第三章
書の楽園
帝都大図書館は、この三百年間、二十四時間休まず開館し続けている。
昼も夜もなく、日付の概念も希薄な場所だ。書物が時代を越えて語り継がれていくように、人間を基準とした時間の概念を必要としていないのだ。
故に、大図書館は変わらない。帝都がどれだけ発展し、技術がどれだけ進歩しようと、大図書館の時間は止まり続けている。
その象徴が魔女であろう。異世界からやってきた彼女達は、人類とよく似た外見をしているが、それ以外は大きく異なっている。彼女達は、木の洞から今と変わらぬ姿で生まれ、死を迎えるまでの数百年間、外見に変化が起きない。老化という概念とは無縁の存在であるのだ。
魔女が帝都に現れたのは、明治初頭のこと。だが、国がその存在と力を受け入れるまでに、数年かかったという。
当時は日本の近代化が進んでいた時代だ。生活と共に常識も変化し、妖怪変化の類は絵空事だと笑われるようになっていた頃に、魔法だ奇跡だと言われても、にわかには信じられなかったのだ。
しかし、世界大戦からなる激動の中で、魔女のもたらした技術は目まぐるしい変化と力を帝都に与えた。それにより、当時の皇帝陛下が正式に魔女を受け入れ、日本は異世界人を受け入れた最初の国となったのだ。
魔女は魔法の対価に書物を求め、この帝都大図書館を造り上げた。
長命であり、全能の魔法を扱える魔女達は、自らの世界の神秘を全て解き明かしてしまったのだという。だから、魔法がなく、けれどそれに匹敵する高い想像力を持つ世界を求め、帝都にやってきた。
人類の想像力は、異世界の現実をも引き寄せる。故に、大図書館の本は増え続けるのだ。
その後、魔女の世界以外の、あらゆる異世界からも続々と人が訪れるようになり――我々と彼らとを区別する為、異世界人を総じて『客人』と呼び習わすようになった。
客人の多くは人類と似た姿をしているが、中には幽霊のようであったり、二足歩行する動物の姿であったりする。
だが、この大図書館の中では、誰もが等しく『利用者』なのだ。
俺は今、そんな帝都大図書館の地上一階にいた。
確認したいことがあって上がってきたのだが……どうも居心地が悪い。
俺の顔は既に割れているようで、周囲の司書達の視線が全身に刺さるのだ。解っていたことだが、あまり友好的ではない様子だった。
その一つ一つに笑顔を返しながら、俺は中央区画を進んでいく。
大図書館はどの階も同じ作りになっており、中央、北、東、南、西の五つの区画に分かれている。アニスの部屋と同じように、魔法によって敷地面積が拡張されている為、外観よりも遥かに広く、『一つの区画に一つの図書館が入っている』と言われるほどの蔵書量を誇っている。
ただ、出入り口のある地上一階だけは、他の階よりも開放的な作りになっていて、広々とした通路の中央に等間隔にガラスケースが並び、古書が宝石のように展示されている。定期的に入れ替えられているのか、何やら作業をしている司書の姿もあった。
それを横目に出入り口の方へと進んでいくと、壁に大図書館の利用に関する規律が張り出されていた。
帝都大図書館 ご利用案内
・館内は静かにご利用ください。
・館内への出入りは、一階正面にある出入り口から行ってください。
・貸し出し作業が終了するまで、各階の蔵書を他の階に持ち込まないでください。
・壁抜け等、危険ですから行わないでください。
・指定場所以外での飲食、喫煙、吸血行為等を禁止します。
・地下六階以降への立ち入りを禁止します。
・異変が起きた場合には、すぐさま司書へ通報してください。
……等々、である。こういうところは、他の施設と変わらないようだ。
初日は、『まず魔女殿に挨拶をし、姉さんと話がしたい』と思ってすぐに地下へ向かってしまったから、こうした部分に全く注意を払っていなかった。その確認に来たのだ。
規律を頭に叩き込んでから、俺は来た道を振り返る。
左手に受付カウンター、右手に新聞や週刊誌などが並ぶ場所がある。他の階に比べると書架同士の間隔も広く、利用者用の机や椅子も数多く設置されているのが解った。
右手奥に向かってみると、ガラス張りの大きな売店があり、隣にはレストランが並んでいる。和食、洋食、中華、異世界食、ファストフード、喫茶店。何でもあるようだ。
壁に貼られた館内案内図を見ると、地上三階は半分以上を学校の敷地として使い、その一角に病院があるようだった。そして地上二階には、衣料品店やフィットネス施設、更には、
「映画館まであるのか……。駐屯地とは大違いだな」
思わず呟いたところで、不意に司書の女性から声をかけられた。
「貴方……もしかして、片斬さんが言ってた外の人?」
細いフレームの眼鏡の向こうから、懐疑的な視線が向けられる。二十歳前後の可愛らしい女性だ。色白で、ふわりとしたボブヘアをしていて……どこかで見たような気がするが、思い出せない。休憩時間なのか、胸元のネームプレートは裏返されていて、名前は解らなかった。
俺は彼女へと真っ直ぐに向き直り、しっかりと頷き返した。
「はい、そうです。一週間前からお世話になっております、神木・誠治と申します。ご挨拶が遅れてしまい――」
「ああ、そういうのはいいから。階が違うと、まず顔を合わせないし。私は受付係だから特にそう」
言われて気付く。大図書館にやってきた日、そして一週間前、受付に立つ彼女の笑顔を見かけていたのだ。
「片斬さんくらいなの、階を跨いでるのは」
「そうなのですか」
俺に対しては興味がない――ただ、顔が見えたから声をかけてみた、くらいの温度のようだ。これでは、如月隊について尋ねても、いい返事は返ってこないだろう。
だが、それを変えていくのが俺の仕事だ。
「では、今後は俺も、片斬殿と同等の仕事を行っていこうと思います。これからは、こちらに顔を出す機会も増えるでしょう。よろしくお願いします」
「は、はぁ……」
軽く頭を下げると、『何だコイツ』、という顔をされてしまった。だが、今は仕方がない。こうして実際に行動し、結果を示していかなければ、片斬と如月隊の和解など、夢のまた夢なのだから。
「それでは、俺は仕事に戻ろうと思います。何か下へ持っていく仕事がありましたら、俺が引き受けますが」
「特にないから大丈夫。魔女様への連絡もないし。まぁ、連絡は魔法でするし」
「そうか、アニス――殿へは、直接伝えれば済むのですね」
「え、アニス? 誰の話?」
「え? ……え?」
反応が遅れてしまった。それが致命的だったようで、
「ま、まぁ、そういうことで。それじゃあ」
彼女が逃げるように去っていく。『何だコイツ』から、『変なヤツだコイツ』に格上げされたのをひしひしと感じながら、俺はその背中を見送る。
まだ名前すら聞いていないのに――
「――名前すら、聞いていない」
嫌な予感がした。
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