(3)
「……しかし、これはまた見事に干乾びているもんだ。人間って言うのは皆、こうも綺麗に干乾びるものなのか?」
番所の裏の死体置き場で、早瀬は筵を捲って仏を見た。
「普通は腐るもんなんだが、立て続けに見付かると、もしかしたらそうなのかもしれないと思えて来るよ」
早瀬の問い掛けにうんざりとした口調で答えたのは、
年の頃は三十初め。何故か左の耳の上の髪が一房だけ白い黒髪は首元で一つに束ね、白衣を着込んでいる志乃坂の仕事は、仏の検分。外傷や身元を調べるのが志乃坂の役目だった。どちらかと言えば戍狩や駆け廻りなどの体力勝負が得意そうな外見だが、意外にも細かいことに気が付く几帳面な男だった。
「それで、何か分かりましたか?」
葵ノ進が急かすように問い掛ければ、志乃坂は口の端を持ち上げて笑って見せると、
「ああ」
と答えた。
「こいつは多分、
「横栄区の平福屋?」
横栄区とは、
そこの平福屋と言えば、鼈甲の簪を多く扱っていることで名が知れている。
「どうしてそこの息子だと?」
感動よりも、前二件とは違い、あっさりと身元が判明したことに戸惑い気味に葵ノ進が訊ねれば、志乃坂は面白くなさそうに捕悔(とく)を使って、仏の着ている着物の襟を捲って見せた。そこに三角の中に『平』の字が入っている家印が入っていた。
「ああ、なるほど」
余りにも大きな手掛かりの存在に、感動よりも拍子抜けしたような顔をする葵ノ進。
しかし、次の瞬間には腑に落ちなさそうな表情を浮かべて言った。
「でも、おかしいですよ。私が今朝見つけたときに駆け廻りの人と一緒に調べたときにはそんな家印ありませんでしたよ? もしかして、見落としていたのでしょうか?」
終いには、不安そうな表情を浮かべたため、志乃坂は苦笑を浮かべて答えた。
「大丈夫だよ、坊ちゃん。この家印は初め隠されていたのさ」
「隠されて?」
「そう。何故かは知らないが、同じ布を縫い付けて、家印が見えないようにしていた」
「良く見つけましたね」
「仕事柄勘は働く方なんでね。違和感があったんだよ。ただなぁ……」
「ただ、どうした? 何か腑に落ちないことでもあるのか?」
「家印付きの着物だけで決め付けていいものかと思ってな」
「駄目なのですか?」
「駄目……と言うか、何と言うか。仏の状態が状態だろ?
着物もそれなりに汚れていれば話は別だが、どうにもこれじゃあ」
「干乾びた死体の上から着物を着せたように見える。ってことですか?」
「ああ。そこなのよ。
噂じゃあ平福屋の倅はかなりの遊び人らしいからな。自分の着物を古着屋に売って、そこで自分の好きな着物を買って着たりすることもあるらしい」
「そうなると、本人と言うより、たまたま死体に着せるために古着屋で買った着物がそれだった。っていう可能性もあるわけだ」
「じゃあ、必ずしも平福屋の息子って決まったわけじゃないじゃないですか!」
「だから、『多分』って言っただろ。初めに」
「あ」
せっかく何かの手掛かりが手に入ったと思った分、葵ノ進の落胆は隠し切れるものではなった。
「まあ、そんなに落ち込むことはないだろう」
早瀬が気楽な口調で慰める。
「少なくとも平福屋の息子が関わっているかもしれないって可能性だけは分かったんだから、後は平福屋の息子が今もちゃんと生きているかどうかを確かめればいいんだ」
「ですが、そうなると川の向こうなので管轄区が変わってしまいます。私たちは何も出来なくなるのではないのですか? もしそうだったら私は悔しい」
「大丈夫だよ。区毎に番所はあるし、戍狩もいるけど、あくまでそれは便宜上だから。死体はこっちで見付かって、その身柄が別の区のものだったとしたら、一言挨拶してから調べれば何の問題もない。人事異動があれば俺でもお前でも、いつ、どこの区に飛ばされるか分からないんだから。そんなところで無意味な縄張り争いしても空しいだけさ。意地の張り合いをしていた区に移動してみろ。それこそ針の筵で仕事どころじゃなくなる」
「では……!」
落ち込んでいた葵ノ進の眼に輝きが戻る。
「これからちょっと挨拶に行って、平福屋に顔を出しに行こう」
「はい!」
「念のために、これは片付けないで置くから、出来るだけ早くしてくれよ」
「分かった」
そして二人は番所を後にし、横栄区へと向かった。
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