第二章『疑わしき者』

(1)

「すまない。邪魔をする」

「へい。ああ、これはこれは戍狩様。今日はまたいかがなされました?」

 嬉しそうな顔をして出て行く女性客を見送って、恰幅の良い平福屋の主――喜兵衛きへえが、柔和な笑みを浮かべて出迎えた。

 本来であれば、いきなり戍狩が入って来ようものなら営業妨害もいいところだと言うのに、微塵もそのような不快さを滲ませない辺りがさすがのやり手だと早瀬は思う。

 客の中にはいきなりの戍狩の登場に、何事かと言わんばかりの表情を浮かべて急いで出て行く者もいる。

 同じ鼈甲の簪でもピンからキリまでの値段があり、それが固定客を掴んで繁盛しているのだとは思うが、だからこそ邪魔をしてしまったと早瀬は思った。

 働き手たちも何事かと、やって来た戍狩二人を盗み見ている。

 だとしても、それらは全て想定内の出来事であり、覚悟していなければならないことだ。今更それらの反応に動じていては戍狩の仕事など出来るものではない。

「少し訊ねたいことがあって来たのだが、大丈夫だろうか? 何なら場所を移してもいいのだが……」

「いえいえ。わたくしどもは何も疚しいことはしておりませんので、どうぞお気になさらず。

 あ、これは失礼を。立ち話もなんですので、どうぞこちらに。

 おい。戍狩様方にお茶をお出しして」

「いえ。お構いなく。商いの邪魔をした上にそのようなお心遣いを使わせてしまっては申し訳ない。今回お邪魔させてもらったのは、こちらのご子息に用があってのこと。ご子息はご在宅か?」

「倅に……ですか?」

 喜兵衛が戸惑い気味に用件を繰り返す。

 そして、弱り果てた苦笑を浮かべると切り出した。

「またぞろ何かやらかしましたかな? 手前共の息子ながらどうにもならない札付きの問題児で……。三日ほど前から帰って来ておらんのです」

「三日前から?」

 息を呑むように葵ノ進が早瀬の後ろで声を挙げる。

「それは本当のことですか?」

「ええ。あれもまたいい歳です。子供のころは何かと世話を焼きましたが、それがいけなかったのでしょう。いつまでも親が何とかしてくれると思われていても困りますので、何かしでかしたと言うのであれば、自分で対処するようにさせています。お疑いでしたら家捜ししてもらっても構いませんが?」

「いや。問題はそういう事ではないのです。もしかしたら、ご子息の命に関わることが起きているかもしれないのです」

「命に? 一体また何の冗談で?」

 突然やって来た戍狩の口から出た、思い掛けない台詞を聞いて、信じ切れない様子の喜兵衛。

 それもある意味、無理もないことなのかもしれないが、残念ながらそれは冗談の類ではなかった。

「冗談などではありません!」

 葵ノ進が隠し切れない焦りと共に反論する。

「今朝、上外うわはず区の漂元神社で、干乾びた遺体が発見されました」

「はぁ……。それはまた大変なことですが……それと、手前どもの倅と何の関係が?」

「ですから、その遺体が着ていたんです。こちらの家印の入った着物を!」

「はぁ……着物を………………って、その死体が倅だと言うのですか!」

 ようやく戍狩のやって来た目的を理解した喜兵衛は、顔面を青くして顔を強張らせた。すかさず早瀬が落ち着かせる。

「あくまでも、こちらの家印の入った着物を着ていた仏が発見されたと言うだけです。必ずしもその干乾びた仏がご子息だと言うわけではありません。もしかしたらご子息がこちらの着物を売って、それを誰かが買い付け、何か目的があってか偶然か、それを買った者が遺体に着せただけと言う可能性の方が高いのです。

ですから、ご子息の安否を知りたくて来たのですが……。誰か、ご子息の行き先を知る者は居りませんか?」

「わ、わたくしは何も……。

 だ、誰か。誰か知らないか?! 誰かあいつの居場所を!」

 そのときだった。

「一体何の騒ぎですか!」

 ぴしゃりとした張りのある声が、混乱に陥った喜兵衛を一喝した。

 見れば二階から、髪を結い上げ、紺色に百合の花をあしらった着物を着た女が降りて来るところだった。

 年の頃は三十後半。美しい容姿と言えば美しいが、どこか棘のある雰囲気を纏った女だ。

「おお、お前。大変なことになったかも知れんぞ」

 喜兵衛が情けない声を挙げて、女の元へ行こうとする。

 彼女こそが喜兵衛より十五も若いやり手の女将であり、妻だった。

 女将が階段を降り切るや、傍にいた使用人がすかさず耳打ちをする。

 おそらく、喜兵衛が語るよりも余程的確に伝わったものと見え、女将は真正面から早瀬を見ると、堂々と言い放った。

「ここであーだこーだ言っていても埒が明きませんわ。いっそのことそちらにお邪魔して確認を取った方が早いと思いますが? いけませんか?」

「お、おい。戍狩様になんて口の聞き方だ」

「なんても何も、あの放蕩息子のせいで商売上がったりですわ。戍狩様もお仕事でおいでなのでしょうが、やはり戍狩様がいらしていると、わたくしどもで何かがあったと誤解されてしまいます。妙な噂が立てばあっという間にお客様たちが離れて行ってしまいます」

「だからってお前」

「あなたがもっと堂々としていて下されば何の問題もないのですが。夫婦揃っておどおど、おろおろしていては話が進みません。違いますか?」

「あ、ああ…まあ、そうだが」

「そういうことですので。

誰か。駕籠を用意してちょうだい。あと、あの馬鹿息子によく話を振られていた人も二、三人付いていらっしゃい。隠しても知っていますから、余計な手間をかけないでちょうだい」

 それからは女将の独壇場だった。喜兵衛も戍狩の二人も口を挟む間もなく、一向は上外区の番所へと移動した。

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