第六章

不穏な噂


 二ヶ月、三ヶ月、と日々は流れ、十二月半ば。

 大図書館の中は気温が一定に保たれている為、季節感とは無縁だ。なので、先日駐屯地へと報告に戻った際、随分と冷え込むようになっていて驚いた。

 もう冬なのである。


 俺のやることは変わらない。

 魔物退治の傍ら、司書の手伝いをし、利用者の案内を行う。

 相変わらず多くの司書達から嫌われているが、一階受付の眼鏡の女性、佐々木さんとは自己紹介が出来て、駐屯地へ出かける際には挨拶を交わすようになり、地下階の司書でも世間話をしてくれる人が出てきていた。

『司書』という単位で見ても、壁は薄くなってきている、はずだ。


 先の金髪の女性など、美人に弱ってしまうのも相変わらずだ。だが、アレコレ考えてしまうのは、アニスに対してだけだった。

 ただ、それを表に出して嫌われたくはなく、かといってアプローチしなければ発展もないのだ。恋愛というのは、かくも難しい。

 それでも、告白し続けると決めたのだ。アニスは素敵だな、可愛いな、と思った時には、素直に言葉にするようにしている。それはそれで恥ずかしく、不安もあるのだが、効果は出ている……はずだ。

 アニスとの距離も近くなっている、と思う。思いたい。


 告白のことを抜きにしても、朝食を作り、お昼にお茶を淹れて、夕飯を一緒に食べて――日々を共に過ごして、アニスのことを沢山知った。

 例えば、魔女である彼女にも好き嫌いがある。食べられないものはないのだが、ナスやブロッコリーの食感が苦手のようで、これは本人としても意外だったという。

 寝坊をする時もあるし、作業が退屈になってくると小さなあくびが出る。冗談も言うし、たまには間違える時だってある。

 その一つ一つが可愛らしく、愛おしい。


 アニスは、『私は恋愛に疎い』と言う。

 けれど彼女は、あらゆる本を読んできている。その中には恋愛小説も含まれているはずで――何か思うところがあるのか、熱のこもった目でじっと見つめられた時など、思わず抱き締めそうになってしまったほどだ。色々と我慢するのが大変だった。

 そういう、いじらしい姿も知って、ますますアニスに惹かれていく。好きになっていく。


 だが、こういう時に調子に乗ったり、気を抜いたりすると失敗するのが世の常だ、と蓮夜殿から注意を受けているので、浮かれそうになる頭を改めつつ、俺は日々を生きていく。

 アニスに年末の予定を尋ねたのは、そんな矢先のことだった。


「そういえば、大図書館に年末はあるのですか?」

「特にないな。地上階ではクリスマスや年末年始の飾り付けをしているようだが、ここまで下りてくると関係がなくなるからな」

「なら、今年からは何かしませんか? 美味しそうなチョコレートケーキのレシピを見つけたので、クリスマスに作ろうと思っているのです」

 大切な人とご馳走を囲む日。そんなハレの日を意識するだけで、人生はぐっと華やかになるものだ。

 俺はそれを、父さんから教わった。連日稽古を続けるからこそ、年中行事や誕生日を大切にして、日々にメリハリを付けていたのだ。だから、姉さんも乗ってくるはずである。

「そういうことなら、楽しみに待っていよう。……で、誠治は何をしているんだ?」

 浄化作業を行いながら問いかけてきたアニスに、俺は作業の手を止める。

 高さのあるソファーテーブルの上には、携帯端末と、姉さんから借りた書類、ノートと筆記用具、それと湯気立つカフェモカが並んでいた。

「先日、姉さんから司書のリストを借り受けまして、その中で戦闘に自信があるという方を抜粋しました。そして実際に逢いに行って、その実力を動画に収めてきたのです」

「動画に」

「こんな感じで」

 ソファーから立ち上がって、大量の本を避けて執務机の前へ。携帯端末――六インチディスプレイの、タッチパネル端末――を操作して、動画を改めて再生する。

 画面中央で、司書の男性が剣を振るい、いくつかの型を披露してくれていた。

「おおー……」

 アニスが感嘆の声を漏らす。


 世界中の誰もが持っている携帯端末も、大図書館の中では結界に阻まれて電波が届かず、本来の機能の大半を発揮出来ない。だから普及していなくて、司書達からも似たような反応をもらっていた。

 撮影出来た動画の数は少ないが、あからさまに無視されていた頃から考えたら、信じられない数だ。少しずつではあるが、変化を起こせているのを実感した瞬間だった。

「俺はまだ未熟で、人を育てられるほどの目はありません。それでも、剣の扱い方、体軸の乱れなどは見て解ります。初見は全て纏めてあるので、今は改めての確認作業中です」

「ほほう……。――それで、誠治から見て、司書はどうだ?」

「実力者が揃っていると思います。ただ……姉さん、そして先代の片斬である雪殿が優秀すぎた為か、実戦経験がある人がいません。これは問題に思いました」

「ん? 司書学校で魔物との戦い方を学ぶんじゃ――ああいや、実戦経験か」

「そうです。学校では周囲に先生や同輩がいますから、自信も付くでしょう。しかし、一対多の状況になった時、冷静に戦えるかどうか……」

「そうだな……。だがそれは、魔女と片斬という防衛システムが、正常に働いている証拠でもあるぞ?」

「確かにそうですし、素晴らしいことです。ですが、例外は常にありましょう。……嫌な噂も耳にしてしまいましたし」

「ああ、アレか……」

 魔物を倒し、他階の手伝いをし、アニスに好意を伝える傍ら……俺の与り知らぬところで、俺の噂が流れていた。


 曰く、

『神木・誠治が現れてから、魔物が暴れやすくなったらしい』

『神木・誠治は大図書館に混乱を起こそうとしているらしい』

『神木・誠治と如月隊が大図書館の転覆を企てているらしい』

 等々、である。


 動画を撮りに行っていたのは、地下五階と四階であり、噂が広がっているのはそれよりも上のようだった。

 ……顔には出さないが、気が滅入る。嫌いなら嫌いと、口に出してくれればいいのだ。なのにこう、遠まわし遠まわしに、俺の立場が悪くなるように仕向けている誰かがいるというのは、気持ちのいいものではない。

 こうして動画の撮影を受けてくれた裏で、俺を悪く言っている司書もいるのかもしれない――なんて考えてしまう自分が、嫌になる。

 変化を感じつつあるからこそ、それが辛く、悲しいのだ。

 とはいえ、司書同士の結びつきの強さからなる、同調圧力もあるだろう。俺を敵にすることで彼らの結束が強まっているのなら、それはもう仕方がない。その上で、俺は変化を起こすと決めたのだ。

 溜め息が出そうになるのをぐっと堪えたところで、アニスが深く息を吐き――悩ましげに、浄化の終わった本を胸に抱えた。


「あの噂、出どころがよく解らないんだ。昔から、『如月隊が大図書館を乗っ取ろうとしている』という話があるから、そこからの発想なんだと思うが……どうにも気持ちが悪い」

「どういうことです?」

「どんな噂にだって、それを言い出した最初の一人目がいる。それが見つからず、気付いた時には噂が広まっていたんだ。作為的なものを感じなくもない。魔物の暴れやすさなど、司書達には確認しようがないからな。……だが、考えすぎな気もするんだ。最近の私は、冷静じゃないからな」

 アニスが半目で俺を見る。若干非難するような色があった。

「私は大図書館中の声が聞こえるし、今もあらゆる音が届いているが、意識は誠治だけに向けている。こういう時、司書達の声は雑音のように通りすぎていくんだ。だから、余計に噂の出どころが解らなくなっている。……つまり、誠治がこの部屋に来るのが悪い」

「いいではありませんか。一人で作業するのは寂しいものです。――心配してくれて、ありがとうございます」

「べ、別にそういう訳ではなく……はないが、そのな……」

 アニスが若干赤くなる。それだけで胸のモヤモヤがすっと晴れるのだから、俺は単純なのだろう。

 自然と笑顔が浮かんだところで、アニスが抱えていた本を机の上に置いた。



 

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