魔女の違和感


 ココアを飲みきったところで、ふとアニスが顔を上げた。

「――そうだ、忘れるところだった。噂の話の続きだ」

「噂? 噂……、…………あ、そういえばそうでした」

 思い出すのに暫くかかってしまった。名残惜しいが、ずっと繋いでいた手を放して、アニスの対面に座り直す。いい加減、頭を切り替えねば。

 顔に若干の赤さが残りつつも、お互いに姿勢を正した。


「噂の出どころがどこであれ、実際に魔物が増えているのは事実だ。だが……」

「何か気になることが?」

「違和感が二つある。一つは、魔女の結界の異常だ。人払いの結界が消えていたことや、先月の、地下四階の本が地下五階に移動していたことなど、定期的に何かが起きている。

 もう一つは、魔物の出現率だ。魔物の平均出現数が十体として、突然百体現れることもあるのがこの大図書館だが――ここ最近は、出現数が十、十、九、十、と平均的に推移しすぎている。誰かが意図的に数を絞っているような、何かから目を逸らさせようとしているかのような、そんな作為的な感じがするんだ。今日を境に、向こう一年静かになる可能性だってあるのが、この大図書館とはいえ、な」

「本当に極端ですね」

「浄化する以前の本は、生きているようなものだからな。一口に魔物と言っても、全てが好戦的という訳ではないんだ。誠治と舞の力に怯えて、大人しくなる場合もある。先代の雪など、睨むだけで魔物を本に戻したことがあったぞ」

「す、凄まじい」

「……まぁ、その後に斬っていたが」

「ああ、そこは片斬、きっちりしていますね……」

 安心しつつも恐ろしい。アニスがそれに苦笑し、けれどすぐに真剣な顔に戻った。

「こうした違和感は、この五十年でも初めてでな。気持ちが悪い。――何より、私の城の中で、私の……私の愛する男を侮辱する噂が広まっている、というのが腹立たしい。出来れば噂の出どころを明らかにしたいが、こうも広まってしまった以上は難しいところだ。後手に回るのは趣味ではないが、暫くは地下六階で大人しくして、沈静化を計るべきだな」

「解りました。アニスのそばにいます」

「う、うむ。先の魔物の話もあるし、何かあったらすぐに報告するように」

「了解しました。姉さんにも伝えておきます。……その姉さんですが、定時巡回にしては遅いですね? 魔物が出たのでしょうか」

「いや――って、そうだ、伝え忘れていた。巡回後に地下五階に行ってくる、と舞が言っていたんだ。理由までは言っていなかったが、誠治の作業を見て納得したよ。先の動画、今日一日で撮影した訳じゃないんだろう?」

「はい。数日かかりました」


 地下五階に近付くにつれて、携帯端末の存在すら知らない司書が多くなって、まずその説明から始めないといけなかったのだ。興味がない、というのはそういうことで、撮影後の動画に驚いて、何度も撮り直しを要求してきた司書もいた。

 そうしたあれこれもあり、思ったよりも時間がかかってしまったのである。


「なら、上階の司書に頼まれて、稽古をつけに行ったんだろう。或いは、舞の方から激を飛ばしに行ったのかもしれん」

「意識変化に繋がるでしょうか?」

「どうだろうな……。『やはり司書だけでも出来るのだ』、とより頑なになってしまう可能性だってある。そういう意味では、聞いて回ったのは諸刃の剣だったかもしれないな」

「……それでも、自分の実力を理解出来ているかどうか、の違いは大きいですから。自分よりも強い魔物を前にした時、的確に力量差を判断し、時には逃げる決断も出来なければ、真の意味で危険に対応出来ているとはいえません」

 ただ、と俺は苦く笑う。

「ただ、俺も姉さんも、その辺りの感覚が鈍い……というか、無いのが問題なのですが」

「どういうことだ?」

「『敵は全て斬る』。その一言で全てを完結出来るように自らを鍛え上げ、今も鍛え続けているからです。逃げるという選択肢は、俺達の中には存在しません」

「極端な生き方だな……。だが、そうでもしなければ『片斬』にはなれんか」

「はい……。ですから、俺達は誰かに剣を教えるのが絶望的に下手です。斬れない、と言われても、その理由が解りません。斬れないのならば、斬ればいいのですから」

「……もはや哲学だな」

「そうかもしれません。――強大な敵だろうと、身の内に潜む恐怖心だろうと、あらゆるものを斬り伏せる。『現世(うつしよ)に斬れぬものなし』。それが、多くの片斬を輩出してきた神木道場の教えなのです」


 だからこそ、日々の鍛練は続いていくのだ。

 今日斬れなかったものを、明日には斬れるように。


「その上で、片斬は敵意、殺意に敏感です。アニスが違和感を覚えているように、姉さんも何かを察しているでしょう」

「いや、それは解らんぞ。以前ならまだしも、今は誠治がいるからな」

「俺ですか?」

「私と一緒だ。誠治が起こそうとしている変化で、舞も悩んでいるところがあるだろう。そうした悩みで片斬の剣は鈍らないだろうが、十全とはいかなくなる。変化が起きるというのは、そういうことでもあるんだ。――自覚しておけ。片斬・舞は、誠治が思うほど完璧ではないぞ」

「……、……。……肝に、銘じておきます」

 言われて、気付く。

 ――嗚呼、言われなければ本当に気付けなかった。


 俺の中で、片斬・舞は完璧で、完全で、何者にも負けず、屈せず、決して折れない刀のような人だ。

 だが、姉さんとて人間だ。人間なのだ。時には失敗することや、間違うことだってある。姉さんほどの実力者でも、片斬として完成している訳では――いや、完成したところでなんだというのだ。

 どれだけ完璧で、完全であろうと、そう見せているだけにすぎない。人間は機械にはなれないのだから。

 変化を起こすと言いながら、肝心なところを勘違いしていた。隊長殿の忠告を、俺は完全に失念していた。


『我々は、舞を怪物にしてはならない』


 ……俺は、本当に未熟者だ。


「木を隠すなら森の中、という言葉があるが、例えば本の中に細工をされれば、私や舞でもすぐには気付けない。地下六階以下には、魔物化しない本も大量に存在するからな。大図書館の『異世界の本を収集する』という性質を利用して悪意を送り込む、という事例は、過去にも何度か起きているんだ」

「侵入者対策をしてあっても、ということですか……。如月隊に伝わっていない事例も多いのでしょうね」

「大規模な異変が起きない限り、外に報告しないからな……。だからこそ、片斬と司書には、『自分達で異変を解決してきた』という自負がある。それ故に、どうしても保守的で退嬰的な部分が……、ん、舞が戻ってきたな。――開いているぞ」

 話の途中でノックが聞こえたのだろう。アニスが顔を上げ、扉の方へと声を飛ばす。

 それは部屋の外にまで届く魔女の声だ。


 暫くして、キッチンルームの扉が開いた。



 

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