(4)

「やっぱり、妖が絡むのか絡まないのか俺には判断出来ないみたいだな」

「お前はごちゃごちゃにしてしまっているんだよ」

 溜め息と共に呟かれた言葉は、何だか呆れを含んでいるようで、早瀬は何を呆れられたのか分からなかった。

「ごちゃごちゃ?」

 しかし、惺流塞は既に『隠世』と言う名の黒い絵筆を動かし始めている。

 やっぱり惺流塞は変わった男だ。

 しみじみ思っていると、トントンと、何かが襖を叩く音がした。

 まさかと思い、襖の方を振り返れば、そこには想像通りの女の子がお膳を持って入って来るところだった。

 年の頃は三歳か四歳。黒髪のおかっぱ頭に真紅の細い幅の布飾りをつけ、鞠の絵柄の赤い着物を着た、可愛らしい女の子がそこにいた。

「小珠ちゃん?」

 正直早瀬は驚いた。夜はもうかなり更けている。まだ小さな女の子が起きている時間では到底ない。それなのに起きていて、しかも、食事を載せた重い膳を持って来たなら驚くしかない。

「今まで起きていたのかい?」

 近くまで来た小珠から膳を受け取って問い掛ければ、小珠は満面の笑顔を浮かべて頷いた。笑うと頬に可愛らしい笑窪が出来る。

 小珠は口が利けないのか、未だかつて言葉を交わしたことはなかったが、それだけで十分早瀬は満足だった。

「ありがとう。あ、ちょっと待って、これを君にあげるよ」

 頭を下げて立ち去ろうとする小珠を止めて、早瀬は懐から、昼間に買っておいた黄色い簪を出して差し出した。

 初め小珠は眼を見張って驚きの表情を浮かべた。

 次いで、両手を前に出して一生懸命頭を左右に振る。

《こんなものは受け取れません!》

 小さな子供だったら素直に受け取るであろう状況での謙虚さがまた、小珠はいい子だなぁ。と早瀬は思った。

「大丈夫。これはただのお礼だから。いつもいつもお世話になっているからね。君が貰ってくれないと、俺は惺流塞にこれをあげなければならなくなる。それはかなりもったいない」

「いるか、そんなもの」

 惺流塞が眉間に皺を寄せて、心底嫌そうに拒絶を口にする。

「だから、貰ってくれると嬉しいんだけどな?」

 と、再び差し出せば、小珠は一度惺流塞の方を窺い見た。

 つられて見れば、惺流塞はちらりと小珠を見ると、そのまますぐに筆を動かし始めた。

 それでいて色が見えないというのだから、早瀬にとってはやはり不思議なことだった。

 それでも、小珠にしてみれば許しを得たのだろう。

 もう一度満面の笑顔を浮かべると早瀬から簪を受け取り、大事そうに両手で胸に抱えると、深々とお辞儀をして出て行った。

「いやはや、まさか小珠ちゃんが起きていたとは思わなかった。しかも食事の準備をして来てくれるなんて。ちょうど腹が減っていたからとても助かった」

 膳の上には麦飯と味噌汁。焼き魚とたくわんが三切れ乗っていた。

「頂きます」

 早瀬は両手を合わせて挨拶をすると、味噌汁を一口飲んだ。

「美味しいな。一体これは誰が作っているんだ? まさか小珠ちゃんが作っているわけじゃないだろ?」

「そのまさかだったらどうする」

「驚くさ。あんな小さいのにこれだけのものが既に作れるんだからな。と言うか、なんだって小珠ちゃんは膳を持って来てくれたんだ? 俺は何も催促なんてしていないぞ?」

 確かに、森の中では口ずさんでしまったが、屋敷に入ってから食事の話は一切していない。それなのに、初めから予定されていたように運ばれて来たのだから驚いた。

 しかし、惺流塞は何でもないことのように答えた。

「お前は森に入ったとき口走っていただろう。だから小珠は作っていたんだ」

「は?」

 沢庵を口に運んでいる最中の答えに、早瀬は思わず沢庵を落とした。

「確かに口走りはしたが、近くにお前さんたちはいなかったじゃないか」

 しかし、その当然の反論すら、惺流塞にとっては愚問だった。

「お前は一体どこに来ていると思っているんだ? ここは俺の住む森だぞ?

 森に誰がどんな目的で入ったのかなんて全てお見通しなんだよ」

「お見通しって……」と、唖然として呟きかけ、早瀬はハッと気が付いた。

 森の中に入った瞬間感じた視線。周囲の人々が妖だと信じて疑わない気配の正体。

「あれはお前を守る妖なのか?!」

 恐れと言うよりも感心してしまった。

 自分は知らないうちに妖に見られていたのだ。本当ならば恐れる場面なのかもしれないが、早瀬にしてみれば、恐れるよりも先に、惺流塞の周到さに感心してしまった。

「お前は妖を使役出来るのか?」

「俺の下に付いたものだけだがな」

「はぁー、それは凄いなぁ」

「信じるのか? 俺の言葉を」

 本気で感心したような声を上げる早瀬に、間髪いれずに惺流塞が問い掛けると、早瀬は当たり前の顔をして答えた。

「どうして疑わなくちゃならないんだ? だってお前、自分で自分は妖だと言っていたじゃないか。だったら何の不思議もないじゃないか」

 その当たり前だろうと言わんばかりの口ぶりに、惺流塞が一瞬複雑な表情を浮かべて早瀬を一瞥し、深い溜め息を吐いて筆を動かし出す。

 何だったんだ、その溜め息は……。

 やたらと気になる溜め息の吐き方に、何かしら納得の行かないものを感じはしたが、おそらく訊ねたところで答えることもないと自己判断し、話を変える。

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