誠治と舞 (前)


 中央区画を確認し終えたところで、一度休憩。

 次に北区画を見て回り、二度目の休憩。

 そして今は、東区画を終えて三度目の休憩に入っていた。


 四人がけのテーブルと椅子があるだけの質素な部屋で、姉さんと向かい合って腰掛ける。地下十階にも、柱に司書用の部屋が出来ており、扉一つ隔てるだけで気分が楽になった。

 ただ、最初こそ会話があったものの、次第に無言になり……今回は、二人同時に溜め息が出た。

 体力は十分なのだが、精神的に辛かった。やることに変化がないから、一分一秒がとても長く感じられるのだ。頭よりも体が先に動く俺と姉さんには、軽い拷問だった。

 だが、俺達にしか出来ない仕事だ。

 時計を見ると、作業開始から既に十二時間以上経過していた。


「「…………」」

 他人と一緒の時は、『何か喋らなくては』と緊張してしまうが、姉さん相手にはそれがない。無言の時間を共有出来る。

 それは姉さんも同じようで、普段よりも少しだけ、気の抜けた顔になっていた。

 何の音もなく、ただただ静かなこの場所は、道場を思い出す。

「なんだか、懐かしい空気ですね……」

「そうだな……」

「……」

「……」

「……あ、そうだ」

 ふと、大事な話をし忘れていたことに気付いた。

 だから俺は、居住まいを正し、

「姉さんに、伝えなければいけない話がありました」

「ん、何だ?」

「先日から、アニスと付き合い始めました」

「はぁ?! ――ッ!」

 ガタッ、と姉さんが椅子から立ち上がり、勢い余って机に脚をぶつけて悶絶するという、普段ならば絶対にありえない姿を見せた。そこまで驚かれるとは思わなくて、こっちが驚いてしまう。

「だ、大丈夫ですか姉さん」

「へ、平気だ……。それより、今のは本当か?」

「は、はい」

「そう、か……」

 がたん、と姉さんが椅子に座り直し、小さくぼやいた。

「進展がなさそうだったし、とっくに振られたものかと思っていたぞ……」

「ひ、酷い」

「失敗したな……。……お前は、私の婿にするつもりだったのに」

「む、婿?!」

 今度は俺が驚いて立ち上がり、机に脚をぶつけることになった。地味に痛い。

「なんだ、嫌か」

「い、嫌じゃないですが、予想すらしていませんでしたよ、そんな話!」

 驚きが隠せず、混乱しながらも椅子に座り直すと、姉さんがちらりと俺を見てから、明後日の方を向いて腕を組んだ。


「私も十八だからな。見合いの話も出ているんだ。だが、そんなものに興味はないし、そもそも私よりも弱い男なんて嫌だ。その点、誠治には見込みがある」

「……ですが俺は、『どこの馬の骨とも知らぬ男』、ですよ?」

「如月隊に、補欠とはいえ入隊したんだ。身を立てた、という意味では十分だろう。あとは結果が出ればそれでいい」

「いやいや、仇敵ではありませんか。普段は否定しているではありませんか」

「仇敵だからこそ、だ。より切れ味の高い片斬を求めるのであれば、同等の力を持つ者が必須となる。大図書館の『片斬』としては納得出来ない話だが、それを排出する『片斬家』としては、一考の価値があるだろう」

「こだわりますね……」

「当然だ。血を濃くしたいのであれば、近親婚でもなんでもすればいいが、片斬はそれを良しとしていないからな。日本刀と一緒だ。大量の木炭から少量の玉鋼を得て、それを鍛え上げるように、片斬家はあらゆる血を受け入れて、最高の一振りを作ろうとしている」

「それはもう、遺伝子を弄った方が早いのでは……?」

「既にやった」

「えっ、」

「私がそうだ」

 平然と言われたものだから、すぐには言葉の意味が理解出来ず、俺は数拍の間、間抜けな顔を晒すことになった。

「……ほ、本当ですか」

 驚きながらの問いかけに、返ってきたのは呆れたような溜め息だった。

「お前なぁ、ただの人間が魔法なしで二メートルも飛べる訳がないだろう。お前は私という存在に慣れすぎている。少しは疑問を持て」

「え、えええぇぇぇ……。鍛えれば、俺でも姉さんの領域に至れるのではないのですか……」

「無理だ」

「そ、そんな……。で、でも、姉さんが俺よりも強いのは事実ですから」

 誰よりも強くて、美しい、俺の姉。

「貴女はいつだって、俺の自慢で、目標です」

 改めての言葉に、姉さんが少し驚き、ふっと小さく笑みを零した。

「お前は本当に変わらないな、誠治」

「でも、驚きました。まさかそんな……」

「言ったろう、片斬家はあらゆる血を受け入れる。……手段の為なら、目的を選ばんのさ」

「それは……」

「……見合い相手と言ったって、相手は試験管の中の精子で、私は卵子を提供するだけだ。腹を痛めることもない。なのに家の者達は、買う精子の家柄に執着するんだ。馬鹿げた矛盾だよな」

「……、……」

「……そうさ、前に誠治が言っていたとおりだ。片斬家は、大図書館の外に出れば何の力も持たない家だ。それなのに、三百年の歴史を持ってしまった。……歴史は重みを持つ。その重圧を支え、肥大化した自意識を保つには、もはや血統しか縋るものがないんだよ」

 唾棄するように、姉さんが言う。その視線は下がり、虚空を見つめていた。


「私は片斬であることに誇りがある。一生涯かけて魔物を斬ろう。だが…………だが私は、片斬家には生まれたくなかった。お前と、マキちゃんと、仲良く道場に通っていたかったよ」

「姉さん……」

「……って、私の話はいいんだ。魔女様に悪い虫が付いたとなれば、斬らねばならん。だが、いつの間にそんな仲になったんだ?」

「告白した後も、ずっとアプローチを続けていたのです。そのくらい真剣に、アニスのことが好きです」

「そうだったのか……。そうなると、諦めるしかない、のか……」

 姉さんは視線を下げ続けている。

「まぁ、片斬家当主としては、種さえもらえれば問題ないんだが」

「姉さん……。……でも、俺のでいいのですか?」

「ん?」

「……俺は今も、姉さんに嫌われているものとばかり……」

「私が誠治を嫌う? 何故だ、どうしてそんなことになる」

 僅かに上がった姉さんの目を、俺は見つめ返す。

 五年前は、その目を見ることすら出来なかったことを、思い出しながら。

「五年前……俺達は、喧嘩別れをしてしまったではないですか」

「ああ、あれか……。アレは、私が未熟だっただけだ。マキちゃんのことをお前に当たってしまっただけで、お前は悪くなかったんだ。心配からの言葉なのは解っていたのに、それを素直に受け取れなかった私の未熟さが悪い。だが、謝る余裕すらなかった。『片斬』になってしまったからな」

 だから、と姉さんが頭を下げた。

「ごめん、誠治。私が間違ってた」

「ね、姉さんが謝る理由なんて……」

「いいんだ。誠治は何も悪くなかった。お前が悪かったことなんて、一度もなかったんだ」

「姉さん……」

 何か言おうと思うのに、上手く言葉が出てこなくて……先ほどまでとは違う、言葉を探るような沈黙が広がってしまう。

 ただただ、姉さんを見つめる。すると、その視線がまた下がってしまった。


「……誠治は、成長したな。二ヶ月ほど前、喧嘩のように剣を交えたことがあったが、あの時は特にそう思ったよ。実力はあれど、自己主張の下手だったお前が、ああも言うようになっているとは……。私には、お前が別人に見えた。男子三日会わざれば――などというが、五年だからな。当然か」

「……次に逢う時、姉さんは片斬になっていて、過去のように話せないのは解っていましたから」

 五年前、姉さんに嫌われたと思った俺は、塞ぎ込んだ。それは軍学校に入学してからも変わらず――しびれを切らしたマキ隊長殿と蓮夜殿に、俺は叱られたのだ。

『黙っていたら、何も伝わらない』

 安易な言葉を口にして失敗した俺には、恐ろしい言葉だった。だが、だからといって、口を閉ざしてしまったら、もっと大きな失敗をしてしまう。

 言葉は取り消せない。だからこそ、一言一言、相手に対して真摯に向かっていくしかない。それに気付かされて、俺はようやく顔を上げることが出来たのだ。

「伝えようとしなければ、相手には絶対に届きません。それを教えてくれたのは、隊長殿でした」

「マキちゃんが……」

 姉さんを見つめながら、俺は両手をぎゅっと握り締める。

「姉さんが言うほど、俺は成長していません。俺はまだまだ未熟で、人から聞いた話をただ喋っているだけです。ですが、その知識を教えてくださった人達は、誰もが一流の方々です。俺が成長したように見えたのなら、それは俺一人の力ではなく、多くの人達が支えてくれたからこそ、なのです」

「……そうか。誠治は、孤独ではなかったんだな。それに比べて、私は……」

「姉さん……」

「……大図書館の外、か」

 姉さんが深く息を吐き、背もたれに体重を預けた。


「帝都は……アレだ。一夫多妻が合法になってたりしないか?」

「姉さん……」

「駄目か。名案だと思うんだが……。あとで魔女様とも話し合ってみよう」

「姉さん……?」

「嫌か?」

「俺はアニス一筋ですので」

「嫌かどうかを聞いてる」

「嫌ではないです。姉さんはとても美しいですから」

 顔が、というだけなら、それ以上の美人は多いだろう。だが、その立ち振る舞い、剣に打ち込む姿勢、どんな相手だろうと怯まない度量は生粋のもので、その全てを内包して凛と立つ姉さんの姿は、震えるほど美しいのだ。

「こうして一緒に働くようになって、何度も思いました。『姉さんに斬られて死ねたら、どんなに幸せだろう』、と。そのくらい、貴女は美しい。だから、こう……好きとか嫌いとかを超越した、信仰心のようなものがあります」

「それはちょっとなぁ……」

 ドン引きされてしまった……。

「……だが、そうか。恋愛ではなく、親愛や敬愛という感じか」

「そんな感じです。でも、その……」

「うん?」

「ずっと好きですよ、姉さんのことは」

「知っているさ」

 物心付いた頃から、十三歳の多感な頃まで、『斬られてもいい』と思えるほど美しい人が、ずっとそばにいたのだ。そりゃあ信仰心も芽生えるというものだし、今にして思えば初恋の人だった。

 その人を姉と呼べるのは誇らしく、失望されたくなくて必死になり――五年前、姉さんから拒絶された時は自殺すら考えた。そのくらい、俺は姉さんを心から好いているし、愛している。

 姉、として。

 俺だって男である。姉さんと共にいてドキドキしたことは、一度や二度ではない。けれど、根底にある信仰心が、邪な気持ちを打ち消してきた。そんなことでは姉さんのようにはなれない、姉さんに認めてもらえない、と自分を律してきた。


 だから気付かなかった。気付けなかったのだ。

 姉さんが、俺をどんな風に思っているのか――



 

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