(終)


 地面の上に転がっている掌ほどの大きさの水色の玉を拾って、早瀬は惺流塞の元へ歩を進めた。

「ボロボロだな」

 命懸けで頑張った者への労いの言葉がそれだった。

「これでも頑張った方だと思うけど」

 苦笑いを返して玉を渡す。

 惺流塞は元々妖だったその玉を受け取り、そのまますぐに小珠に渡した。

 小珠はその玉を大事そうに袋にしまって袖へと戻した。

 それを黙って見ていると、ふと顔を上げた小珠と眼が合った。

 小珠は満面の笑みを返してくれた。

 それだけで早瀬は満足だった。

「小珠に感謝しろよ。傷ついたお前を見た瞬間、助けろと訴えて来たんだからな」

「そうなのかい?」

 と訊ねると、小珠は恥ずかしそうに笑って見せた。それがまた可愛らしくて、早瀬は小珠の頭を撫でながらお礼の言葉を口にした。そして、

「さっきのは彼女かい?」

 念を押す。惺流塞は面白くなさそうに答えた。

「初め幻吽を貸してやろうと思ったんだがな、自分が行くと言って聞かなかった。だからここから出してやった」

 と言って、掲げて見せたのは一本の巻物。つまり、

「彼女も妖になったのか?」

「それがこの女の選んだ道だ。あのとき俺は訊いた。このまま成仏して生まれ変わるか、俺の元で妖として仕え、早瀬を助ける手伝いをするか?

 そしたらこの女は妖になることを決めた。だから俺は水色を司る者として受け入れた。ただそれだけのことだ」

 抜け抜けと言っているが、早瀬の名前を水菜の前で出した時点で、半ば選択の余地を奪っている辺り抜け目がない。

「それだと詐欺じゃないのか?」

 と、駄目もとで言ってみるが、案の定、惺流塞には聴こえていなかったようだ。

 とにかく、これで全てのことに片がついたと思った。

 水菜は自分の意思で物事を選び始めた。

 惺流塞は自分の色を取り戻した。

 妖は消滅して、日常が戻って来たのだ。だが、一つだけ解決していないことがあった。

「でも、その人を捕まえられないとしたら、一体今回の下手人は誰になるのです?

 このまま下手人が上がらなければ、私たちは無能呼ばわりですよ?」

 確かにそうなのだ。遺体は現実に出ているし、事件は周囲の知るところとなっている。この状態で下手人が捕まらないのは、戍狩としては大きな痛手となる。

 だが、水菜を番所に引き立てたところで、その姿は誰にも見えないことになっている。何故自分に見えるのか、何故葵ノ進にも見えるのか、その理由は早瀬にも分からない。

 だとしても、惺流塞自身が。と言うのだから見えないはずなのだ。だとしたら、しょっ引いて行くわけにも行かない。

「確かに。このまま下手人のいない事件をずっと探しているわけにも行かないしな。だからと言って、もう犯罪は起きないから安心しろと言えるわけもないし。根拠もなければ、事件はもう起きてしまっているわけだからなぁ」

「だからと言って、どうでもいい人捕まえて下手人になんて出来ないですし……」

 と、早瀬と葵ノ進二人で頭を悩ましていると、

「いや、それはいい考えだろ」

 横から何でもないことのように惺流塞が言った。一瞬何に同意されたのか分からず、キョトンとする葵ノ進。だが、次の瞬間、

「いいわけないじゃないですか! 一体何を考えているんですかあなたは!

 元を正せば全てあなたの犯した罪じゃないですか! あなたの色だか何だか知らないが、その色のせいで今回の事件が起きたんだ。間接的にあなたが悪いくせに、何だってそんな他人事なんですか!」

「ふん。随分な言い草じゃないか。せっかくお前達のために俺がわざわざ力を貸そうとしているというのに。

 大体な、俺が一体何をしたと言うのだ? 確かに、今回の騒ぎは俺の失われた色が起こしたことだ。だがな、俺から離れた色が勝手にしたことだ。俺から離れたものがどこで何をしようと俺に何の関係がある? 俺が命じたわけじゃない。俺の与り知らぬところで起こされたことに責任を取る必要がどこにある? 俺は保護者でも責任者でもない。むしろ感謝して欲しいものだがな」

「何だって?」

「お前達だけでは今回の事件を止めることすら出来なかっただろうが」

「……っ」

 痛いところを突かれて苦々しく息を呑む葵ノ進。

「俺に、そいつがいなくなって助けて欲しいと言って来たのは誰だ?

 そいつが何人目かの被害者になりそうだったのを助けたのは誰だ?

 確かに、色を見付けてくれたことには感謝してやる。だがな、責められる言われはない。俺が色を回収したからこそ、この事件の幕は降りたんだ。それで何が不満なんだ。ん?」

「…………」

 葵ノ進は悔しそうに唇を噛んだ。

 確かに、葵ノ進が悔しがる気持ちも分からないでもない。だが、早瀬には惺流塞の言い分も納得出来た。

 人が少なくとも五人死んでいる。それで誰一人お咎めなしなど納得出来る物ではない。

 それだけ葵ノ進は正義に忠実で若かった。だが早瀬は、葵ノ進ほど若くはないし、正義というものの定義を持ってはいない。故に、葵ノ進のように怒りを覚えることも悔しさを覚えることもなかった。それがいいことなのか悪いことなのか、いま一つ早瀬には分からないが、起きてしまったものをどうこう言ったところでどうなるものでもない。

 起きてしまったものは起きてしまったものなのだ。問題は、起こってしまったことに対してどうやって決着をつけるか。

 その妥当な解決策が自分たちに思いつかず、惺流塞にあるというのなら、聞いてみるのも一つの手だ。だが、

「一体何をする気だ?」

 普段は自分も何かしろよ。とは思うものの、いざ本当に何かを率先してやろうと言われると、素直に喜べない早瀬。

 そんな早瀬と、憤懣やるかたない様子の葵ノ進に向かって意味ありげな笑みを向け、

「ま、明日を楽しみにしていることだな」

 惺流塞は小珠をつれて、夜の奥へと消えて行った。


             ※


 後日、早瀬と葵ノ進は番所の前の人だかりと遭遇した。

 一体何事かと人を掻き分け前に抜け出てみれば、番所の前で荒縄を撒かれた一人の男が座っているのが見えた。

 それだけならば、自首か何かか? と思いつつも、人々は足を止めたりはしなかっただろう。だが、人だかりを抜けた早瀬と葵ノ進は見た。番所の前で座り込んでいるその男を、戍狩たちが寄って集って移動させようとしているが、まるで微動だにしない様を。

 戍狩たちは五人がかりで本気で引き寄せようとしていたが、男は涼しい顔で踏ん張る様子すら欠片もなく鎮座していた。

 逆に、男を引き寄せようとしている戍狩たちの方が顔をゆでだこのように赤くして息を切らし悪態を吐いていた。

 これは確かに面白い。人だかりが出来るのも無理はないと一瞬思った早瀬だったが、

「一体全体、何をしているんでしょうか?」

 葵ノ進が呆れたような戸惑ったような声を上げたときだった。

 不意に男は二人を見上げ、ぺこりと頭を下げて来たから驚いた。

「お前たちの知り合いか?」

 と、怒りによるものか疲れによるものか、顔を真っ赤に染めて肩で息を吐きながら戍狩の一人に訊ねられ、二人は同時に否定した。

 だが、そんな早瀬に男は言った。

『あんたが早瀬様ですね。此度はご面倒をお掛けしやす』

 お陰で仲間たちから『やっぱり知ってるんじゃねぇか』と言わんばかりの目で睨まれて肩を竦めた瞬間だった。

 ふと、早瀬の脳裏にある可能性が過ぎった。

「もしかしてお前さん……」

 と、皆まで言わずに問い掛ければ、

『へい』

 と男は笑みまで浮かべて頷いて。

「何でもいい。お前の知り合いならお前が何とかしろ!」

 と、仲間たちが怒り心頭で番所に戻って行く後ろで、男は文があることを二人に告げた。

 それを受け、解っていながらも恐る恐る襟元からわずかに覗く文を手に取り広げて見せれば、横から覗いた葵ノ進共々、物の見事に頬を引き攣らせた。

 文には早瀬のみ知った惺流塞の字で、


《俺の絵だ。用が終わったら返してもらう。痛覚なんかはないから好きなようにするがいい》


 と書かれていた。


 本当にやりやがった……と二人は同時に呻いた。

 まさか本当にやるとは……思わなかったと言えば嘘になるだろうが、二人は共に頭を抱えたい衝動に襲われた。

「一体何を考えているんですか、あの人は」

「まぁ、それが惺流塞と言う男なんだよ。本当に」

 頭痛を覚えているかのような葵ノ進に、早瀬も苦笑を浮かべて返すしかなく――

 二人は再び文と男を見比べると、同時に溜め息を吐いて番所の中へと男を引き連れて行った。

 事件の真相究明に困難を来たしたのは言うまでもなく。

 空だけが清々しく青く澄み渡っていた。

                                     【終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鏡現戍狩(きょうげんじゅしゅ) 橘紫綺 @tatibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ