第四章『籠の鳥の拠り所』

(1)

「では、失礼」

 早瀬がそう言って、平福屋の裏口から出たのは、惺流塞のところへ行った次の日の昼過ぎのことだった。

 非番である。非番返上で調査をしようとする葵ノ進を半ば無理矢理休ませて、単身平福屋にやって来たのは、母親達の様子を見るためだった。

 葵ノ進たちは殆ど平福屋の女将達を疑っている。

 平福屋の息子以外、誰一人として身元は判明していない。それらも皆、今となっては無縁仏として埋葬し終わっている。

 特徴は控えているが、おそらく身元が分かることはないだろう。

 だからこそ、唯一葬式をしてもらった平福屋に出向いて線香をあげた。

 父親は相変わらず落胆していた。

 女将も相変わらず凛としていた。

 使用人の話では、今では殆ど女将が店を仕切っているらしい。

 それを受けて、葵ノ進などは益々女将を疑っている。

 喜兵衛を腑抜けにしてしまえば、店は女将のもの。そのために息子を利用したと思っているのだ。

 実際、事情を聞いたときも、女将の息子に対する感情は憎しみしかない。

 生んだことを後悔していると忌々しげに語っていた。小さい頃から悪さや悪戯ばかり。叱れば父親の喜兵衛に泣きつき、その度に喜兵衛は甘やかしていた。

 昔から女将にしてみれば気に入らないことだった。そのうち成長し、力も備わって来た息子はやりたい放題になった。力づくで金を奪い、女につぎ込み、商品にまで手をつけた。商いを覚える様子もなく、ごろつきたちとばかりいつも一緒にいた。

 目障りだった。だからと言って追い出したところで戸籍上は息子扱いであり、屋敷の登録場所は自分と同じ。自分の家に帰って来ただけだと言われてしまえば追い出すことも出来ない。いっそのこと誰か……と、何度思ったか分からない。

 そんなとき、今回の事件が起きた。普通の親なら落胆して嘆き悲しむものだと言うことは分かってはいるが、女将にしてみれば願ってもないことだった。世間からは薄情者だと罵られるかもしれないが、それが女将の本心だった。いてもいなくても同じだとすれば、いっそのこと、いない方が世間的にも問題がなくて済む。

 自分の感情を正しく相手に伝えることが出来ず、迷惑を掛けることで気を引こうとする態度を認めてやれなど、甘い言葉など言われたくもない。

 そんな綺麗ごとを口に出来るのは、他人事だからだ。

 実際にそういう問題と直面している人間にして見れば、そんな綺麗ごとなど通じない。それだけにかまけている暇などないのだ。

 だからこそ、さっさと戸籍から外せるこの好機を逃したくはなかったと言っていた。

 何故息子が殺されたのか? と可能性を訊ねたら、素行が悪いのだからいくらでもあるだろうと、素っ気無い答えが返って来た。

 それに対して、父親喜兵衛の答えは違っていた。

 息子は寂しがり屋だったらしい――と。


 自分も妻も働き詰めで、小さい頃からよく独りでいた。使用人たちがたまに遊んでやるが、あくまで彼らは使用人。親と遊べたわけではなかった。

 ただ、気を引きたい一心で商品を並べようとしていたら、売り物に手をつけるとは何事かと妻に叱られ、取ろうとしたのではなく並べようとしていただけだと弁解してやると、甘やかすなと喜兵衛にまでとばっちりが来た。それらの繰り返しで、息子は妻に反感を抱くようになり、迷惑を掛けることで思い知らせてやろうと、問題を起こすようになって行ったのだと話していた。

 息子は金を持っていた。その金に釣られるようにおかしな連中が現れて、自分の意見に同意してくれることで仲間が出来たと錯覚して行った。

何もかもが、寂しい思いをさせた自分達の責任だと、喜兵衛は言っていた。

 自分達がもっと話を聞いてやって、構ってやっていれば、今とは違った息子になったに違いないと思っているらしい。

 自分の見初めた相手が武家屋敷に奉公していた娘だったため、息子の煮え切らない、いい加減な態度や性格が我慢出来なかったのだろうと、女将の息子に対する感情について弁解もしていた。

 だが、使用人たちの息子に対する意見は違った。


 使用人や下働きの人間にも気さくに話し掛けたり、女将にこっぴどく叱られて落ち込んでいたときに励ましたり、町で買った団子をこっそりくれたり、とても親しみのある人物だと評価されていた。

 自分でも、いつまでも反抗していても仕方がないとこぼしていたこともあったと言う。

 息子は両親の前では悪ぶってはいたが、使用人の仲のいい人間に対しては、とても素直な人間だったらしい。

 傍から見れば女に貢いでいると思われていたが、その実、部屋から出られない女に会いに行っていたと使用人達には語っていたと言う。

 その女は体が弱く、外に出たことがなかったらしい。

 そんな篭の中の鳥のような女を憐れんで、息子はいつも足を運んでいた。その女を喜ばせるために店の金を使って様々なものを買い与えていたらしく、その女を憐れんだ何人かの友人を連れて、様々な話を聞かせてもいたらしい。

 そこで初めて、息子は自分が他人のために役に立てていると実感し、そのためには何でもやろうと思っていると、少し照れた笑顔を浮かべて言っていたらしい。

 喜兵衛も女将も息子のことを誤解していると、他言無用を願いながらその使用人の一人は語っていた。


 確かに、店の物を盗んで使うのは悪いことだが、話したところで聞く耳を持っていない女将がいたなら、そういう問題行動を取ってしまったのも仕方がないのではないかと、やけに同情的だった。

 葵ノ進は『女将下手人説』で頭の中が一杯になっているため、その女のことを気にしたりはしていなかった。それ故に、早瀬は早瀬で、単身それとなく息子が尽くしていたと言う女のことを探ってみた。

 探ってみたとは言っても、それこそ真正面から馬鹿正直に聞いたのだが、喜兵衛も女将もそんな女のことは知らないと言っていた。使用人たちにも聞いてみたが、話自体は聞いたが、どこの誰で、何歳なのかも聞いていないと言う。

 誰も知らない話だけの女。

 もしかしたら息子が作った、自分を正当化するためだけの、実際には存在しない女なのではないか? と一瞬思ったりもしたが、漠然と、その女を捜してみようと早瀬は思った。  

 

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