昔話
「と、ともかく、だ。広まってしまった噂は、私にもどうにも出来ん。魔物が増えているのは事実であるし、一見して魔物だと解るもの以外も現れているのが厄介なところだ」
「アレには驚きましたね……。斬りましたが」
「あの躊躇いのなさには肝が冷えるよ」
三日前のことだ。大結界の張り直し作業中に本が開き、五歳ほどの子供が現れたから首を刎ねたのだ。どうやら、幼い外見で相手を油断させ、不幸と死をもたらす悪魔の類であったらしい。
「舞でも少しは――いや、舞も躊躇わんか……」
「『考える前に斬れ』、が片斬の信条ですから。姉さんは当然のこと、俺もその影響が強いのです」
相手が魔物であると解っている以上、躊躇わない。それが魔物退治の一番の秘訣だった。
と、アニスが何か逡巡し……躊躇いがちに、問いかけてきた。
「誠治は、舞を『姉さん』と呼んでいるが……二人は、実の姉弟という訳ではないんだろう?」
「はい。姉弟子である彼女を『姉さん』と呼び慕っている内に、それが根付いた感じです。出来れば本当の姉弟に――片斬家の養子に入りたいくらいでしたが、そうもいかなくて」
「どうしてだ?」
話している間に、二百冊以上はあろう本がふわりと浮かび、部屋の外へ。追加がないから、今日の分は終わったのだろう。
アニスが姿勢を改める。
普段なら誤魔化してしまうところだが、今は聞いて欲しい気持ちが強かった。
まだ三ヶ月半の付き合いとはいえ、毎日顔を合わせている相手だ。恋をしている相手だ。甘えを自覚しつつも、俺は言葉を続けた。
「俺は、捨て子だったのです」
「っ、そう、だったのか」
「はい。ですから、父さんと母さんは確かに俺の両親ですが、血縁上の繋がりはありません。そして片斬家は、三百年前から続く名家です。『どこの馬の骨とも知らぬ男を、養子にする訳にはいかない』、と突っぱねられました。そんな矢先、共に道場に通っていた少女が、後に如月を拝命すると発覚したのです」
「……それが、如月・マキか」
「そうです。お父上である龍ヶ崎少将の意向で、マキ隊長殿も何も知らされていませんでした。それが五年前――姉さんが大図書館で働き始める、少し前の話になります」
「……そうか、そういうことだったか……」
「姉さんを失い、目標をなくした俺は、隊長殿の勧めで軍学校へと入り……卒業後、新設された如月隊に補欠として入隊した、という訳です」
「今更だが、補欠なのにここに来たのか」
「機密部隊だった頃の名残で、如月隊は隊長以下十一名の少数精鋭、と決まっているのです。なので、『補欠』も特例ということになります。――そうだ、この前撮った写真を見せましょう。えっと……」
浄化済みの本がなくなったこともあり、俺は携帯端末を操作しながらアニスの隣に立った。
「真ん中がマキ隊長殿、その隣にいるのが、副隊長であり、俺の先輩である冴島・蓮夜殿です」
先日、帝都タワーの展望台で撮ったものだ。左から端末を持つ俺、両手でピースをする隊長殿、蓮夜殿が並ぶ自撮り写真である。背景には帝都の街並みが広々と広がっていた。
「この少女が隊長……冗談だろう?」
「いえ、彼女こそ、帝国陸軍如月隊隊長、如月・マキ殿です」
アニスの驚きも解る。『歩く特例』と揶揄されるほど、隊長殿は特別な扱いを受けている。だが、中身は普通の女の子なのだ。
写真をスクロールしていくと、望遠鏡を一生懸命覗く隊長殿、昼に食べたパンケーキタワーを見上げる隊長殿と蓮夜殿、外で手乗り帝都タワーを試す俺達三人、市場で蟹と一緒にピースをする隊長殿の写真などが続く。
「……軍隊?」
「休暇中だったもので。遊んでいる時は、どんな人でも笑顔になるものです」
「それは……そうか。……これも太陽と同じだな。私は休日の過ごし方を知っているが、実行したことは一度もなかった。舞や雪と笑い合うことはあっても、一緒に遊んだことはなかったんだ」
言われてみると、この部屋には本はあるが、他の娯楽がない。ビデオゲームは元より、トランプなどのカードも、ボードゲームも一切ないのだ。
アニスが、携帯端末にそっと触れた。
「携帯端末も、想像していたよりもずっと手軽そうで、綺麗だ」
「ですが、端末には魔法は一切使われていません」
「なん、だと……」
「魔法であらゆることが可能になったとはいえ、科学技術や工業技術の発展が止まった訳ではないのです。むしろそれは、資金繰りや利益追求から解放されたことで、より自由になったと聞きます。そして、その飽くなき探究心は、魔法技術にも注がれています。まだまだ魔女の魔法には敵いませんが、日々進歩し続けているのです」
「それを聞いて安心したよ。だが、いずれは抜かされてしまうのだろうな」
「そうなれば、魔女は本を読んでいるだけでよくなります」
「それも――そうか」
「歴史を積み重ねる――それはとても尊いことです。ですが、文化の伝承と、新たな技術の導入は矛盾しないでしょう。伊勢神宮の建て替えは今も続いていますが、それにはトラックや重機を使うのですから」
だが、言うほど簡単なことではないのは解っている。長い歴史を積み重ねてきたからこそ、大図書館は頑なであり、そこには不変に対する信仰がある。
俺もその気持ちは解るのだ。外の世界は変化に富んでいるが、だからこそ目まぐるしく、騒々しい。対し、外界から切り離された大図書館の静けさは、道場のような落ち着きと心地よさを与えてくれる。この空気が失われるような変化は、俺も望んでいない。
それはアニスも同じようだった。
「心というのは複雑なものだな……。確かに誠治の言うとおりだと思うが、いざ自分の変化を提示されると、抵抗を感じてしまう。以前……その、誠治から告白された時に、色々言われた時もそうだった。特に私は魔女で、不変の生き物だから、余計かもしれない」
でも、とアニスが顔を上げる。そこには、不安と期待が入り混じっていた。
「でも私は、新しい本を読むのが好きだ。知らないものを知るのが好きだ。片斬と司書が変化を望むのであれば、館長として私はそれを見守ろう。だから、その……ちょっと、距離が近い」
「嫌ですか」
「し、真剣な話の流れで口説こうとするんじゃない!」
ほら、あっち行く! とアニスに背中を押されて、撤退する。内心ドキドキものだったが、効果はあったようだ。
そうして改めてソファーに座ってから、俺は赤い顔のアニスに問いかけた。
「アニスは、姉さん達の判断に口を挟まないのですか?」
「ああ。彼女達がどう判断を下そうと、私は――魔女は干渉しない。頼られれば手を貸すし、アドバイスもするが、基本的には不干渉がルールだ。それは人類に魔法を授けた日から変わらない」
「なら――恋もしませんか?」
「誠治っ」
「すみません」
赤い顔でそっぽを向かれてしまった。
「でも、拗ねる姿も可愛いです」
「う、うるさい、ばか」
「そうやって拗ねるなんて思ってもいませんでしたから。アニスのことを知れば知るほど、愛しくなるのです」
「むううぅぅぅ……」
椅子を回して後ろを向かれてしまった。ちょっとやりすぎた。
調子に乗って失敗したくないのは、恋も同じなのだ。作業に戻ろう。
でもその前に、浄化作業が終わったアニスにココアを淹れて――
と考え始めたところで、アニスがゆっくりと椅子の向きを戻し、躊躇いがちに俺を見た。
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