終章
掴み取った勝利
あわや大図書館転覆か、と思われた大騒動から三日後。
地上階限定とはいえ、今日から大図書館の運営が再開していた。
司書の誘導が的確だったこともあり、利用者に怪我人は出ずに済んでいた。その分、司書に多くの怪我人が出たが、駆けつけた如月隊の手当てもあって重傷者は出ず、回復も早く済んでいる。壊れた書架などは魔法で元通りだ。
問題は心のケアで、これには長い時間がかかるだろうという話だった。
現れた異世界の軍隊は全て無力化し、如月隊が拘束。異世界人用の留置所に収容された。大図書館内で裁くには数が多すぎるのと、如月隊が正式に出動したこともあり、彼らは日本の司法で裁かれる運びとなったのだ。
この三日間、大図書館内の修復作業や整理に奔走していたが、ようやく自分の時間が取れるようになって、俺はアニスの部屋で報告書と始末書の製作を行っていた。
場所はキッチンルームである。右隣では、姉さんが各階から送られてきた被害報告書を纏めている。そして左手を見ると、アニスがココアを淹れてくれていた。
その背中を無意識に眺めていたところで、「手が止まっているぞ」と、姉さんに手の甲をペンで叩かれてしまった。地味に痛い。
「全く。……ああ、そうだ。今更だが、誠治に聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「如月隊の到着の早さについてだ。軍隊が出動するには色々と許可が必要で、時間がかかるんじゃなかったのか?」
「大図書館内で発生した異変に対しては、特例が認められているのです」
その特例の一つに、移動手段がある。
緊急時用に、大図書館と春咲駐屯地を結ぶ転移門――A地点からB地点へと一瞬で移動出来る、同一世界内限定の移動装置――が設けられており、如月隊はそれを使って大図書館へ駆けつけたのだ。
「なら、あれは誰が、どうやって連絡したんだ?」
「地上一階の受付だけは有線で電話が引いてあるので、佐々木さんが連絡してくれたのです。毎月のお土産に、駐屯地への連絡先を挟んでおいたのが幸いしました」
「お前、そんなことまでしていたのか……。だが、そういうことなら、佐々木の決断に感謝しなければならんな。今回の功労者だ」
「本当に、助かりました……」
騒動が治まった後、真っ先にお礼を言いに行ったほどだ。命の恩人だった。
「って、姉さんは佐々木さんをご存知なのですか?」
「失礼だな、私は片斬だぞ? 大図書館で働いている司書の名前と顔は、全て頭に入っている。そうでなければ、不審者対策が出来んだろうが」
「お見逸れしました……。本当に、姉さんは凄いです」
「当然だ。記憶力に関しては、お婆様にも負けていないからな」
ふふん、と姉さんが笑う。
ようやく俺達は元の形に戻れたのだと、そう思えた。
ふと視線を感じてアニスを見ると、彼女も嬉しそうに微笑んでいた。そしてアニスが、お盆を手にテーブルへと戻ってくる。
湯気立つココアをそれぞれの前に置くと、アニスが俺の対面に腰掛けた。
「如月隊の登場には、私も驚いたよ。私が連絡しようと思った時には、既に駆けつけていたからな」
「佐々木の決断に感謝しなければいけません。そして彼女のみならず、司書達の働きにも助けられました。私は素晴らしい部下を持ったものです」
「ああ。彼らは彼らの仕事をきちんと行った。大図書館館長としても、皆には感謝してもし足りない」
片斬という絶対的な戦力が存在する以上、司書にも甘えはあっただろう。だが、彼らの持つ矜持や誇りは本物だった。
それでも変わったもの、受け入れてくれたものが如月隊を呼び、今日という平和な日常に繋がったのだ。
「本当に、無事に済んでよかった」
アニスの言葉に、しみじみと頷き合う。一時はどうなるかと思ったが、解決出来て心から安堵していた。
そうして、作業の手を止めてココアを飲み始めたところで、アニスがまじまじと俺と姉さんを見た。
「しかし、アレだな。……二人とも、殺さない戦い方も出来たんだな」
予想外の言葉に、俺達は顔を見合わせて笑い合う。
「それは、そうです。殺すのは誰でも出来ますが、生かすのは難しい。それを成しえてこその剣術ですから」
「私としては、全て斬ってしまってもよかったのですが、相手が異世界人である以上、情報が得られないのは不味いと判断しました。――って、なんですか魔女様、その顔は。私とて、斬り殺す以外の行動も取ります」
「すまん、そうだったな。舞は立派な片斬なんだ。……そうだったそうだった」
アニスが苦笑気味に笑い、姉さんがちょっと不服そうにココアを飲む。
思わず笑みが浮かぶ、微笑ましい光景だった。
「しかし――相手を殺さず、よくあれだけの軍勢を無力化出来たものだ」
「そういえば、アニスへの説明はまだでしたね。――俺達が地下十一階に飛び込んだ時、彼らの異界門は消えずに残り続けていました。つまり、それが侵攻の足がかりであり、同時に退路であるのは明白だったのです」
「なので、私が真っ先に斬りました」
「すると、一気に敵陣が崩れたのです。そして、慌てた様子で突っ込んできた先陣を俺が対処している間に、姉さんが後方へと回りこんで魔法使いを叩き、飛び立とうとしたドラゴンをマキ隊長殿が――」
「ちょ、ちょっと待て二人とも。今さらっと言ったが、舞が魔法陣を斬った、というのはどういうことだ?」
驚くアニスに、姉さんが腰の刀に触れた。
「魔女様はご存知ありませんでしたか。片斬家に伝わるこの刀、銘を『桜花』と言いまして、森羅万象、有象無象、あらゆるものを切り伏せることが出来る業物なのです」
「いや、『桜花』のことは雪から聞いたことがあるんだ。だが、てっきり冗談だとばかり……」
「最初の魔女様から賜ったものだと聞いております。そこから片斬家は始まった、と」
「最初……? となると、開門剣か。ああ、それならば納得だ。――雪のやつめ、最初からそう言えばよかったものを……」
「凄いものなのですか?」
納得と懐かしさと、少しの寂しさを滲ませるアニスに問いかけると、彼女が頷いた。
「開門剣は、魔女が鍛えた剣でな。その名のとおり、世界と世界の間に存在する壁を斬り、異界門を開く為の剣なんだ。そして三百年前、剣は十全の働きをしたが、負荷に耐え切れず折れてしまった。その後の話は伝わっていなかったから、てっきり向こうに持ち帰っていたのかと思っていたんだが……実際には日本刀として打ち直され、片斬の手に渡っていたようだ。魔法を使えばそれも容易い。身近にそんなものがあったとはな」
驚きだ、とアニスが微苦笑する。
『桜花』は、銘を開放しなければ力を発揮しないから、魔女である彼女にも気付かれることがなかったのだろう。
そして雪殿は、六年前――姉さんが十二歳の時に『桜花』を譲渡している。もしかしたら、その時点で、自身の死期を悟っていたのかもしれなかった。
ココアを一口飲んでから、アニスが表情を改め、話を続けた。
「魔女の剣が折れるほどだ。異世界への門を開く、というのは容易なことではなくてな。それが簡単に思えるのは、帝都に異界門があるからだろう。魔女があれを作らなかったら、この世界に客人はやってきていないに違いない」
「つまり、開くまでが大変で、開いてしまえば安定する――ということですか」
「そうなる。それを斬られたんだ。先陣は慌てたのではなく、退路を失ってパニックを起こしたんだろう。……っと、話の途中にすまない。地上階からの連絡が来たようだ」
キッチンの扉が開き、外からふわりと封筒が飛んできた。薄茶色の角二封筒だ。
アニスがそれを掴み取り、意外そうな顔をした。
「書類を送ってくるのは珍しいな」
どれどれ、とアニスが封筒の中身を取り出す。中には数枚の書類と写真が入っていて――書類に目を通し始めたアニスが、見る見る険しい顔になり、
「……スパイまでいたのか。用意周到なことだ」
憤った様子で、アニスがテーブルの上に書類と写真を置いた。
「昨晩、この女が警察に出頭し、『大図書館内で違法行為を働いた』、と証言したそうだ。本が別の階に移動していたり、魔物の出現数に変化があったり……私が感じていた違和感は、全てこの女が引きこしていたんだろう。これはその調書で、警察は真偽の確認を求めている。書類を送って寄越したのは、片斬家に対する圧力もあるだろうな。流石にこれは揉み消せん」
「面目ありません……。私の代で、古い体質を変えていきたいと思っています。――ですが魔女様、その女はどうやって大図書館に? 先の話からすると、この世界にやってくるのも骨だと思うのですが」
「ああして軍勢を送る場合はな。だが、女が帝都の異界門を通って来たのなら、客人として歓迎される。そうして本体が到着するまで、大図書館内で暗躍していたんだろう。もしかしたら、何十年も前から続いていた計画だったのかもしれないな」
「小癪な手を……。……で、誠治はさっきから何を黙っているんだ?」
「い、いえ、あの……」
呆然と見つめていた写真を手に取る。
それは、金髪の女性のバストアップ写真だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます