(2)


「はい、トメさん。頼まれたものはこれで全部だったよね」

「ああ……もう、何とお礼を言えばいいもんだか、戍狩様にこんなことさせちまって」

「いいんですよ。困ったときはお互い様です」

 早瀬は恐縮し切っているトメに向かって柔らかく微笑んで見せた。

 年の頃は二十も後半。上背があり、優しげな顔立ちをしている。

 髪は黒。戍狩の着物の上からでも、細身ではあるがしっかりした体格であることが分かる早瀬は、ある長屋の一角にいた。

 隣の音が丸聞こえの薄い壁には罅が入っている。入ってすぐ右には水がめ。左には竈。

 狭い土間を上がれば板張りの上に申し訳なさそうに乗っている磨り減った茣蓙ござが敷かれている。右奥には着物を入れている差ほど大きくもない行李が一つ。その隣に薄い布団が畳まれて置かれていた。

 その他には何もない。あるとすれば繕い物の仕事を請けた着物たちぐらい。

 寂しい家だと言えば寂しい家だろう。だが、他の長屋もトメの現状とさほど変わらないことを早瀬は知っていた。早瀬が子供の頃暮らしていた場所も同じようなものだった。

 今となっては特別に宛がわれた屋敷に暮らしてはいるが、自分がそれほど大層な人間ではないことも知っているため、むしろ長屋に住んでいる方が性に合っているような気がしている。

 しかし、普通は戍狩が長屋に来ることはない。故に、トメが恐縮し切って顔を上げることが出来ないのも仕方のないことではある。

 だが、その原因を作っている早瀬にしてみれば、そんなに畏まらなくても……と思わずにはいられない。早瀬にしてみればお礼が欲しくてやったわけではないのだ。

 非番であることをいいことに、久しぶりに知人の元へ行こうと町を歩いているときだった。無頼漢たちが大手を振って早瀬に気づかず歩いていた。

 歩いているだけなら戍狩であろうと捕まえたり尋問したりはしない。

 ただ、そのときはその前をトメが歩いていた。

 トメは右足が若干不自由だった。故に、右足を引きずるように歩き、歩みが遅い。

 それでもトメは繕い終えた古着を古着屋に持って行くために、人の邪魔にならないように端の方をゆっくりと歩いていた。

 無頼漢達はそれを後ろから突き飛ばしたのだ。

 体の小さなトメである。

 無駄に体格のいい男にいきなり突き飛ばされでもしたなら、軽々と飛ばされた。その拍子に手首を傷めた。

 謝りもせず、助けもせずに去って行く無頼漢達を叩き伏せたのは戍狩としての当然の行為だと思っている。

 地面で蹲ってしまった男達を駆け廻りに託して、トメを医者の元へ連れて行き、帰りに食料の買い出しをして、長屋まで運ぶのも当然のことだと思っていた。

 戍狩は人を守って助けて何ぼの仕事だと早瀬自身思っている。

 だからこそ、自分のした行為は全て当然のことであって、拝まれるほど立派なことだとは思ってもいない。

 それ故に、恐縮し切っているトメを見ている方が、何だか恐縮してしまいそうになった。

 これがまた、戍狩でなかったなら違ったのだろうが、生憎と早瀬は戍狩だった。

(これ以上ここにいてはかえって迷惑かもしれないな)

 それも何だか寂しいものだと思いながら、早瀬はトメに向かって言った。

「じゃあ、あまり長居しても何だから、そろそろ帰りますね。お隣さんとかにも事情を話しておきますから、何かあったら頼って下さいね」

「いや、もう、本当に何から何までありがとうございます」

「いえいえ。では、お大事に」

「はい」

 何度も何度も頭を下げるトメに頭を下げて、早瀬はその場を後にした。

 勿論、きちんと両隣とお向かいに声を掛けるのも忘れずに。

 いきなり現れた早瀬に、初めは何事かと驚く人々。だが、相手が早瀬だと知り、頼みごとをされては、苦笑を浮かべながらも皆快く引き受けてくれた。

(よし。これで大丈夫だな)

 早瀬は晴れ晴れとした気持ちで長屋を後にした。


            ※


(今日は久しぶりに知人に会いに行くのだ。土産は何にしよう?)

 早瀬は、長屋とはまた雰囲気の違う賑やかな表道を歩いていた。

 通り一本違うだけで全く違う顔を見せるのだから、町と言うのは不思議なものだと思う。

 通りにずらりと並ぶ様々な商店。着物や簪などの身に付けるものや、紙風船や竹とんぼなどの玩具を扱っている店。食べ物屋もあれば酒屋もある。あらゆる商い屋がこぞって客を獲得しようと呼び込む姿もあり、通りは活気に溢れている。

 そんな店先を冷やかしも同然に見て歩く早瀬。

 非番にも拘らず戍狩の格好をしているため、店主達が愛想笑いを浮かべて頭を下げて「何かおありですか?」と訊ねて来る。

 自分自身に何も疾しいことがないのなら、そんな不安そうな顔をしなければいいのにと思いつつ、早瀬は「土産を探しているだけだ」と笑ってやった。

 そう言えば、大抵の店主は安心したような顔になる。中には早瀬の顔を見知っていて気軽に声を掛けて来る者もいるのだから、早瀬にしてみれば様々な人がいるものだ。と言うことになる。

 様々な人がいると言えば、早瀬がこれから会いに行こうとしている知人もある意味変わっているだろう。

 その知人はある意味変人だ。菓子を買って行ったところで食べるわけでもない。酒も飲まない。魚は生臭くて好きじゃないから持ち込むなとまで言われた。

 年の頃は二十代。若くも見えるし、早瀬ぐらいにも見える。下手をしたら年上かもしれない。妙に落ち着き払っていて、いつも面白くなさそうで、お陰で男の早瀬から見てもせっかく整っている顔立ちが台無しだ。

 人と会うのが嫌いだからと言って屋敷から出ようともしない。お陰で肌はおしろいを塗ったように白い。

 髪を切るのが面倒だからと言って伸ばしっ放しの黒髪は、手入れもしていない割には艶やかだ。

 とにかく面倒なことが嫌いな男だった。

 着物も何日も着続けるし、風呂にもろくに入らないらしい。

 その割には不潔に見えないのだから騙されているのかもしれないと何度思ったか分からない。

 口を開けば喧嘩を売るような暴言を吐く。

 慣れていないものがいきなり接したなら、十人中九人は怒り出す。

 早瀬は残りの一人の方だった。

 遊びに行ったところでろくに相手をしてくれるわけでもない。

 それでも早瀬は満足だった。勝手にしろと言われたので勝手にしているだけなのだから、それに付き合えと図々しいことは言わない。

 それに、その知人が相手をしてくれなくても、そこにいる小さな女の子が懐いてくれているので、それだけで満足だった。

「そうだ。小珠こだまちゃんに何か買って行ってあげよう。惺流塞せいりゅうさいには紙でも買って行けば大丈夫だろうしな………ん?」

 その瞬間、早瀬は自分を呼んでいるような声を聞いたような気がして立ち止まった。

「早瀬様ぁー!」

「ん? あれは葵ノ進か?」

 声のする方へ顔を向ければ、自分と同じ非番のはずの葵ノ進が、やはり自分と同じ戍狩の姿で駆けて来るのが見えた。

「や、やっと見つけました、早瀬、様!」

「ん、ああ。おはよ。どうしたんだ? そんな全力疾走して」

 目の前までやって来て、膝に手を当て前かがみになり、肩で息をしている葵ノ進に向かって、早瀬は当たり前のように挨拶をした。

 余程急いでいたのだろう。なかなか呼吸が落ち着かない葵ノ進を見て、もう少し体力を付けさせなければならないだろうか? と考える。

刹那、下から葵ノ進に睨みつけられた。

「お?」

これには少し驚いたが、次に葵ノ進が紡ぎ出した台詞には、思わず苦笑が浮かんでしまった。葵ノ進は言った。

「どうして番所にいてくれないのですか! 私がどれだけ捜し回ったと思っているのです!」

 共に非番であることを完全に忘れている葵ノ進は、人目も気にせずに怒鳴りつけて来る。

「今朝方また三体目の仏が見付かったって言うのに、早瀬様を捜していたら昼時になってしまったではないですか!」

 なるほど。葵ノ進が血相を変えて自分のことを捜しに来た理由が分かった。

 葵ノ進は早く一人前になろうと焦る面がある。もしかしたら誰もがそういう気持ちを初めは持っているのかもしれない。残念ながら、早瀬には初めからそういう背伸びをするような気持ちはなかったのだが、葵ノ進の行動に対する周りの話を聞いていて理解しているつもりではいる。

 この頃、上区では干乾びた奇妙な死体が間を置かず発見される事件が起きていた。

 戍狩になってすぐの不可思議な事件に、葵ノ進は取り憑かれたようにのめり込んでいることは早瀬にも分かっていた。それがまた、たまたま非番の日に重なったため、休んでいられないとばかりに戍狩としての使命感に燃えて自分を捜しに来たのだろうと言うことまで把握する。

 初めから飛ばしているだけでは疲れてしまうと思うのだが、今の状態では何を言っても通じないと言うことも分かっているため、早瀬は掌を葵ノ進に向けて言葉を止めると言った。

「悪かった。すぐに調査してみよう。仏さんはどこだ?」

「番所の方に運んでもらっています」

「そうか。じゃあ、すぐに行ってみよう」

「はい!」

 先程までの不機嫌さがまるで嘘だったかのように、満面に笑みを浮かべて返事をする葵ノ進。

無理もない。新人戍狩は指導委がいなければ事件そのものに関われない決まりになっているのだから、早瀬が同意してくれたのが嬉しくて仕方がないのだ。

だからこそ早瀬は思う。

 葵ノ進も大変だな……と。

 葵ノ進が背伸びをして仕事をこなそうとしている背景には、自分の父親が関わっていることを早瀬は知っていた。

 葵ノ進の父親は、戍狩の上司である『戍狩親じゅしゅちか』という役職についている。これは江戸で言えばある意味『与力』に当たる役職で、戍狩親は戍狩のまとめ役であり、指導者であり、監視役を担い、時として人事の権限も持ち合わせていた。

 そのため、葵ノ進が若くして戍狩になれたのも、親の影響があるのではないかという噂が飛んだ。

 だからと言って、本人を目の前に堂々と嫌味を言う人間はさすがにいなかったが、誰も葵ノ進に関わろうともしなかった。下手に指導委になって不興を買い、そのせいで地方に飛ばされたのでは堪らないと言うのが理由の一つだった。

 故に、葵ノ進の指導委役が早瀬に回って来た。

 早瀬は、葵ノ進が自力で戍狩になったと信じている。

 五歳六歳の子供ではない。自分の置かれている状況というものをきちんと把握している葵ノ進は、自分が事件に携われないのも、仕事を任せてもらえないのも、何かがあったとき、自分が父親に密告してどうこうされると思っているからだということを認識している。

 だからこそ葵ノ進は、一日でも早く、自分が仲間から認めてもらえるように無理をする。それが分かっているからこそ、早瀬は葵ノ進を止めることが出来なかった。

 ただでさえ葵ノ進は精一杯に背伸びをしている。

 それに対して、『一生懸命に背伸びをしたところで届きはしないよ』と現実を突きつけるのも優しさなのかもしれないが、早瀬は出来ることなら届くように手助けしてやりたいと思っていた。そうでなければ、葵ノ進があまりにも孤独で可哀想に思えた。

(可哀想何て言ったら侮辱かな?)

 自分の葵ノ進に対する評価に疑問を持つ。

 何はともあれ、今日は知人宅には行けそうにないということを理解して、走り出している葵ノ進に付いて行く。

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