第二章

司書の仕事


 波乱はありつつも、晴れて正式に大図書館勤務となった訳だが、

「なんですか、この魔物の群れは!」

「地下六階では、これが日常茶飯事だ」

 視界から片斬殿が掻き消えて、俺は慌てて後を追う。


 相対するのは、悠然と空を飛ぶ龍、四本腕の巨人、首のない鎧騎士、脚の生えた巨大キノコ、長槍を携えたリザードマンの軍勢、カマイタチの群れ――と、和洋折衷どころの騒ぎではない。様々な異世界の魔物が、具現化して襲いかかってくるのだ。

 強大な魔物になればなるほど、弱点があると聞く。龍の逆鱗など、浅学である俺でも知っているほどだ。だが、そんなものは関係がない。いかに巨大な龍であろうとも、首を落とせば一撃だろう。それを成し得るのが片斬であり、如月隊隊員の条件である。

 故に、


「――斬る!」


 気迫と共に、俺は速度を乗せて剣を振るう。

 巨人の豪腕、鎧騎士の大剣、竜人の長槍――あらゆる脅威を斬り伏せて、紙の山へと変えていく。

 剣の師範から学んだ、時に荒唐無稽にすら感じた『魔物との戦い方』が、全て実を結んでいるのが解る。ならば、後は実践していくだけだ。

 縦に、横に、斜めに、縦横無尽に魔物を斬る。

 先を行く片斬殿は、疾風迅雷の如く、俺の倍以上の速さで魔物を斬り伏せていた。そして書架を足がかりにし、天井付近まで軽やかに駆け上がる。

 向かう先には、雷を纏う龍の姿――


「――殺す」


 一閃。

 思わず見惚れるほどの鮮やかさで、龍の首が落ちる。

 それが床へと激突した瞬間、雪球が砕けるように、胴体と共に紙となって弾けた。


 片斬殿が振るう日本刀は、司書に支給されているそれとは違う、片斬家に伝わる特別なものだ。

 恐ろしいほどの切れ味を持ちながら、鋼鉄製の軍刀と打ち合っても刃こぼれ一つしない、高い強度を持つ日本刀。その銘を、『桜花』という。

 魔法を使わない片斬家において、唯一魔法技術を取り入れている業物だ。

 その切れ味は、持ち主の力量に左右される。達人の域に達したならば、森羅万象ありとあらゆるものを斬り伏せることが出来るのだ。

 さしもの魔物も一様に怯み――その一瞬を見逃すほど、俺は呑気ではない。

 残っていたイタチとキノコを斬り伏せたところで、片斬殿が音もなく着地する。

 紙吹雪の中で刀を納める姿は、映画のワンシーンのように美しい。絵になる人だった。


 舞い上がった大量の紙は、列を成してアニス殿の部屋へと飛んでいく。書架よりも高い場所を流れていくそれは、まるで天の川のようだ。それを見届けてから、俺もまた剣を収め、小さく息を吐いた。

 実戦続きで、つい弱音が出そうになるが、それをぐっと飲み込んだ。

「大丈夫ですか、片斬殿」

「問題ない」

 淡々と言ってから、片斬殿が周囲を見回した。

「……日常茶飯事だと言ったが、あれは撤回する。今週はやや魔物の出現数が多い。私は上階に異常がないか確認してくるから、貴様は魔女様にこのことを報告してこい」

「了解しました。ですが、その前に少しは休憩を――」

「いらん」

 その三文字を残して、片斬殿の姿が消え失せる。

 あれが片斬、これでこそ片斬。大図書館を司る『片斬』はこうでなくては――

 と、誰もが絶賛するであろう働きぶりだった。

 嫌になる。

「片斬、か……」

 嫌な予感が的中してしまった。五年前の決別から、姉さんもまた変化している。――より悪い方へ、より頑なに。

 ただ、人の本質は簡単には変わらないものだ。特に味の好み――甘いものが好きなところは変わっていないだろうし、月末に駐屯地へ報告に戻る際には、何かお土産を買ってこよう。

 予定を一つ決めてから、俺は報告の為にアニス殿の自室へと歩き出した。


 大図書館で生活し始めて、早三日。司書用の部屋を借りたこともあり、一切外には出ていない。太陽を見ない生活にも慣れつつあるが、それはつまり、朝焼けの美しさや、昼の陽の穏やかさ、そして夕日の物悲しさに心を動かされることもない、ということだ。若干の寂しさがある。何より、腕時計が必需品になった。

 駐屯地にいた頃は、時報のラッパと日の傾きで時間を判断出来ていたが、静かな室内である大図書館ではそうもいかない。ついつい窓を探しそうになってから、腕時計に視線を向けることもしばしばだった。こうした変化は予想していなかったから、慣れるのに時間がかかっている。思っていた以上に、様々なことに順応していかねばならない日々だ。

 ただ、この地下六階に満ちる静寂と、しんとした空気は好きだ。早朝の、まだ誰も来ていない道場を思い出す。静かに集中出来る環境であるのは確かだった。

「……っと、そうだ」

 ふと気付いて立ち止まり、俺は軽く身だしなみを整える。

 着ているのは軍服ではなく、大図書館から借り受けた司書制服である。最初は軍服で、と思っていたのだが、片斬殿の「殺すぞ(意訳:目立つ格好をするな殺すぞ)」という一言で司書制服となり、軍刀も左腰に差していた。

 更に、大図書館の利用者には司書として応対するよう、片斬殿から言いつけられている。仕事が多く、不安がないと言えば嘘になるが、新しいことを覚えるのは面白いものだ。最初から完璧を求めても上手くいかないのは、剣の道において痛感している。

 稽古のように、一つずつ丁寧に。それを心がければ問題ない――はずだ。

 決意を新たに、俺はアニス殿の部屋の前へ立った。


 部屋といっても、外観は大図書館の柱だ。横二メートルほどの大きな柱の一面に、木製の扉が付いている。こうした部屋は大図書館の各所にあり、俺が借りている部屋もその一つだった。

 とはいえ、アニス殿の部屋だけは、他の部屋と趣が違っている。扉は歴史を感じさせる重厚な色合いで、中央に丸いガラスが嵌めこまれていた。

 その扉をノックする前に、俺はガラスに薄く反射した自分の顔を確認する。

 変なところはないだろうか。周囲からは整っている方だと言われるが、自分ではよく解らない。ショートの黒髪、二重の目。歯並びには自信があるが、他は普通の顔だ。

 大図書館で働き始めてから、身だしなみを気にする頻度が増えた。アニス殿に変に思われたくなくて、ついつい確認してしまうのだ。……だが、悩んだところで突然二枚目になれる訳でもない。一つ息を吐いて頭を切り替えて、俺は扉を軽くノックする。

 すると、すぐに返事がきた。

『開いているよ』

「――失礼します」

 扉を開き、部屋の中へ。そこには、魔法で広々と拡張された空間が広がっていた。



 

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