魔女と片斬
「二人とも知り合いだったのか。何より驚いたよ。片斬の剣を受け止め、のみならず打ち合ってみせる人間がいるとはな」
驚きと関心のある様子で言う魔女殿に、俺は恐縮するしかない。
「いえ、俺など姉――片斬殿とは比べ物になりません。まだまだ未熟です」
「ふぅん? まぁいいだろう。それで、君はどうして大図書館へ?」
「そうだ。貴様、何故ここにいる」
険のある顔で姉さん――いや、片斬殿に睨まれて、俺はようやく、自己紹介すらしていなかったことを思い出す。
慌てて姿勢を正すと、俺は深く敬礼した。
「申し遅れました。俺は帝国陸軍如月隊補欠、神木・誠治と申します」
「如月隊ィ? ハッ、落ちぶれたものだな誠治! 姉弟弟子の情けだ、今すぐに殺してやる」
ぎらり、と片斬殿の目に殺意が宿る。
冗談のような物言いだが、先の行動といい、全て本気であるのが片斬・舞という人だ。神木道場で共に剣を学んでいた頃、『殺す』の言葉と共に何度泣かされたことか。
自他共に厳しく、『正しい』と自分に定めたことは決して揺らがせない人だ。例えそれが間違いであっても、『カラスは白い』と身に定めたのならば、彼女は死ぬまでカラスを白いと言うだろう。
この五年で格段と美しくなっているが、その物言いは何も変わっていない。なればこそ、俺は声を張るのだ。せめて気迫では負けないように。
「落ち着いてください、片斬殿! 俺は、片斬と和解する為に遣わされたのです!」
「和解? 誰からだ」
「帝国陸軍如月隊隊長――如月・マキ殿からです」
俺の言葉に、片斬殿が目を見開き――直後、小動物ならば射殺せそうなほどの眼力で睨まれた。
それに怯まず、俺は言う。
「俺は隊長殿に選ばれ、大図書館へ参上したのです」
「……そうだな。貴様のような未熟者を寄越す理由は一つしかない。私を封じられるからだ。だが私は――いや、待て。お前今、所属を名乗ったな?」
「はい。マキ殿が隊長となり、如月隊は正式に――いえ、新規部隊として新たに兵を招集した形になります。二・三日の内に、こちらにも通達が届くでしょう」
帝国陸軍に、その存在を秘匿された機密機動部隊――如月隊。
大図書館の運営と共に、魔物を斬り続けてきた豪傑――片斬。
その対立は三百年に及び、今も続いている。
『片斬』とは、この帝都大図書館の司書長に与えられる称号だ。故に、その部下である司書もまた、如月隊を敵視している。それを変えにきた、と言ったのだ。片斬家当主としては、到底信じられる話ではないだろう。
片斬殿の殺気は緩まない。だからこそ、俺は言うのだ。
「隊長殿は言っておられました。『共に、この閉じた世界を変えよう』、と」
「……、……」
暫く俺を睨んでから、片斬殿がふっと視線を逸らし、
「――龍ヶ崎に確認してくる。そこを動くな」
その姿が消え失せた。
思わず階段の方を見やるが、その姿を見つけられない。飛んだのか、走り去ったのか、それすらも解らない、目にも留まらぬ速さだ。五年前よりも更に鋭く、研ぎ澄まされているのが解る。……本当に恐ろしい人だ。
様々な想いが胸に渦巻く中、姿勢を正すと、魔女殿が苦笑気味に微笑んでいた。
「まさか、如月隊からの出向者だったとはな。人生とは予期せぬことが起きるものだが、まさか魔女の身においてもそれを実感するとは思わなかった。神木・誠治――お前は歴史を変えにきたのか」
「そうです。ですが、俺一人で何かを変えられる、とは思っていません。俺というきっかけが、変化を起こす呼び水になれば、と考えています」
「志は高く、しかし謙虚、か。軍人のお手本のようだな。面白い」
嫌味でも、冗談でもなく、本当に面白がっている様子だった。それに若干困惑するが、同時に、当然なのかもしれない、とも思う。それくらい、片斬と如月隊の溝は深いのだ。
「舞が戻ってくるまで、暫くかかるだろう。お茶を出すから、私の部屋で待っているといい」
「ありがとうございます、魔女殿。ですが、『そこを動くな』、と言われましたので」
「は……? それは言葉のあやだろう?」
言ってから、魔女殿が何かに気付いた様子を見せ、表情を曇らせた。
「いや、そうだった。相手は舞だったな……。ミリ単位のズレでも殺しにくる女だった」
「ご存知でしたか」
「色々知っているよ。知らないことも多いがね」
少し、寂しそうに魔女殿が言う。だが、すぐに微笑みに戻ると、俺の前へとやってきた。
俺が身長百七十五センチほどなので、見下ろす彼女は百五十センチほどだろうか。俺を見上げてくる琥珀色の瞳には、興味深そうな色があった。「興味深いな」。口にも出ていた。
「俺など、なんの面白みもありません」
「いいや、この地下六階に立っている時点で、十分に面白い。――舞に話した言葉は事実だろうが、本当は迷い込んだんだろう?」
「み、見抜かれていましたか」
距離が近いこともあって、余計に焦ってしまい、恥ずかしかった。
「私は魔女であり、この大図書館の館長だからな。そのくらい解るさ」
「実は、大図書館を利用したことはなかったもので……。正式には来月から出向する手筈になっておりまして、今日はその下見に来たのです」
本日、八月十日の昼に辞令が出たばかりなのだが、その通達が大図書館に届くまでに、一度足を運んでおきたかったのだ。
魔女殿が、納得した様子で頷いた。
「そうだったか。だが、この地下六階に迷い込んだのは不味かったな。本来であれば、許可がない者は降りられないんだ」
「だから片斬殿も容赦がなく――いえ、あれはいつもどおりでしょうね……」
魔女殿が露骨に視線を逸らす。雄弁すぎる答えで、それ以上追求する気は起きなかった。
不審者だった俺に対し、魔女殿が何気ない様子で声をかけてきたのは、すぐに片斬殿が飛んでくると解っていたからなのだろう。
「ですが、許可というのは? 俺は誰に咎められることもなく、階段を下りてきたのですが」
「なんだって? ――ちょっと確認する」
魔女殿が目を伏せる――と、蛍が光るように、魔女殿の周囲にいくつもの光の粒子が生まれ、空中をふわりと舞い始めた。そして暫くしてから、雪のように儚く消えていく。
その美しい様子とは裏腹に、魔女殿の表情は厳しいものになっていた。
「……人払いの結界が消えていたようだ。張り直しておいた」
「今の一瞬で、ですか」
人々が扱う魔法と違い、魔女のそれは全能の力だ。人類の進歩を止めぬよう、ある程度以上の奇跡は自発的に制限をかけていると聞いていたが、それでも予想以上の力であるようだ。
「流石は魔女殿、噂に違わぬお力です」
「ありがとう。だが、妙なんだ。先のとおり、地下六階以下は魔物が出る危険な場所だから、一般の利用者が入り込めないようにしてある。その為の結界が消えていたんだ。偶発的な事故か、或いは人為的なものか……」
人為的、のところでちらりとこちらを見られて、俺は慌てて首を横に振る。
「俺は何もしていません。これから和解をしよう、というのに、不審を招くような真似をしては意味がありませんから」
「それもそうだ。だが、心しておいた方がいい。正式に大図書館に配属となれば、司書達は誠治を怪しむだろう。評価を変えたくば、誠心誠意働くことだな」
「心しておきます。……魔女殿は、俺の味方をしてくれるのですか?」
「私には敵も味方もないさ。だからこれは、単純な好奇心。――私は、神木・誠治という人間に興味が湧いた」
魔女殿が俺を見据え、微笑む。
「帝国陸軍如月隊からの出向、大図書館館長であるこの私が認めよう」
「ありがとうございます!」
深く頭を下げる。通達前に蹴られる、という最悪の事態も覚悟していたのだが、そうならずに済んでよかった。
ほっと胸を撫で下ろし、俺は改めて魔女殿と向かい合う。
魔女殿は、十代半ばの少女のようにしか見えない。だが、彼女は既に五十年以上、この大図書館で館長を務めている。隊長殿曰く、その長命さから、彼女達は自らを『魔女』と名乗るようになったのだという。
外見上の違いがあるとすれば、髪の隙間から覗く耳が少し尖っているくらいか。それも髪に隠れてしまえば解らない。『大図書館の魔女』、という言葉から想像していた女性像よりも、ずっと身近で、可愛らしい相手に感じた。
「そうだ、魔女殿に大事なことを聞き忘れていました」
「なんだ?」
「魔女殿のお名前を、教えていただけますか?」
「……、……」
「魔女殿?」
魔女殿がきょとんとした後、楽しげに笑いだした。そのまま暫く笑った後、彼女は姿勢を正し、
「いや、すまない。……そうか、名前か。名前を聞かれるなんて十年ぶりで、一瞬何を聞かれたのか解らなかったよ」
「そ、そうなのですか?」
「そうなんだ」
だからなのだろうか。嬉しそうに、魔女殿が微笑んだ。
「私はアニスという。これからよろしくな、誠治」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます