(3)
「何だかなぁ……」
志乃坂が苦虫を噛み潰したような顔で呟けば、
「何なんでしょうか、あれは」
困惑し切った表情を浮かべて葵ノ進が続けた。
「普通はもっと取り乱したり、泣いたりするものだと思っていましたよ」
「普通はな……」
理解仕切れない女将の言動に対する葵ノ進の疑問に、早瀬はあえて何も言わずに同意した。
「つーか、そもそもの疑問として、自分の息子が三日ぐらいで干乾びることに疑問をもたねーもんかね。もしかしてあの女、人間は三日もあれば干乾びるとでも思ってんのかね。まぁ、条件によってはないこともないかもしれないが……。
それとも、ああ見えて気が動転しまくっていて冷静に考えられないとかなのか?
そうじゃなきゃ、ありゃぁまるで死んでてもらった方が助かるとでも言ってるようだぞ?」
「まさかっ!」
ある意味、問題発言をする志乃坂に対して、葵ノ進が抗議の声を挙げかける。
しかし志乃坂は自分の言葉を翻すことはしなかった。
「俺は今まで沢山の人間の悲しみを見て来た。自分の大切な人間かもしれないという不安と共にやって来て、違うことを心の底から祈り、違ったことで泣くほどホッとしたり、受け止めきれない現実を直視して倒れたり、狂ったり、縋り付いて泣きじゃくる様を何百何千と見て来た。
そりゃあ中には気丈に振舞って涙を流さなかった人間もいる。
だが、それだって隠し切れない怒りや悲しみが見て取れた。
中には最後まで認めなかった者もいる。
それに比べてどうだ。あの女は涙の一つも見せやしない。ありゃあ、気丈とかどうとかそう言うもんじゃない。息子を大切な存在だと思ってもいない。死んでようが生きていようがどうでもいいんだ。
むしろ、殺されたのが息子じゃないことを祈って来たと言うより、息子が死んでいることを確認しに来た感じじゃねぇか。
だから、息子だと分かっても動揺することもなかったんだ。
否定しようとすればいくらでも否定できたのに。あの女は否定し切らなかった。
それどころかあっさりと認めやがった。しかも、葬儀をしたいから遺体を寄越せと来たもんだ。普通は、一体誰がこんな惨いことをしたのか聞くだろ? 下手人に対して呪いの言葉を吐くだろ?
でも、あの女は一言も俺たちに訊いちゃいない。違うか?」
「確かに……言われてみればそうです」
その瞬間。葵ノ進から憑き物が落ちたように、すっきりした表情が浮かんだ。
「そうです。そうですよ。何かがおかしいと思っていたら、それですよ。
あの人は一言も下手人に対しての怒りの感情も、息子が死んだことを悲しいとも口にしていないんです。普通の人が口走るであろうことを一言も発していないんです。
だからこんなにも私はあの人に引っ掛かりを覚えていたんです」
「先入観で人を見ちゃいけないとは良く言ったものだが、あながち噂も本当だったのかもしれないな。あの女を直に見ていれば嫌でもそう思えて来る」
志乃坂が忌々しげに吐き捨てる。
「噂ですか?」
当然のことながら食らい付く葵ノ進。
「ああ。平福屋の倅と言えば、金は掠め取る。博打はする。女遊びは派手で、喧嘩もする。何が気にいらねぇんだか問題ばかりを起こしていて、その筋じゃあ名前の知られている方だったらしい。その度に親は金を積んで、事を荒立てないようにして来ていたらしいんだが、当然のことながら、いつもいつもそんなことを続けていられるわけもない。
そんなある日、唐突にあの女、嫌気が差したんだと。そりゃそうだ。そんなドラ息子。俺の息子だったら半殺しにして反省させた上で勘当してやる」
「せめて勘当だけにしないとお前が捕まるぞ」
「物の例えだ物の例え。俺には息子はいない。いるのは娘だ」
「それで? 嫌気が差してどうしたんです?」
「ああ。それで、とうとう我慢の限界が来たあの女が、言ったそうだ。
あんな息子、誰かが殺してくれればいいのに! てね」
「まさか」
「俺だってそう思ったさ。金持ちに対する僻みや嫉妬から捏造した、根も葉もない作り話だと思って聞いていたさ。
でもな。実際にあの女の行動を見ただろ? どんなに手の掛かる子供でも、死んだら普通涙の一つでも流すもんだ。それすらする必要がないほど、あの女は自分の息子に愛想を尽かしていたんだ。そう思ったら、噂だって真実味を増して来る。
死んでしまったことを周囲に知らせたなら、それこそ葬儀を挙げてしまったなら、戸籍から息子の存在を抹消出来る。一度抹消してしまえば実際生きていたとしても同じ戸籍を与えられない。それをあの女は狙っていたんだ。
嘘だろうが本当だろうが、葬儀さえ挙げてしまえればいいんだからな。
その点、今回の遺体ほど条件に当てはまる遺体もないだろう?
特徴は一緒。着ているものは店の家印入り。暫く帰って来ていない上に、容姿なんて判別できない。特徴だけで認めさえすればそれで戸籍から抹消出来る。葬式を出してしまえば参加者全員が承認だ。しかも、番所で立ち会ってお墨付きを貰ってしまえば確実だ。
そうなれば、堂々と厄介払いが出来ちまう。煩わしい人間とはおさらばだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。それだとまるであの女の人が……」
志乃坂が言わんとすることに気付き、葵ノ進が焦る。
「いくらなんでも、そんなことして堂々と番所なんかに来るわけないじゃないですか!」
「分かってるよ。坊ちゃん。いくら俺だってそこまで馬鹿なことを言うつもりじゃない。ただ、可能性があるかもしれない……ってだけだ」
「可能性だけで下手人扱いは出来ないだろ?」
「わかってるさ。ただ、疑いたくなるほど俺はあの女が気に入らない。
本当の息子だろうが、身代わりだろうが、一つの命が消えたんだ。それを目の前にしたら、嘘でも悲しむ振りをするべきなんだ。失ったら戻らないものを悲しむ心は持っているべきなんだ。それをあの女は持っていない。
仮に、悲しむ術を持っていない不器用な人間なんだとしても、怒るぐらいは出来るだろ? あれほど命を蔑ろにした人間は、俺は嫌いだね。殺されたこいつらが自業自得だろうが何だろうが、哀れだ!」
志乃坂の怒りが爆発し、一瞬、死体置き場を静寂が支配した。
おそらく、この場にいた人間の中で、最もこの遺体を憐れんでいるのは志乃坂だっただろう。来る日も来る日も、物も言わない仏達を眼にし、居た堪れない気持ちで寺へと送る。
遺体に対して下手人が捕まらない可能性もある。
中には本当に自業自得のものもあるかもしれないが、理不尽に殺された者たちの恨みの声を聞くのは志乃坂だ。
それに対しての女将の言動は、仏達だけではなく、それらを悲しみ、下手人に怒りを覚えている志乃坂に対しての侮辱にも思えたのだろう。
しかし、残念ながら感情論で下手人を仕立て上げることは出来ない。
証拠がなければ何も出来ないのだ。それが分かっているからこそ、志乃坂は怒っていた。
そして、その気持ちを葵ノ進が引き継いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます