恋話


「誠治は……、……誠治は、私のどこがいいんだ? 私よりもいい女など、帝都にはごまんといるだろうに」

「アニス以上の女性は、この世のどこにも存在しません」

「ど、どうして断言出来る」

「俺にとって、アニスが世界一の女性だからです」

「や、やぶ蛇だった……」

 アニスが真っ赤になる。が、俺だって顔が熱い。

 素面で女性を口説けるほど、余裕がある訳ではないのだ。

「俺はこのとおり、二枚目という訳ではないですし、口も上手くありません」

「十分上手いじゃないか。先の話など、説得力があったぞ?」

「買い被りです。アニスにも、姉さんにも、それらしい話をしていますが、俺は人から教えられた話をそのまま喋っているだけなのです。――ですが、アニスへの言葉は、俺の中から出た、俺だけの言葉です。アニスを愛しいと思う気持ちは、誰にも負けません」

 距離がもどかしくて、改めて執務机の前まで歩いていって、俺は真っ直ぐに告げる。

「何度でも言います。俺は貴女が好きです」

「う、ううう……」

「……でも、困らせたい訳ではないですし、ココアを淹れてきますね」

「……、……ま、待て」


 キッチンへと歩き出したところで、呼び止められた。

 だが、振り返ってもアニスは俯いたままで……と思ったら、椅子から立ち上がって、ゆっくりとこちらへとやってきた。

 俺の前に立ち、アニスが顔を上げる。

 僅かに見えた耳まで、真っ赤になっていた。


「わ、私は今まで、多くの本を読んできた。そこには恋愛の話も沢山あって、私はそれを知ったつもりになっていた。でも、こんなのは知らない。解らないんだ」

 羞恥と混乱のある様子で、アニスが俺の手を掴み――何を、と思う間もなく、自らの胸に押し当てた。

 ふにゅ、と柔らかな胸に手が包まれる。

「ッ、あ、アニス?!」

「心臓、解るだろう。こんな、私……」

「……」

 柔らかさと暖かさの向こうで、力強く打たれる鼓動を感じる。俺を見上げるアニスの瞳――揺れる琥珀色には、僅かな不安も混ざっていた。

「『解らない』のは怖いんだ、誠治。私は、私の中にこんなにも弱い自分がいるだなんて、知らなかった……」

「アニス……」

 自然と体が動き――俺は、不安そうにするアニスを抱き寄せる。

 その耳で俺の鼓動を感じられるように、そっと頭を支えた。

「俺だってそうです。俺だって、アニスと同じです。解らなくて、不安で、でもそれ以上に貴女が好きだから、この気持ちを伝えたいのです」

「誠治……」

「一緒に知っていきませんか。恋を、愛を。一人ではなく、二人で」 

「……、……ん」

 弱々しくアニスが頷いて、おずおずと背中に手を回してくれて……感極まり、思わず叫び出しそうになる気持ちをぐっとこらえて、俺はアニスを抱き締める。

 と、アニスが顔を上げて、何か言いかけて、でも言葉が出ない様子だった。

 暫し、アニスが逡巡する。

 それでも彼女は、真っ赤な顔で俺を見上げ、

「わ、私も……誠治が好き、だ」

「――ッ! ほ、本当、ですか」

「ん、」

 俺の胸に顔を埋めながら、アニスが小さく頷いた。


 体が震える。

 心が暴れる。

 嗚呼、駄目だ。

 抑え切れない。


「……った……」

「……誠治?」

「やったあああああああああああああああ!!」

「わっ、わわ!」

 俺はぎゅっとアニスを抱き上げ、その場でくるくると回る。嬉しくてたまらなくて、大きく声を上げた。

「俺も! 俺もアニスが好きです! 大好きです!!」

「わ、解った、解ってるから落ち着け!」

「無理です!」

「もー!」

 そのまま暫く、飛んだり跳ねたり回ったり。ひとしきり大喜びしてから、ふらふらと壁に背中を付ける。その間、ずっとアニスを抱き締めていた。もう一時だって、彼女を放したくなかった。

 ふふ、と赤い顔のアニスが笑う。

「なんだ、誠治も可愛いところがあるんだな」

「嫌、でしたか?」

「いいや、そういうところも好きだ。真面目で、真っ直ぐで、明るい誠治が好きだよ」

 そう微笑んでから、ぐっとアニスの顔が近付いて――唇に触れる、熱い感触。

「ちゅ、ん……。ふふ、負けっぱなしは性に合わないからな」

 甘い微笑みが心を満たす。泣きそうなくらい嬉しかった。

「アニスには敵いませんね。――ですが、俺だって負けるのは嫌いなのです」

「あっ、」

 唇を奪い返し、互いの熱を感じ合う。


 こうして、俺達は恋人同士になったのだった。



 三十分後。

 このままだと一線越えちゃうレベルまで盛り上がってしまったので、一旦落ち着こう、とココアを淹れることにした。


 我慢の限界は軽く突破しているのだが、まだ昼すぎである。そろそろ姉さんが戻ってくる時間でもあるので、それまでに熱を取っておかないと不味かった。

 それでも、手を繋いだままキッチンルームへと入り、アニスを椅子に座らせて……ふわふわと、目の焦点が若干合っていないアニスの頭を軽く撫で、離れがたさを感じつつも手を離す。

 棚からココアの瓶やマグカップを取り出したところで、ほっと吐息が漏れた。

「嗚呼」

 なんだか、世界が明るくなったような気がする。見慣れたキッチンがいつも以上に彩りを増して、輝いて見えた。

 振り返ってアニスの様子を窺うと、若干呆けていたアニスの目に少しずつ光が戻ってきて……俺と目が合った瞬間、かぁっと顔を赤くしながら叫んだ。

「み、見るな、こっちを見るな!」

「嫌です」

「むううう……」

「続きは夜に」

「つづッ?! う、うううぅぅぅ……」

 唸りながら、アニスが逃げるように机に突っ伏し、

「……あ、あんなの、知らない……。あんな、私……」

 ぼそぼそと呟きを漏らす。それに苦笑しながらお茶の準備を進めていたところで、アニスが不意に顔を上げ、不安そうな色を見せた。

「い、嫌じゃなかったか?」

「平気です。むしろ嬉しかったです」

「そ、そうか……。い、いやな、頭では解っているんだ。告白した直後にあんな、こう、青年向けの漫画や小説じゃあるまいし、もっと自制と節度を持った清らかな関係を……うぅ」

 また突っ伏してしまった。そういう姿も新鮮で「可愛い」「う、うるさいっ」。

 俺は少量のお湯でココアを練り、砂糖を加えて、魔法で温めた牛乳を注ぎ入れる。スプーンで混ぜ合わせたら完成だ。

「どうぞ、アニス」

「ん……。ありがとう、誠治」

 アニスの対面に腰掛けて、彼女を見つめる。それに気付いて、ココアを飲み始めたアニスが顔を赤くした。そのままそっぽを向いて、ちらりと俺を見て、また視線を外して……改めて、じっと俺を見つめてくる。今度は俺が赤くなる番だった。

 だから、俺もココアを飲んで……なんだかおかしくて、二人で笑い合う。


 暫くしてから、アニスが小さく呟いた。

「……自制、出来なかったんだ。だって、誠治に告白された日から……いや、きっと、誠治と最初に逢って、興味深いと思ったあの日から、私は誠治に惹かれていたから」

「あの日から……。俺と同じですね」

「うん……。恋愛小説も沢山読んでいるが、まさか自分がと思うと、どうしたらいいのか解らなかった。でも、だからこそ、気付いたんだ。――魔女は、恋を知っている」

 マグカップが置かれて、アニスの指がそっと俺の手に触れる。その指先を握り返すと、彼女の肩が僅かに震えた。

「大樹の洞から生まれ、歴代の魔女の知識を持って生まれてくる私達は、生殖を必要としていない。なのに、私の体は人間の女と同じようになっているんだ。誠治と、その……そういうことが出来る。出来てしまう。それに気付いたら、なんだか、恐いような、嬉しいような、よく解らない状態になってしまって……。

 私は、『知らない』という状態がないから、知りたければすぐに本を読んできたから、未知の状況が苦手なんだ。そんな中で、誠治は毎日そばにいてくれて、多くの言葉をくれて、私は誠治をもっと知りたくなって……。……その、だから、誠治が欲しいなって、思っ――って、待て、席を立つなこっち来るな抱き締めるなっ!」

「無理です!」

「ま、舞が来るぞ! 斬られてしまうぞ!」

「今なら勝てます!」

「断言しおった!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐアニスを、横からぎゅっと抱き締める。

 そのまま彼女が静かになるのを待ってから、俺はアニスの隣へと腰掛け、改めて彼女の手を握った。


「不安だったのですね。気付きませんでした」

「不安、というほどではないよ。一人の時に、色々考えてしまったくらいだ。……本当はな、大事なことだし、年末の予定が片付いてから返事をしようと思っていたんだ。でも今日、誠治の身の上を聞いて、写真とはいえ、外の世界を垣間見て――私は、私の知らない誠治を知った」

 ぎゅっと、手が握り返される。

「私の知らない誠治も、知りたいと思ったんだ。……欲しいと思った。そうして自分の気持ちを認めて、改めて好きって言葉をもらって……私からも、好きって言えて。それで一段落だったはずなんだ。それなのに……」

 段々とアニスの言葉尻が小さくなり、真っ赤になって、

「あんな、はしたない……」

「そんなことはありません」

 アニスが焦ってばかりいるから、若干冷静でいるだけで、俺もずっと顔が熱い。

 こうして手を握っている嬉しさと同じくらい、手汗とか力加減とか、色々なことが気になってしまって、でもそうした不安が全て消えてしまうほどアニスが好きで、彼女と繋がっていたいのだ。

「ここからが、スタートです。二人で、知らないことを知っていきましょう」

「うん……」


 互いに手を握り合い――赤い顔で、笑い合ったのだった。



 

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