(2)
「本当に、いつ見ても不思議な光景だな」
勧められもしないうちに惺流塞の前に座ってしみじみと呟けば、
「来る度に同じことしか言えんのか」
溜め息と共に言い捨てられた。
惺流塞の言い分を信じるのなら、元々惺流塞はしっかりと色が見えていた。
だが、あるとき、妖によって色を奪われてしまったのだと言う。
初めてその話を聞いたときは、妖など見たことがなかった早瀬にしてみれば信じ難いことだった。
「私には見えなくても見えるのだと、何度言えば分かるのだ」
「何度言われても不思議なものは不思議なんだよ。しっかりと眼が開いているんだから、それで見えないと言われても信じられるものじゃないさ」
「見ているものがそこらの人間とは違うと何度も言っているだろ」
「確かに、妖は普通の人間には見えないだろうからね」
「ふん。妖だったらお前だって見ているだろうが」
惺流塞が鼻先で笑って早瀬の台詞を訂正する。
惺流塞は自分のことを『妖』だと言ってやまない。
その理由というものがまた早瀬の常識を超えていた。
惺流塞は自分の色を取り戻すため、同じ妖の力を借りているらしいのだが、その力を使う度に自らが妖になってしまうと言っていた。それは色を取り戻すほどに増して行くと。
「だが、お前さんは、どう見ても人間だ。お前さんが描いた妖のような異様さがないじゃないか」
ついつい早瀬も笑いを含んで言い返せば、惺流塞は意味ありげな口調で応えた。
「ふん。見えている姿が真実だとは限らないぞ? 妖はいくらでも人間に化けられる」
「だったらお前さんも、そのうち人を取って食うようになるのか?」
「ならないとも限らんな」
「そうか」
妖は人を取って食う。実際に眼にする者は極少数だろうが、その恐ろしさだけは静かに、だが、確実に人間達に浸透している。
「恐ろしいか?」
惺流塞が試すような口調で問い掛けて来る。だから早瀬は答えた。
「そりゃあ、恐ろしいさ」
その瞬間、珍しく筆を止めて惺流塞が早瀬を見た。
おそらく、何も見えていない黒い瞳を見返して続ける。
「もしもお前さんが俺を食ってしまったとしたら、その後のことを考えると恐ろしい。
だってな。考えてもみろ。お前さんが自分を妖だというのなら、俺が今会っているのも妖だ。でもその妖は何度となくやって来る俺を未だかつて一度も食おうとしていない。だったら、必ずしも妖は人間と共存出来ないわけじゃない。こうやって知人にもなれる。お前は俺を友人とは認めないから、とりあえず知人だ。お前次第では友人にもなれる。どうしても食いたくなったら食えばいいが、そのときは俺も抵抗はする。大人しく食われてやってもいいが、我に返った後、お前さんが悲しむといけないからな。俺はお前さんが悲しんだりしている姿を想像するのが恐ろしいんだ」
反応は、すぐには返って来なかった。
だが、それこそが早瀬の本音だった。
早瀬はいつも本音しか言わないが、人が悲しんでいる姿を見るのが一番早瀬にとって辛いことであり、恐ろしいことだった。
仮に、惺流塞が自分のことを殺して食って、血まみれになっている途中で我に返って悲しんだりしたら……と、考えるだけでぞっとする。ある意味、妖艶で絵にはなるだろうが、そんなものは見たくはなかった。だからこそ――
「馬鹿か、お前は」
眉間に力いっぱい皺を寄せ、理解出来ないとばかりに罵倒されてしまえば、早瀬は苦笑いを浮かべるしかなかった。
そうやって早瀬が笑っていると、益々惺流塞は不機嫌に言い捨てた。
「どこの世の中に自分のことを取って食う相手に同情する人間がいる。
お前のようなお人良しは利用されるだけ利用されたらあっさり捨てられてしまうぞ? もう少し警戒心を持ったらどうだ」
「お前さんがそうやって心配してくれるからそれでいいさ」
「誰が心配なんぞしているか。呆れて物が言えないだけだ。
まったく、久しぶりにやって来たかと思えば下らないことをベラベラと。
用がないならさっさと帰れ」
と、言われても、それで帰るなら初めから早瀬も来ていない。
「いやいや。帰れと言われて素直に帰るのでは何をしに来たのか分からないじゃないか」
「何か用でもあるならさっさと済ませて、とっとと帰れ」
返って来る言葉に容赦がない。しかも、再び筆を動かし始めるのを見てしまえば、惺流塞に聞く気などないということが判る。だが、お構いなしに早瀬は続けた。
「今、巷では不可思議な事件が続いていてな」
「で?」
こちらを見ようとはしないが、一応相槌を入れる程度には機嫌が良いらしいと判断する。
「そのどれもが干乾びた遺体で発見されるんだ」
「で?」
「しかも、何の前触れもなく突然現れる」
「で?」
全く同じ相槌に、てっきり聞く耳を持ってくれたのかと思ったが、単におざなりに扱われているだけだと気付く。だが、それはそれとして早瀬は事件のあらましを説明した。
行方不明になった二、三日後に発見された干乾びた遺体のこと。
既に数は五体。二つの区に跨っていること。
人目の多い場所に夜中のうちに置かれているらしいということ。
遺体現場には下手人の手掛かりが全くないこと。
汚れていない着物のこと。
とりあえず、今の時点で分かっていることを全て話した。
その上で、早瀬は自分の感想を口にした。
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