(3)

「で? 俺にどうしろって言うんだ?」

「ど、どうしろって………」

 早瀬が失踪した次の日、葵ノ進は早瀬との交流のある惺流塞の元にいた。

「貴様ら戍狩に見つけられない人間を。何故、絵師である俺が見つけ出せると思っているんだ?」

 一瞥すらくれずに、至って当然の反論を投げ返す惺流塞に、葵ノ進は呑まれ撒くって咄嗟に言葉を返せなかった。

 元を正せば、早瀬の交友関係に問題があった。

 何か重大な悩みを持っていたとしたら、誰かが何かを知っているかもしれない。それが分かれば、早瀬がどこに行ったのかも分かるかもしれない。そう思っていた。

 まさか早瀬が失踪するとは思ってもいなかった戍狩たちも、手分けして早瀬の友人を訊ねようとしたとき、愕然とする事実が明らかになった。

 早瀬には友人と呼べる人間が一人もいなかったのだ。

 葵ノ進は何かの間違いではないかと思った。

 町の中に行けば、一度は早瀬に助けられたことのある人間だったら、皆親しげに声を掛けて来た。行く先々で様々なものを貰うこともある。子供から年寄りまで、老若男女関係なく好かれていた。それは勘違いなどではなく、周知の事実だった。

 だが、考えても見れば、あくまで親しいだけであって、友人と呼べる種類のものではなかった。早瀬が深い悩みを聞いてやることはあっただろう。だが、その逆に早瀬の悩みを聞いたことのある人間はいなかった。

 考えてみれば、早瀬はいつも誰かのことを気にかけて、自分のことを話すことはなかった。特に立ち寄る場所と言えるほどの場所もない。いつも決まった場所を巡回して、気になっている人のところに立ち寄って様子を見て、話をして、買い物をしてやって、そして帰って来る。

 同僚と一緒に酒を呑みに行くこともある。早瀬は付き合いのいい方だった。だが、思い返してみれば、自分から率先して飲んだり騒いだりすることはなかったと、このときになって皆が気付いた。

 

 早瀬が何を悩み、何で怒り、何で悲しむのか。いつも、あるがまま、起こったままの出来事を受け入れていた早瀬のことを、誰も何も知らなかったのだ。

 その事実に、誰もが暫し言葉を失った。

 いることが当たり前過ぎて、相談することが当たり前過ぎて、つき合わせることが当たり前過ぎて、誰も早瀬の気持ちを考えてこなかった。悩んでいることに気が付かなかった。

 もしかして、早瀬がいなくなったのは自分達の所為なのか?

 番所全体がそんな空気に包まれた。

 そんな中、誰かが惺流塞のことを思い出した。

 今、町で一番人気のある絵師の名前だった。どういう経緯で早瀬と惺流塞が知り合ったのか、やはり誰も知らなかったが、早瀬がわざわざ下鉦(しもがね)の森にまで出向いて会っていることは知っていた。

 もしも、早瀬から何かを聞いているとすれば、その絵師が聞いているかもしれない!

 番所の皆で住まいを探した。だが、住民書には惺流塞の名前はなかった。それはつまり、届け出を出していないと言うことで、もしかしたら存在自体しないのかもしれないと言うことだった。

 だが、噂では森の中にあるかつて貴族が住んでいた屋敷に住み着いているらしいと知れたなら、過去の住民書を探し、本当に屋敷があったことを突き止めると、葵ノ進が代表して会いに行くことになった。

 最後に早瀬を見たのは葵ノ進だった。そして、誰よりも早く異変に気が付いたのも葵ノ進だった。何よりも、葵ノ進は他の誰でもなく自分が行くと譲らなかった。

 葵ノ進は他の先輩戍狩たちに仕事を託し、一人下鉦しもがねの森へ向かった。


            ※


 昼でも暗い森だった。行く先々で森の中の屋敷の噂を聞いてみると、屋敷のことより妖の話の方が多く聴こえて来た。

 屋敷自体は確かにある。だが、そこに住んでいるのは絵師ではなく、妖である。

 妖は森に入って来る人間を取って食らう。

 夜な夜な恐ろしい声が聞こえる。視線を感じ、吐息を感じ、殺意を感じる。

 あんな森には普通の人間は近付かない。

 妖を見たことがあるかと訊ねれば、見たと言う人間よりも見たことなどないと答える人間の方が多かったが、妖の存在を認めているか認めていないかと言う問い掛けには、九割方が認め、信じていると言っていた。

 それを受けて、半ば冷たい汗を掻いた葵ノ進。だが、ある人間が言っていた。

「でも、よく同じ戍狩様が森に入って行くのを見るよ」

 それは何よりも大きな情報だった。

 実際、森を眼にすると、森自体が妖の巨大な口のように思えて、一瞬踏み入ることを躊躇わせた。だが、この先に早瀬の行方を知るものがいると自分を奮い立たせて、葵ノ進は森の中へと踏み込んだ。

 森に入った瞬間、葵ノ進は何者かの視線を感じた。観察されているような、調べられているようなあからさまな視線だった。なんとも居心地の悪い空気だった。

 これでは、気の弱い者など歩いてなどいられない。

 一体、早瀬は何を考えてこんな薄気味の悪い思いをしてまで、森の中に住んでいるらしい絵師を尋ねていたのか、さっぱりと理解出来なかった。

 足を止めたら進めなくなるような強迫観念に駆られて、葵ノ進は半ば駆けるように歩を進めた。背中にじっとりと汗を掻いていた。だとしても、けして暑いわけではない。どちらかと言えば涼しいくらいだ。背中に掻いた汗は、冷や汗だった。

 あえて無視しようと努力はしているが、次から次へと湧き上がって来る恐怖心は殆ど泣き出したくなるほどにまで、葵ノ進を攻め立てていた。

 これが妖の使う手だと言うことは薄々感付いてはいたが、少しでも気を抜くと、ひとたまりもないと自分を鞭打ちながら屋敷を目指した。

「しっかりしろ! 葵ノ進! 早瀬様の命が掛かっているんだぞ! こんなところでへこたれている場合じゃないんだ!」

 その瞬間。葵ノ進は何かが顔に張り付いたような気がした。例えるなら蜘蛛の巣が顔面に張り付いたような感じだ。

 実際、葵ノ進は張られていた蜘蛛の巣に気付かず、顔面から突っ込んでしまったのだと思い、慌てて顔を手で払った。が、再び顔を上げたそこに、半ば廃墟と化した広い屋敷が広がっていた。

「ここか……」

 ようやく辿り着いた屋敷を前に、葵ノ進は不覚にも泣き出しそうになった。

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