『さがしもの』と『嘘』


 この微笑み、豊かな金髪、緑の瞳――どう見ても、間違いない。

「この人……」

「まさか、知り合いだったのか?」

「い、いえ、どう説明したものか……」

 頭では解っているのに、どうしても納得し難く、上手く言葉が出てこない。


 写真に写っているのは、あの金髪の女性だ。

 書類を見るに、名前はベルリナ・アマリリス。二十四歳。

 何度読み返しても、『異世界侵犯の容疑者』と書いてあり――けれど脳裏には、緊張する俺へと微笑む彼女の姿が浮かぶ。その微笑みと、容疑者という言葉が頭の中で結びつかないのだ。

 説明する声が、震えてしまっていた。

「この方は、大図書館の利用者です。俺が出向してくる前からここを利用している方で、俺も何度か案内をしました。つい先日など、世間話にクリスマスの予定を話したくらいです。なので、信じられなくて……」

「――ああ、あの女がそうだったのか」

「アニス?」

「え、あっ、」

 かぁっと顔を赤くして、アニスが視線を逸らす。

 恋人の反応に一瞬戸惑い、けれどすぐにその理由に思い至って、頭が冷静さを取り戻した。

 魔女は、大図書館の会話を全て耳にしている。俺がいない間、俺の様子をそれとなしに聞いていたのだろう。

「俺はアニス一筋です」

「そ、それは解っている。だが、完全に無意識にやっていたんだ。私って女は、全く……」

「どういうことですか、魔女様?」

 姉さんの問いに、アニスが気まずそうな顔をした。

「……壁に耳あり、というヤツだ。一人になると暇になるからな、ついやってしまったらしい」

「ああ、そういうことでしたか」

 そう頷いてから、姉さんが俺をぎろりと睨んだ。


「――誠治、表に出ろ。『他の女と会話をするな』、とまでは言わないが、愛する女を不安にさせるような男は殺さねばなぁ……?」

「お、落ち着け、舞! これは私が悪いんだ!」

「いいえ、魔女様が悪いなどということは、現在、過去、未来永劫において絶対にありえません」

「ま、舞!」

 ゆらりと姉さんが立ち上がると同時に、アニスが慌てた様子で席を立ち、机を迂回して姉さんをぎゅっと抱き締めた。

「ま、魔女様?」

 戸惑う姉さんに対し、アニスの声は震えていた。

「お願いだ、止めてくれ、舞。私は、喧嘩をするお前達を見たくないんだ……」

「い、いえ、あの、私は、」

 あわあわと姉さんが慌てだす。俺も受けて立つつもりでいたから、驚いてしまった。


 姉弟揃って慌てつつも、俺は立ち上がってアニスの背を支え――姉さんは、自身を抱くアニスの腕にそっと触れた。

「大丈夫です、魔女様。今のは喧嘩というか、この前のものとは明確に違うものですから」

「そうなのか……?」

「そうです。誠治とは昔からこんな感じでして、つい」

「昔から……?」

「はい。俺も姉さんも、昔からこんな感じだったのです」

 姉さんの『殺す』には、二種類ある。

 一つは、言葉どおりのもの。魔物へと向ける言葉だ。

 もう一つは、俺へのもの。『そういうことなら、お前の本気を見せてみろ』という、覚悟を問う言葉であり、そこから剣を打ち合って対話するまでがワンセットなのだ。

 その言葉に散々泣かされたが、同じくらい姉さんも辛そうにしていた。お互いに、本気でぶつかってきたのだ。

 それを五年ぶりに取り戻せたからこその、じゃれ合いだった。

「ですので、魔女様…………魔女様?」

 戸惑う姉さんを、アニスがぎゅっと抱き締める。

 その声は、少し沈んでいた。


「二人に昔の空気が戻ったのなら……いや、そうでなくても、私は舞に謝らなければ。……ごめんな、舞。五年前、私はお前を抱き締めてやれなかった。私は、それをずっと悔やんでいたんだ」

「……、……姉様」

「舞は、舞だ。お前が片斬であってもなくても、私達の関係は変わらない。……あの日に言ってやれなくて、ごめんな」

「……いえ、構いません。私こそ、無理に壁を作ってしまい、申し訳ありませんでした」

 おずおずと姉さんがアニスを抱き返して……二人の様子に、俺は心から安堵する。


 共に道場に通っていた頃、『姉様』の話をする時の姉さんは、本当に嬉しそうで、自慢げだった。ショートヘアの髪を伸ばし始め、今のような口調になったのも、全て『姉様』の影響だったのだ。だから俺は、その『姉様』にちょっと嫉妬していたくらいだった。

 でも今では、『姉様』であるアニスと恋人同士になっている。

 人生というのは、本当に解らないものだった。


 影響といえば、マキ隊長殿は姉さんの影響を大きく受けている。その為、アニス、姉さん、隊長殿が並ぶと姉妹のようになるのだ。

 先日、その三人が実際に、笑顔で顔を合わせた時には、とても微笑ましい光景が広がった。思わず泣きそうになったほどに。

 そして今、最後の壁が取り払われて……俺は二人に気付かれぬよう、そっと涙を拭いながら、椅子に戻る。

 行動し続けてきてよかったと、心の底から思う。

 嗚呼、本当によかった……。


 顔を上げると、姉さんもまた涙を拭っている。そして深く息を吐き、アニスに抱かれたまま俺を見た。

「……で、誠治はその女に何か喋ったのか?」

「いえ、何も。本当に世間話くらいです。剣の腕を聞かれたことがありましたが、俺などまだまだです、と答えましたし」

「本当だろうな……?」

「落ち着け、舞。その女、男女問わず多くの司書に色目を使っていたようだ。写真は全階に回っているようで、騒いでいる者達がいる。……うわ、俺の女だった、と喧嘩を始めた者達までいるぞ……。魔性の女、というヤツか」

「そうして情報を得ていたのですね……」

「誠治を悪く言う噂を流していたのもコイツだろう。――いや、それだけじゃない。誠治が大図書館にやってきた日、人払いの結界が消えていたのも、この女の仕業だったのかもしれんな。してやられたよ」



 これは、後に知ることだが――司書の中には、ベルリナに操られていた者もいた。

 彼女は魅了の魔法を巧みに使う魔法使いであり、そこから魔女や片斬、そして俺の情報が漏れてしまったのだ。

 更には、地上一階の展示本の差し替えまで行われてしまっていた。

 利用者が展示本を弄っていれば問題だが、司書が何かしている分には作業でしかない。そうして水面下に、侵略の準備は進められていたのだ。

 侵略の目的は、大図書館に収められた三百年分の知識。そして、全能なる力を持つ魔女の奪取だった。

 そこから帝都を、そしてこの世界をも手中に収める計画だったようだ。

 だが、侵略は失敗した。そして翌日の夜、ベルリナは自首をする。彼女は洗いざらい全てを話し――最後に一言、『もう嘘を吐きたくなかった』、と証言したという。

 それから数日後、二十代前半の司書が一人、大図書館を辞めていった。

『僕にはもう、ここにいる理由がありません』、と言い残して。

 因果関係は不明である。

 しかし、俺は一度だけ、二人が一緒にいるところを目にしたことがある。

 ベルリナは、いつものように甘く微笑んでいたが――俺にはそれが、あどけない少女の微笑みに見えた。

 恋を語るマキ隊長殿と、同じ微笑みに感じたのだ。

 だが、彼も彼女も、それについて語ることはなかった。

 そこにあった『嘘』とは、一体なんだったのか――俺に知る由はない。



 アニスの言葉が続く。

「今回の騒動では、地下の魔力に当てられ、本来は魔物化しない本も魔物になっていてな。例えば小説であれば、その中の悪役やモンスターまでもが具現化してしまっていたんだ」

「だから魔物の数が多かったのですね」

「大結界の再展開がなければ、私も手を貸せたんだが、相手はそれも見越していたんだろう。大結界の破壊で魔女の手を封じ、大量の魔物で片斬と司書を封じ、騒乱極まったところで本隊投入――という流れだった訳だ」

「では、あのヤマタノオロチも?」

「ああ。須佐之男命の活躍を描いた絵本が、地下に紛れていたよ」

「「え、絵本ですか?」」

 思ってもみなかった言葉に、俺と姉さんの言葉が重なった。

「絵本だからと侮るなかれ、だ。原典である古事記や日本書紀を持ち出すよりも簡単で、敵である八岐大蛇の脅威が解りやすく描かれている。故に、具現化した時の力も強くなったんだ。つまりな――帝都で売られている本を、異世界経由で送り込まれた、ということだ」

 アニスが苦い顔をする。そこには悔しさすら浮かんでいた。

「……大図書館の性質を利用して悪意を送り込む、という事例は過去にもあった。だが今にして思えば、それも全て、侵略の為の実験だったのかもしれん」

 アニスが深く息を吐き……姉さんの頭を優しく撫でてから、そっと椅子に戻っていく。

 それに残念そうにしつつも、姉さんもまた椅子に座り直し、居住まいを正した。


「姉様が責任を感じることはありません。片斬にも、片斬家にも、『自分達は完璧である』という思い込みがあり、情報漏洩に対する意識が全くありませんでした。大図書館を護るといいながら、魔物を斬ることだけを考え、外部からの侵略を想定していなかったのです」

 愚かでした、と姉さんが後悔を滲ませる。

 それから、片斬の顔で俺を見た。



 

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