第一章『干乾びた仏』

(1)

 今月に入って三人目。

筵を被せられ、戸板に乗せられた干乾び切った仏を見ながら、葵ノ進あおいのしんは出来る限り感情を殺して数え挙げた。

 発見者は『漂元神社』のある上外うわはず区の長屋に住んでいるサネと言う女だった。

 早朝の絶叫は区内を巡回していた『まわり』の耳に入り、三人目の仏の許へと導いた。

 駆け廻りとは、江戸で言えば『岡っ引き』に当たるだろう。数の少ない役人の代わりに区内を巡回し、何かあった場合、役人が来るまで対処することを仕事とする者達のことを言う。

 頭には手拭いを巻き、裾や袖口に二本の太い黒い線の入った橙色の半纏を羽織り、黒い股引を穿いて、赤い房の付いた『捕悔とく』と呼ばれる、長さ一尺五寸ほどの鉄の棒を所持している。それでもって罪人を捕縛するのだ。

 今回、サネの悲鳴を聞きつけて仏を発見した駆け廻りは、将五郎しょうごろうと言う名の三十半ばの男だった。

「何だか気味の悪ぃ仏だと思わねぇか? 葵ノ進……じゃないな。葵ノ進

 気軽に話し掛けて慌てて言い直す将五郎。

 それに苦笑を浮かべて葵ノ進は答えた。

「様は付けなくてもいいですよ、叔父さん」

 正真正銘、将五郎は葵ノ進の叔父に当たる。

 ついこの前までは普通に『葵ノ進』と呼んでいた。面倒なときなどは『あおい』としか呼ばなかった。

 葵ノ進も別段それを嫌だと思ったこともなかった。

 むしろ親しみを感じて好きだったと言ってもいい。

 だが、今となってはそうも行かない理由が少しばかりあった。

 将五郎は真面目な顔で反論する。

「いやいや、そうはいかないだろう。半年前だったらそれでもいいかもしれないが、今となっては立派な戍狩じゅしゅ様だ。戍狩様と言えばお役人様だ。俺たち町民より上なんだ。いくら身内とは言え、それなりにわきまえっつーのも必要だろうが」

 葵ノ進は駆け廻りの上司に当たる戍狩だった。これは江戸で言えば『同心』に当たる役職だった。細身の狩衣にも似た黒に近い緑色の着物に袴。腰には二振りの刀を差し、袖に隠れて見えない腕から手の甲までを覆う深紅の手甲。その背には刀に縄の絡まりついた紋が白で記されていた。

「でもね、叔父さん。私はまだなったばかりなんだ。一人では何も出来ない。

 もしかしたら叔父さんの方が仕事も出来ると思う。そんな私に気を遣ってもらっては何だか心苦しい」

「だったらおめぇ、俺が心の底から気を遣えるようにさっさと一人前になっちまえ。自分にも恥じないほど経験積めばいいだろうが」

「そうは言っても、私はごらんの通り見習いだからね」

 苦笑と共に左腕を押さえる。

 そこには白い布が巻かれていた。それは新人戍狩が必ず付ける布だった。一人前と認められたときそれを取ることが出来る。

「誰だって初めは見習いだ。初めから何でも出来るもんじゃねぇ。

 それにお前はまだ一六だ。もう一六だと言ってもいいかもしれねぇが、俺はその倍を生きている。経験の差って言うものもある。そんなものは数をこなせばどうとでもなるもんだ。それだけ場数を踏めばいい。だがなぁ……」

「どうしました?」

「駆け廻りになってから随分と日は経つし、一度や二度、干乾びた仏さんも眼にしたことはあるが、これだけ立て続けにいきなり現れたことは今までにねぇ」

 将五郎は顎に手を当てて、戸板の上の仏を見ていた。

「本当に、あなたは自分以外の誰も見ていないのですね?」

「あ、朝靄が酷かったから、絶対にとは言えませんが、少なくともわだしは見ておりません」

 仏から離れた場所で、他の駆け廻りの男に支えられたサネに向かって葵ノ進が訊ねれば、サネは声を震わせて答えた。

 現場には、葵ノ進と将五郎を初め、五人の駆け廻りの男達がいた。鳥居の向こうには朝が早いにも拘らず野次馬達が集まり始め、それらが現場を荒らさないように駆け廻りの男達が目を光らせている。

 実際問題、今月立て続けに発見されている干乾びた仏達は、殺したことがバレないように隠していたものが、何かのきっかけで人目に触れて発見された。と言うものではなかった。毎日毎日誰かが必ず通る場所に、ある日いきなり投げ捨てられているのだ。少なくとも、発見された場所で殺されたと言うわけではない。何故なら、仏の周囲に争った形跡が全くないのだ。

「そうですか。でも一応もう少しお話を聞きたいので、これから少し番所まで来てもらえませんか? 駆け廻りの皆さん、サネさんと仏様をお願いします」

 段々と増えて行く野次馬達の好奇の視線から隠すように、葵ノ進は指示を出した。

 指示に従って駆け廻りの一人が野次馬を掻き分け、二人が戸板を持ち、もう一人がサネの体を支えて動き出す。

 結果、残ったのは将五郎と葵ノ進二人だけになった。

 二人は暫く黙って仏の見付かった茂みを並んで見ていた。

 不可思議なことが起きていると思った。

「サネさんは自分以外の誰の姿も見ていないし、大きな音も、争うような声も、悲鳴の一つも一切聞いていないと言っていましたね」

 葵ノ進が自分自身の考えをまとめるかのように確認を口にした。

「つまり、あの仏さんがここに来たのは今日じゃねぇってことだわな」

「でも、昨日来たときはそんなものはなかったとも言っています」

「サネって女が見落としていたり、見ていなかった可能性も捨て切れない以上鵜呑みにはできねぇが、仮にそうだったとしたら、あの仏さんは昨日の夜から今日までの間にここに捨てられたってことだな」

 茂みの中を覗きこむ。

「夜……ですか?」

「夜だろ。昨日誰も騒いでいないんだ。だったら人通りがなくなってからここに来たってことだろ?」

「あ、そうですね。日中だったら誰かが見ますからね」

「よっぽど誰も来ない場所だったってなら話は分かるが、ここは意外にお参りに来る人間多いからな。まぁ、そのとき見える位置になかっただけかもしれねぇが……」

「何かの弾みで隠していたのが出て来たってことですか?」

「出て来た……つーか、ズレたってところじゃねぇか?」

 と、腕を組んだ将五郎が右手で顎を擦りつつ考えを述べれば、

「でも、だったらどうして昨日の夜から今日の朝にかけて誰かが棄てたってことになるのですか? もっと前からだったかもしれないじゃないですか」

「いや、その可能性もないとは言わないが、この辺の茂み、綺麗に刈り揃えられているだろ? これは俺の知り合いが一昨日切り揃えたものなんだ」

「え?」

「だから、もしもその前に棄てられていたなら気が付かないはずがないんだ。こんな大きなものを見落とすほど老いぼれてもいないからな、あいつも」

「じゃあ、やっぱり置かれたのはその後ですよね」

 将五郎に倣い、同じく腕を組んで右手を顎の下に添えて考え込む葵ノ進。

「まぁ、そうだとすると、腑に落ちねぇことが二つ……いや、三つか?」

「何故今になって捨てたのか。何故人の目に付く場所ばかりなのか」

「そして、何だってあんな綺麗なままの着物でいるのか……」

「あっ」

 思いも寄らない将五郎の発言に、思わず驚きの声を挙げてしまう葵ノ進。

 将五郎は一瞬得意げな笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻って硬い声音で続けた。

「殺されそうになれば抵抗する。抵抗すればどこか怪我をする。怪我をすれば血が出て、血が出れば普通着物も汚れる。仮に、傷を負わされていなくて病死だったり転んで頭打った所為であっさり逝っちまったとしても、ああやって干乾びるまでには何かしら人からは出るもんだ。でもあの仏さんは全くそういう汚れがなかった。

 あれじゃあまるで、干乾び切った死体にわざわざ用意した着物を着せて捨てに来たようなもんだ。それに、仮に捨てに来たのだとしたら、人一人を背負ってくれば目立つし、人一人入るものを一人で運ぶのも骨が折れる。前の二件だって、結局目撃情報がねぇんだろ?」

「はい。真夜中に行われているかもしれませんので、目撃者がいないのも仕方がないのかもしれませんが」

「真夜中に一人で仏さんを背負って歩くのもぞっとしねぇし、何かに入れて引きずっていく様ァ想像するのもぞっとしねぇが、まぁ、可能性的にはねぇわけでもねぇ。でもな、根本的な問題がある」

「根本的な問題?」

「人は一晩じゃ干乾びやしねぇってことだ」

「あ」

「冬場に孤独死した人間は稀に干乾びちまうことがあるらしいがな。

 それだって、一日二日で干乾びるもんじゃねぇ。

 それ以外の季節で死んだなら、まず、干乾びる前に殆どが腐る。

 人の腐った臭いっつーもんは、表現のしようがねぇくらいに酷ェ。

 長屋でそんなもん漂って来たならすぐにバレる。

 噂の一つぐらい立ってたっておかしかねェ。

 それこそよっぽど上手くやらなくちゃ隠し通せるもんじゃねぇんだ。虫も湧くしな。でも、そんな話も聞かねぇ。可能性としちゃ、そんなもんを隠し通せる場所を持っている奴ぐらいだ。

 でもな、もしそんな場所を持っていたとして、うまく干乾びさせることが出来たとしよう。もっと腑に落ちねぇことがある」

「何ですか?」

「少しは考えたらどうだい、葵ノ進」

 困ったもんだと言わんばかりの苦笑を向けられて、葵ノ進はハッと我に返り慌てて謝罪を口にした。

「す、すみません」

「まぁ、いいがよ。んじゃ、一つたとえ話をだそう。もしお前さんが仏さんを隠すとしたら何でだ?」

「何故? それは自分が誰かを殺してしまったことを隠さなければ自分の立場が危うくなるからです。あ」

「気が付いたか?」

「はい。せっかく長い間隠していたものを、何故態々人目に付く危険を冒して捨てに来たのでしょう?」

「それがわかりゃ何の苦労もねぇがな。

 ただ、もしこれが同一犯だとしたら、こいつは最低でも三人の人間を殺した上で、干乾びるまで隠しておいて、干乾び切った後に態々着物を着せてやって、人目に付く危険すら承知の上でだ。

 そうなりゃもう、こいつは完璧に変人の域だ。普通の頭で考えたって下手人絞り込むことは難しいだろう。

 逆に、これらの三件が全員別の人間の仕業で、単に偶然重なっちまっただけだとしたら、それはそれでぞっとしねぇ。

 常識では理解出来ないことを当たり前のようにやる連中がこの区にいると思うと、すれ違う奴が皆気味悪く見えちまう。

 まぁ、下手人が別々だと考えるよりは同一犯だと思った方が分かり易いけどな。

 もしそうなら、探す人間は独り暮らししている奴か金持ち。場所だったら廃墟とか小屋だな。それもずっと人の手が入っていない場所。そう言うところは人自体が近付かねぇだろうからな」

「複数犯と言うことはないのですか?」

「ねぇわけじゃねぇがな。考えても見ろよ。何人かで人殺して干乾びさせた死体を態々捨てることに何の意味がある? 死体を晒す必要はねぇだろうが。そのままいっそ埋めちまった方が完全犯罪だ。それはまぁ、下手人が一人だとしても同じことが言えるがな」

 と、溜め息を一つ吐き、将五郎は続けた。

「それに、だ。もし複数の人間が一人の人間に対してそうしたとして、一体どんな理由があればそんな無駄に気の滅入ることをする?

 それこそ、死んだ人間が干乾びて行く様を見るのがとても好きだって言う連中の集まりだってんなら話は分かるが、捨てに来る意味がわからねぇ。捨てるなら何も、人が見付ける場所に捨てる必要はねぇだろうが。見付けられても構わないって言うのなら、むしろ堂々と道にでも転がしとけばいいんだ。

 でも、そういうわけでもねぇ。あれじゃあまるで、いらないけどお前も見たいなら見ればと言わんばかりだ。おもちゃに厭きた子供のやることと一緒だ。

 まぁ、わからねぇって言っちまえば全部がわからねぇことだらけの事件だがな。

 結局は手っ取り早く解決するためには仏さんたちが誰なのか分からなきゃならねぇってことだな。そうすりゃ、下手人が一人なのか複数なのか分かるかも知れねぇしな。

 人捜しの依頼書をあらって、住民書を基に一人暮らしの人間当たって、その辺りの聞き込みをして……ああ、調べるなら仏さんの見付かった辺りを徹底して探せばいいだろうな。下手人は人の途絶える時を知っているんだろうからな………って、何だ、葵ノ進」

 ぽかんと口を開けている葵ノ進に気付いて将五郎が口を閉じたなら、葵ノ進は眼を輝かせて呟いた。

「叔父さん……本当に、叔父さんが戍狩にならないなんてもったいないです。私にはとてもそこまでのこと考えも付きませんでした」

「おいおい。それでも戍狩様か? 駆け廻りの意見を丸呑みしてどうするんだ。お前さんが俺たちを使わなくちゃならねぇんだぞ」

「全く持ってお恥ずかしい限りです」

「やめろ、やめろ。俺に頭下げてどうする。俺の言ってることなんて戍狩様たちがいつも口にしていることを言ってるだけなんだからよ。お前が頭下げてたら俺が考えた言葉みたいに思えるじゃねぇか。こんくらいのことは先輩にくっついて歩いていればすぐに分かるようになるさ。って、そう言やぁ、お前さんの指導委しどうい様はどうした?」

 本当に今更のように将五郎は辺りを見回して尋ねた。

 新米戍狩には必ず一人指導役の人間が付く。その姿がないことに将五郎が首を傾げたなら、葵ノ進は言った。

「ああ……早瀬はやせ様は今日、非番なのです」

「はぁあ?!」

 軽く告げられた答えに、将五郎は心底呆れた声を挙げた。

「非番……って、お前。指導委が非番なら、お前も本当は非番になるんじゃないのかい?」

「はい。でも、こんな事件が起きてしまったのにのんきに休んでなどいられません。早瀬様に言って、早速調査に当たりたいと思います」

「いや、思います! じゃなくて」

「戍狩は町民を守るためにあるのですから、きっと分かって下さいます!」

「いや、まぁ、早瀬様なら分かってはくれると思うが……」

「では、行って参ります。またすぐ協力をお願いするかもしれませんので、そのときはまた宜しくお願い致します!」

「あ、ああ。まあ、それはいいが」

「では、失礼いたします」

「お、おう」

 まるっきり人の話を聞いていない葵ノ進を目の前に、将五郎はなし崩しに返事を返すしかなかった。

 張り切って鳥居を駆け抜けて行く葵ノ進を見て、一生懸命なのはいいが、潰れなければいいな……と、微笑ましくもあり、不安でもあり、複雑な心境で見送って、将五郎は少しでも何か手掛かりがないか、仏の出た周辺を再び調べ出すのだった。

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