姉と弟 (後)
誰も彼も、大図書館を、魔女を知っている。
だが、司書が魔物と戦っていると知っている者はごく僅かで、大半が都市伝説扱い。片斬の存在など誰も知らなかった。
ネット上にすら、情報は存在しない。それも当然だ。当の片斬も、司書も、魔女も、ネットとは無縁の存在なのだから。
確かに実在していても、その実状を誰も語らないのであれば、それは存在しないのと同じことだ。
司書と付き合いのある利用者ならば、世間話の延長線上で片斬の存在を知るかもしれない。だが、その戦いぶりを目にする機会はないし、あってはならない。
片斬とは、さながら幽霊のような存在なのである。
にもかかわらず、片斬家は明確な実在をもって権力を振りかざす。
その矛盾が、俺の出向に繋がったのだ。
姉さんが口を開く。その声は僅かに震えていた。
「だが、如月隊とて……いや、正式に部隊として認められたのだったな」
「そうです。今までは存在を秘匿されていましたが、今は違います。こうして、共に戦える。姉さんの誇りを、司書達の努力を、外に示すきっかけになる」
「必要ない。誰かに認められる為に、魔物を斬っている訳ではない」
「では、どうして自分達だけで戦おうとするのですか? それを名誉だと言わないのであれば――ただの作業であるのなら、如月隊の力を借りても問題がないでしょう」
「……、……」
姉さんが目を逸らす。
気付けば俺は、姉さんの目の前にまで近付いていた。
「『三百年の歴史』は、『片斬』という称号が得たものであるのに――姉さんの言う『歴史』は、片斬家の、家としての名誉の話になっている。それは、姉さんが最も唾棄しているものではありませんか」
「……同じことだ。片斬家から片斬が排出されるのだから」
「たった一人の人間に、死ぬまで魔物の相手をさせる――それの何が名誉だというのです」
泣きそうだった。
漠然と『凄いもの』だと思っていた片斬が、実際にはあらゆる困難を押し付けられる人柱だと知った時、もう俺の隣には姉さんはいなかった。
姉さんは『そういうもの』として、大図書館地下六階、太陽の届かない場所に押し込められていたのだ。
情に訴えるべきではないと、頭では解っている。それでも、もう止められなかった。
「俺が来てから、少しは楽になったのでしょう? それの何がいけないのですか?」
「……、……」
「……何度でも言います。俺は大図書館を壊しに来た訳ではありません。便利な道具がある、協力したいという人達がいる、それを伝えに来ただけです。嫌われようと、何をされようと、俺達に悪意がないということだけは、これからも伝え続けます」
「……だが、簡単な話ではない」
「解っています。何年、何十年……俺達の代では無理かもしれません。ですが、これからも大図書館は続いていくのです。そして本は増え続ける。味方を必要とする時は、必ず来るでしょう」
過去に五度、大図書館で異変が起き、魔女からの連絡を受けて如月隊が駆けつけたという。意図せぬ大結界の破損や、魔物の凶暴化等、理由は様々だが、その度に片斬との確執が生まれていた。
歴代の片斬は、『如月隊が邪魔をしてきた』と恨み事を残している。だが、それも当然なのだ。
魔物を斬るだけでいい片斬と違って、軍隊である如月隊には、国家と国民を護る義務がある。いくら戦闘能力が飛びぬけて高かろうと、片斬も司書も一般人と変わらないのだ。
それが、片斬のプライドを傷付けた。
結果、両者の溝はより深く、大きくなってしまった。そして世代が移り変わると共に、恨みだけが語られ続け……今の司書には、『如月隊は敵である』という常識が出来上がってしまっている。
簡単な話ではないのは、俺が一番よく解っていた。
それでも、俺はここにいる。
「如月隊は敵ではありません。魔物を倒し、人々を護るという目的は同じなのですから」
過去の敵対を踏まえ――新設された如月隊は、有事の際、片斬と提携して事態の対処に当たると決まった。その通達は、姉さんも知るところだろう。
姉さんは片斬家の当主であり、検閲前の情報を確認する立場なのだから。
「………………」
「……姉さん」
「……考えておく」
俺と視線を合わせないまま、姉さんが背中を向ける。
その背から、小さく声が響いた。
「最後に――魔女様についてだが、私は認めた訳ではないからな」
「それも認めさせてみせます」
「本当に、口が減らない弟だ。……だが、これだけは勘違いするな。片斬である私は、まだ貴様を認めてはいないし、如月隊と協力するなど以ての外だ」
だが、と姉さんの声のトーンが落ち、
「……だが、姉である私は、誠治を認めている。お前と一緒に戦えるのは、嬉しい」
「姉さん……」
「……聞かなかったことにしろ」
姉さんが歩き出し、次の瞬間には、その姿が消えていた。
「…………」
話にならない、と斬り捨てられた頃から比べれば、大きく進展したと思う。
だが、まだ何も変わっていないのだ。
様々な想いが入り混じる中、俺は深く息を吐く。
「――やってみせる」
決意を胸に、俺もまた歩き出した。
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