第八章
決死の戦い
「もう大丈夫です! 助けに来ました!」
道中の魔物を斬り伏せ、背後に紙を舞わせながら、地下五階へ。
魔物の咆哮と、司書の叫びが響く中、俺は声を張った。
紙の道を見れば、姉さんがどちらに向かったのかが解る。その反対方向へ走りながら、俺は書架の間から飛び出してきた魔物を斬り伏せる。アニスは地下六階に留まり、大結界の再展開を始めていた。
利用者と司書の混乱、そして魔物の咆哮と、館内の至るところで音が飛び交っている。その上、何者かの悪意が――防音の魔法が各階で発動していて、被害の全容がアニスにも把握出来ていない状況だった。
時間をかければ話は別だというが、しかし今は、大結界の修復が急務だ。早くしないと、この大図書館そのものが沈んでしまう。その為、アニスは地下六階に留まって作業を始めたのだ。
人命救助が最優先。だが、俺とアニスではその手段が違う。彼女を一人残すのは躊躇われたが、
「大丈夫、私にも魔物は倒せるからな。――誠治は誠治の仕事をしろ。頼んだぞ」
頼まれたからには、使命を果たすのみだ。
私情を飲み込み、不安を抑え、俺は地下五階を駆け回る。
■
魔物の数自体は少ないが、複数の場所に出現しているのが手間だった。この時ばかりは、大図書館の広さが憎らしい。
中央区画の半ばから、東と南の区画を走り回って司書達を救い、上階へと上がらせていく。彼らが利用者を誘導してくれていた為、混乱が少なかったのは幸いだった。
戦う意志のある司書は止まろうとしたが、だからこそ地下四階を任せた。魔物の危険度から言って、地下五階に止まって散発的に戦うよりは、地下四階で纏まった方が安全だろうというアニスの判断からだ。
そうして司書達を全て移動させ、地下五階を沈静化したところで、俺は姉さんと合流を果たした。
と同時に、脳裏にアニスの声が響いてくる。
『増援もあってか、上階の妨害魔法は全て消えた。確認するに、地下四階以上は問題なさそうだ。二人は一度休憩して――』
「「必要ありません」」
同時に答えて、俺達は頷き合い、地下六階へと駆け下りる。
心配顔のアニスを横目に、地下六階で暴れ出す魔物を斬って回り、更に七階、八階へと向かう。
大結界の修復が行われ始め、空気もまた元に戻りつつあるのを肌で感じる。だが、その時点で蓄積された疲労は、どうしても体に現れてしまう。
地下八階を一周したところで、俺達は一度足を止めた。
「流石に、これは……」
「……言うな、疲れが増す」
雪景色のように紙が舞う中、俺も姉さんも汗だくで、荒れた息を吐いている。
額の汗を手の甲で拭い、深く息を吐いたところで、姉さんと目が合った。
頬に張り付いた髪を払いながら、問いかけてくる。
「こんな時、魔法武装は使わないのか?」
「戦闘用のものは手持ちがなくて……。なので、九階以降は動きが落ちるかもしれません。姉さんは大丈夫ですか?」
「大丈夫――と言いたいところだが、私も少し疲れている。お互いに、無理は禁物だな」
深く、姉さんが息を吐く。と、何かに気付いた顔をし、
「そうだ。前に使ってみせた、あの跳躍の魔法はどうしたんだ?」
「あれは一時的なものなので、既に砕けてしまいました。こうした長期戦になると解っていれば、持続力の高いものを用意していたのですが……失敗しました」
「用途に合わせて使える訳か。だが、道具は手元になければ意味がない」
「はい……」
「ああ、そんな顔をするな。責めている訳じゃない。こんな状況、片斬である私にも予想出来なかった。あれこれ悔やむのは、終わってからでいい」
姉さんが姿勢を正し、俺もそれに続く。
俺達の間に、作戦会議は開かれない。
魔物は全て斬る。それだけだ。
「――往くぞ、誠治」
「はい!」
姉さんと共に階段を飛び降り、地下九階へ。
大量の魔物の群れへと、突っ込んでいく。
■
影から這い出す黒塗りの獣、空を舞う大蝙蝠の群れ、巨大な木人の集団、紅い狐火、蒼いウィル・オー・ウィスプ。目に付いた端から斬っていく。
書架に擬態して襲いかかってきた塗り壁を斬り伏せた直後、書架と書架の隙間から青白い手が伸びてきて、危うく闇の中へ連れ込まれるところだった。
息つく暇もなく、三つ目の狼の群れに襲われ、切り抜けた先には、天井に背をつけるほどの巨人が立ち塞がる。その巨体を姉さんと共に足から斬り倒し、返す刀で、床を泳ぐ巨大鮫を三枚に下ろした。
切りがない。
終わりがない。
どうやら、地下十階の魔物も上がってきているようで、その魔力が周囲の本の魔物化を促す、という悪循環を引き起こしていた。想定しうる最悪の事態である。
斬れば斬るだけ、走れば走るだけ、体が重たくなっていくのが解った。
改めて休憩を取れば話は変わってくるのだろうが、もはやそんな余裕は一切ない。
普段であれば、魔物化する本は十冊に一冊ほどだ。だが今は、十冊全てが魔物化しているように感じられる。それほどの量だ。四面楚歌どころか、六面全てに敵がいる。空からも、床からも、魔物は襲いかかってくるのだ。
一ヶ所に留まれず、常に動きながら斬り続けねばならないことが、余計に疲労を加速させていた。
ここにきて、俺は自分の失敗を自覚する。
魔法武装の不足だけではない。駐屯地への連絡という、真っ先に行わねばならないことを失念し、ただ目の前の魔物を斬ることだけを考えてしまったのだ。
『躊躇う前に殺せ』、『斬って駄目なら更に斬れ』。それは魔物を相手にするからこそのものであり、同時に片斬の孤独を表すものだ。それを変えたいと思って大図書館に来たというのに、姉さんと二人だから出来る、と思ってしまった。
出来る出来ないではなく、その思考から変えなければならないのに。
変化が必要だったのは、俺も同じだったのだ。
嗚呼――
俺は、馬鹿だ。
体力には自信があった。姉さんについていく為に鍛え続けてきて、大図書館でも少しは動けていると自惚れつつあった。
だが、間違っていたのだ。結局俺は、アニスの不変の魔法頼りに走り回っていただけで、魔法の効果が半減した今では、こうも体が動かなくなる。己の限界を痛感させられる。
魔法を使うことに抵抗はない。しかし、それを自分の実力だと勘違いしていたのが不味い。自発的に魔法武装を使っている時と違って、効果の切れ目がないから、余計に錯覚が進んでしまっていた。
司書達の動画を撮った時と同じだ。自分を客観的に評価出来なければ、いざという時に判断を誤って、失敗する。
死ぬ。
今が、その瀬戸際なのだ。
「俺は――」
「――私は、馬鹿だな」
荒れた息を吐いて、共に走る姉さんが苦しげに呟いた。
「誠治を連れてくる理由はなかった。如月隊であるお前には、他に仕事があったはずだ。それなのに――お前と一緒なら出来る、と思ってしまった」
「俺もです。俺も、姉さんを無用な危険に巻き込んでしまった」
アニスが頑張っているのだ。時間さえ稼げれば、不変の魔法が疲労を上回り、寿命を削ってでも魔物を斬り伏せられるだろう。
だが、その時間が足りない。
魔女は全能の力を持つが、しかし神ではないのだ。
起こせる奇跡には限度があって、一度に全てを賄えず――それ以上の速度で、魔物は増え続けている。
俺は、五年ぶりの絶望を味わっていた。
それは、背後から音もなく這いより、気付いた時には背中にべったりと張り付いている。どれだけ走っても、何度剣を振るっても、拭い落とせない。
次第に絶望は肥大化し、重く圧しかかり、俺の足を止めようとする。
「――ッ、」
踏み込もうとした右足が一瞬動かなくなって、転びかけた。咄嗟に支えてくれた姉さんもまた、肩で息をしている。
二人とも、限界をとうに超えていた。
魔物は増え続け、俺達を嘲笑うかのように鳴き声が響き渡る。
だが、それでも、
「「それでも!」」
嗚呼、俺達は馬鹿だ。
だから本当は、片斬だとか、如月隊だとか、関係がないのだ。
大切な人を護りたい。ただただ、それだけなのだ。
その気持ちが、俺達を突き動かしている。
歯を食いしばり、俺達は鉛のように重くなった体で剣を構え――
視界を埋め尽くすほどの魔物が、一斉に襲いかかってきて――
――その背後に、十の影が舞い降りた。
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