(4)
「いいか、早瀬。その女はお前達戍狩が捜していた事件の下手人だ。それは分かっているな」
「薄々は……な」
「そしてお前も、その犠牲者の一人にされそうになっている自覚はあるか?」
「ない」
「馬鹿か?」
「否定はしないが、お前がこの人をどうこうしようと言うのなら、こちらにも考えはある」
「ほう……」
「早瀬様!」
惺流塞が眼を細め、葵ノ進が悲鳴にも似た声を上げる。
早瀬が抜刀した。それは明らかな敵対行為だった。
「なかなか面白いことをするじゃないか、早瀬。貴様戍狩ではなかったのか? 干乾びた仏を作った者を捕まえるのが仕事ではなかったのか? それが、いざ薄幸の女だと分かったら、掌を返して守ると言うのか? 滑稽だな」
「何とでも言えばいいさ。彼女は被害者だ。彼女は彼女の意思でやっていたわけじゃない。彼女は独りを嫌っただけだ。誰かに傍にいて欲しかっただけだ」
「それでお前もその女と一緒になると言うのか? 干乾びた屍を晒して。小珠がそれを許すと思っているのか?」
「ふ。ここまで来て心配しているのはお前じゃないんだな。お前らしいよ。でもな、俺は大丈夫さ。俺は死んだりしない」
「根拠は何だ?」
「お前がいる。小珠ちゃんが頼めばお前は嫌だと言い切れないだろ?
大体な、惺流塞。お前は残念ながら一つだけ間違いを口にしている。俺は殺人を起こした下手人を保護するつもりはない。ただ、彼女は捕まえられない。そのことをお前は忘れている。他の人間に彼女は見えないんだ。
生憎と、俺たちは人間しか捕まえられないし、裁けない。彼女は人間じゃない。だから俺が捕まえるべき人は彼女じゃない」
「詭弁だ」
「分かっているつもりだ。だが、どうしようもない事実だ。何をどうして葵ノ進にまで彼女が見えるのか疑問だが、俺は彼女を捕まえない。彼女に殺されるつもりもない。そして、彼女の願いを叶えてやりたい。
それとも、お前が彼女の願いを叶えてやるとでも言うのか? 惺流塞?」
「ある意味でなら叶えてやれる。だが、それがお前の望むとおりのこととは限らないがな」
「彼女が笑っていられるのならそれでいい。だが、出来ないのであれば……」
「止めて下さい、早瀬様! そんなことしないで下さい! 私はあなたとは争いたくない」
「だったらどいていろ、小僧。邪魔だ」
「なっ!」
無理矢理脇に寄せられ、抗議の声を挙げる葵ノ進。だが、一切抗議の声を無視して、惺流塞は右手を横に出した。その手には『隠世』。そして、反対の手には小珠が一本の巻物を手渡した。巻物の紐を解く。右手で一気に引き開けると、惺流塞は筆を走らせた。
巻物はまるでそれ自体が意思を持っているかのように宙へ浮かび、墨で描かれた山伏姿の男をあらゆる者へ見せ付けた。
「出で参れ。
絶対的な惺流塞の命令の元、描かれた山伏の男、幻吽が発光し、次の瞬間――
「なっ……」
いきなり目の前に出現した山伏姿の男を前に、葵ノ進は驚きの声を飲み込んだ。
「あのときの……案内人?」
葵ノ進が驚くのも仕方のないことだった。
むしろ、人間だとばかり思っていた相手が、突然絵から抜け出て来たのだから当然の反応だったと言えるだろう。
初めて早瀬が見たときも、今の葵ノ進のように驚きはしたものの、二度目ともなれば驚きはない。ただ、惺流塞の屋敷では自由に動き回っているらしい幻吽も、外に出てしまえば一枚の絵に封じ込められた妖なのだと、改めて思い知らされた。
――いると言えばいる。いないと言えばいない。
他に一緒に暮らしている相手はいないのかと惺流塞に問い掛けたときの答えが蘇る。
確かに、具現化すれば屋敷を歩き回り、共に暮らしていると言えなくもないが、巻物になってしまえば暮らしていると言う意味とは違ってくる。
少なくとも、普通の人間が一緒に暮らしているということはない。
「いいのか? 惺流塞。俺の刀は幻吽も斬れるんだぞ」
「その刀を鍛えたのは幻吽だ。自分の刀に斬られるのなら本望だろうさ。斬られればの話だがな。今考えを変えるのであれば、痛い目を見ずに済むが……」
「するはずないだろ?」
「だったらもう何も言うまい。行け幻吽。遠慮はいらん」
直後、幻吽は錫杖を腰溜めに構えて、地を蹴った。
一瞬にして間合いを詰める幻吽。
刹那の火花を散らして受け止める早瀬。
抜刀した早瀬には、普段の柔らかい雰囲気など微塵もない。
眼光鋭く、鬼気迫るものがある。
錫杖と刀の鍔迫り合い。
力はやや幻吽の方が勝っているものか、体ごと錫杖を押し返す早瀬が、渾身の力を込めて錫杖を弾き飛ばす。
流されるように開いた左脇目掛けて、上から下へ早瀬が刀を振り下ろせば、見た目を裏切る速さで幻吽が体を捻りやり過ごし、そのまま早瀬の脳天目掛けて錫杖を振り下ろして来る。
幻吽の左側に回り込み、錫杖から逃れる早瀬。
すかさず胴目掛けて横一線に刀を振り切れば、信じられない速さで錫杖が突き出されて来た。
そのままでは胴体を貫きかねない勢いで繰り出されて来た突きを、右足を軸に左足を下げることで体を開き、紙一重で交わす。
殆ど無意識に避けた早瀬は背中に一筋の汗を掻いた。
まさに一瞬の攻防。
あまりの速さに、葵ノ進は助けに入ることすら出来なかった。
間違っても間に入ったら最後、早瀬の邪魔になる。
それどころか早瀬自身の刀に掛かるかもしれない。
その程度には把握できた。
足に根が生えたかのように動かなかった。
刀の柄に掛けた手が震えていた。
一度互いに間合いを取り、今度は早瀬から仕掛ける。
左下から右上に掛けて逆袈裟懸けに切りつけたかと思うと、返す刀で連続的に斬りつける。
幻吽は錫杖でそれら全てを受け止めつつ後退し、最後に踏み止まって早瀬の刀を弾く。
早瀬は弾かれた力をそのまま利用し、右足を軸に体を捻る。
回転を利用した一撃を幻吽の胴目掛けて繰り出せば、体の側面に構えられていた錫杖に阻まれた。
だったらと、阻まれた反動を利用し、逆に回転して左の胴を狙えば、幻吽は大きく後退してやり過ごした。
一瞬の睨みあい。次に地響きを立てて動き出したのは幻吽。
一気に間合いを詰めて、次々と鋭い突きを繰り出せば、早瀬は刀で弾き、体を捻って躱し、また飛び退いて避ける。驚くべきは次々と繰り出される速さもさることながら、その破壊力。どれほどの回転が掛かっているものか、紙一重で躱しているにも関わらず、着物が破れ、髪の先が持っていかれた。
そんな物をまともに食らっては無事では済まない。
気を抜いているつもりはないが、全身の毛が逆立つような思いで、早瀬は幻吽と対峙した。自分が負ければ水菜が消える。
勿論成仏した方が水菜のためだと言うことは分かっているが、今の水菜は本当の水菜ではない。水菜の辛い思いが作り出したもう一人の自分。それから助けて欲しいと願っていた水菜の願いを叶えるためには負けるわけには行かなかった。
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