魔女の仕事
部屋の中は、暖色系の穏やかな光と、春の陽気のような暖かさに満たされている。
入ってすぐに広がるのは、横長の十二畳ほどの部屋だ。応接室と執務室を合わせたような作りになっていて、壁際には本棚が並び、手前側に来客用のソファーセットが、奥側に木製の立派な執務机が鎮座している。
出入り口の対面にはもう一つ扉があり、その先はキッチンルーム、更にアニス殿の寝室に繋がっているという話だ。
先ほど斬った魔物は既に本に戻されたようで、執務机の脇に本の山が出来上がっている。その向こうで、アニス殿が苦笑気味に微笑んでいた。
「ああ、報告はしなくていい。二人の会話は聞こえていたからな」
曰く、魔女には大図書館中の声が届き、異変があればすぐさま感じ取れるという。流石の一言だった。
「アニス殿は、どう感じられましたか?」
「確かに、舞の言うとおりだ。誠治が来てから三日、魔物の数は増えている。ただ、数が多いというだけで、出現回数そのものは平均内ではあるんだ」
「これで平均的なのですか……」
大図書館で働きだした当日から、数時間おきに魔物を斬っている。一匹の時もあれば、先のように軍勢で現れる時もあり、気の抜きどころが解らないまま三日経っていた。
……恐ろしい場所だ。それが顔に出てしまったか、アニス殿が苦笑し、言葉を続けた。
「魔物を封じている魔法は様々だ。『中のものを絶対に出さぬ』、と強固にしてあるもの。悪意を持って魔物が出現しやすいようにしてあるもの。はたまた、周囲の魔物を活性化させるものまである」
「そんなものまで」
「ただ、それ自体に害はないんだ。家畜と同じように、魔物を労働力として使役している世界は多いから、本来はその力を強化する為に使われる。だが、本自体に判断能力はないからな。周囲の本が魔物化したことで起動してしまい、先のような魔物の大群を生み出してしまうことがある。何より、強大な魔物は身に纏っている魔力も強いから、それが周囲に悪影響を与えるというケースもある。つまるところ、運が悪いと重なる、という訳だ」
「では、運がいい時は?」
「一ヶ月ほど暇になる」
「む、ムラがありすぎますね」
「ただ、こればかりは読めないからな。常に警戒し続けなければならない」
「……片斬殿が働き詰めになる訳ですね」
「そうだな……」
アニス殿も思うところがあるのか、表情を曇らせる。
だがすぐに、苦笑気味に微笑んだ。
「その負担を減らす為の仕事を始めるから、二歩ほど左に寄ってくれるか。そう、それでいい。――よっと」
指揮をするかのように、アニス殿が右手をふいっと揺らし、部屋の出入り口を指し示した。
すると、その軌跡にキラキラと光の粒子が生まれ――独りでに扉が開き、机の上に詰まれていた本の山がふわりと浮き上がり、滑らかな動きで部屋の外へと飛んでいく。
入れ替わりに、十冊で一山になった本が、次々と部屋の中へと入ってきた。
見る見る内に、執務机の周囲に本が詰まれ、机が見えなくなっていく。そして最後の一山が机の上に乗ると同時に、扉が静かに閉まったのだった。
そして、アニス殿が本を一冊手に取り、その表紙に触れた。
「これを――こう」
掌と本の間に、白銀色に輝く魔法陣が浮かび上がり、それがふっと消え失せる。それで一工程であるのか、本を左側に置くと、次の本、次の本と作業を続けていく。
「こうして本を浄化し、魔物として具現化しないようにする。これが魔女の主な仕事だ。こればかりは一括で処理出来ないから、一冊一冊手作業になる。だが、こうして丸一日作業しても、その日の内に同程度の本が増えていく。それが帝都大図書館なんだ」
「勝手に本が増える、という話は伺っていますが、具体的にはどういうことなのですか?」
「お台場にある異界門(ゲート)に異世界人が現れるように、書物だけはここに集うように細工を施してあるんだ。そうして大図書館は自己増殖を続け、現在では地下十一階が出来つつある」
異界門とは、お台場に存在する巨大建造物だ。
外観は凱旋門のようであり、中は空港に似た造りになっている。やっていることも、外国への出入国審査と同じだ。
江戸時代、黒船を警戒して造られた砲台場が、今では異世界人を迎える場所になっているのだ。
魔法を受け入れ、異界門を抱え、今日も帝都は人で溢れる。それと同じことが、大図書館の地下でも起きていたとは。
と、十冊の浄化が終わり、詰まれた本がふわっと浮かんで部屋の隅に。そして別の十冊が机の上に移動してきて、アニス殿が作業を再開した。
「まぁ、魔女が読書の時間を減らせば、もう少し作業効率も上がるんだろうが……しかしながら、魔女は知識を食べて生きているような存在だ。中々難しい」
「この大図書館は、魔女の書斎でもあるのですね」
「そうなる。本を読みたい魔女と、知識を欲した人類。その利害が一致した結果の、大図書館なんだ」
「では、その浄化作業が終われば、次は地下七階に拠点を移すことに?」
「ああ。だが、浄化しただけで終わりではないぞ? ここは図書館だからな。こうして浄化の終わった本は、後に上階へと運ばれ、司書達が識別と管理用のラベルを一つずつ張っていく。そうしてようやく、蔵書として並べられるようになる。つまり、この地下六階以降は倉庫のようなもので、何より魔物が出て危険だから、魔女と片斬以外の立ち入りを禁じている訳だ。……その為の結界、だったんだがな」
アニス殿が苦い顔をする。だから、問わずにはいられなかった。
「……結界が消えていた原因は、判明しましたか?」
「解らない、というのが正直なところだ。今話したとおり、周囲に影響を与える本がごまんと存在している以上、それらが結界に悪影響を与えていた可能性があるからな。これだ、という原因を突き止めるのが難しい。何より、私と舞に『誰も降りてこないだろう』という慢心があったのも確かだ。良くも悪くも、意識を改めるきっかけになったよ。だから、誠治は心配しなくていい。結界の消失と誠治は無関係だ」
「そ、そうでしたか」
ほっと胸を撫で下ろす。実はずっと気になっていたのだ。そんな俺に、アニス殿が優しく微笑んだ。
「他にも気になることがあれば、私に質問するといい。ここは閉じた世界で、外の常識が通じない部分も多いからな」
「ありがとうございます、アニス殿。――では、俺にも何か手伝えることはありますか?」
「そうだなぁ……。なら、甘めのココアを淹れてくれ。ココアの瓶と砂糖はキッチンテーブルの上、牛乳は冷蔵庫の中にある。こげ茶のマグカップが私ので、白地に猫の柄が舞のだ。そろそろ戻ってくるだろうから、淹れといてやってくれ」
「了解しました。片斬殿も甘めで大丈夫でしょうか?」
「ああ。あれでいて、舞は甘いものが好きだからな」
やはり、昔と同じだ。それに安心する。
「では、アニス殿は――」と問いかける間にも、彼女の作業は続いていて、「――いえ、作業の邪魔にならぬよう、俺はキッチンにいますね」
「いや、気にしなくていい。むしろ話し相手になってくれた方が、適度に気が散って飽きずに済む」
一冊、一冊と、まるで書類に判を押していくかのように作業が進んでいく。
確かに単調そうであるし、彼女がそう言うのなら、と俺は姿勢を正した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます