「アニスのことが、好きです」
「ッ、あっ……」
かぁっと、アニスの顔が赤くなっていき、慌てた様子で視線を逸らした。
「と、突然そう言われても、よく解らん。告白されるなんて初めてのことだし……」
「構いません。だから俺は、貴女に告白し続けます」
「ど、どうして」
「俺のことを、好きになってもらいたいからです」
「う、うう……」
僅かに覗く耳まで真っ赤になっている。普段の、余裕のある様子からは考えられないうろたえ方だ。新鮮で、可愛らしい。
改めてアニスを好きになるのを感じながら、俺は言葉を重ねた。
「貴女と出逢った時から、意識していました。それが一歩進んだきっかけは、名前です。司書達がアニスの名前を知らないと解ったことで、貴女のことをもっと深く知りたくなりました。そして、思ったのです。『大図書館の魔女』として、個人としての意思を求められていない貴女に、必要とされたいと。――俺は、アニスの一番になりたいのです」
「ま、参ったな……。好かれているのは解っていたが、それは同僚としてのものだとばかり……」
「嫌、ですか?」
「……嫌じゃないから、困ってるんだ。どうしたらいいのか、全く解らん……」
赤い顔でアニスが動揺し、言葉尻が小さくなっていく。
だから俺は身を乗り出し、湯飲みをぎゅっと掴んだままでいるアニスの手に、テーブル越しに触れた。
細くしなやかな手は、彼女の顔と同じように熱くなっていて――俺の手だって、同じくらい熱くなっている。顔からも火が出ていた。
最後まで格好よく決めたいのに、ここにきて限界が来て、声が震えてしまった。
「俺だって、こんな風に誰かを好きになるのは初めてです。でも、だからこそ、止められないのです。止めなく、ない」
「せ、誠治……」
「何度でも言います。俺は、アニスが好きです」
「……、……」
躊躇いがちに、アニスが視線を上げ、俺を見つめてきて――
――不意にノックの音が響き渡り、俺とアニスは同時に飛び跳ねることになった。
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