(7)

 自分が相手の精気を吸い取って、その代わりに現世に留まっていたことを思い出した水菜は、あれほど自分のことを考えていてくれた平汰を殺し、今また良くしてくれた早瀬の命まで奪おうとしていたことを知り、後悔と恐怖に支配されていた。

 そんな自分を早瀬は抱きしめていてくれた。

 もしかしたら生まれて初めてのことかもしれない。

 自分が殺そうとした相手。それを分かっているはずなのに傷つきながら助けようとしてくれた早瀬。

 早瀬の優しさに、水菜は涙が出るほどの、心が震え体が震えるほどの嬉しさを覚えた。だが、同時に心から申し訳ないと言う思いが募った。

 自分がこの世に存在し続けることで、下手人のいない干乾びた死体だけが出て来る。

 自覚してしまった以上、どうしても避けたい事柄となった。

 

 遠の昔に焼け死んでしまっていると言うのに。家族にすら思い出してもらえぬままに死んでしまっていると言うのに、なんともおかしなことを思うものだと思いながらも水菜は思った。

(私は、)――と。

 だが、この心の優しい戍狩はやせは、自分に同情して何も出来ないでいるに違いないと。

 自分に気を遣ってくれる人間に、恩を仇で返すようなことはしたくない。

 自分は遠の昔に死んでいるのだ。

 一体何の未練があってこの世にしがみ付いているのか?

 平汰や早瀬。二人もの人間が自分のために自分の人生を分けてくれた。挙句の果てに奪って置きながら、生き続ける意味がない。

 だから水菜は決めた。しつこく居続けて、早瀬にまで嫌われたら、それこそ


                ※


「早瀬様。今までありがとうございました」

「水菜ちゃん?」

 小さいながらもはっきりとした言葉だった。

 思わず下を見下ろすと、儚げながらも水菜はしっかりと微笑んでいた。

 とても穏やかな笑みだった。全て納得した上で浮かべられた笑みだった。

 そんな笑顔を目にしたら、不思議と早瀬の苛立ちや不快感。もどかしさや悔しさが全てが消え去った。

(ああ……、もう、いいのか)

 理不尽なほどアッサリと、早瀬は自分の気持ちを落ち着かせてしまった。

「早瀬様。ありがとうございました。全て思い出しました。私がとっくに死んでいることも、平汰さんを初め、複数の方の精気を吸い尽くして殺してしまったことも。今また早瀬様を同じ目に遭わせようとしたことも」

「俺のことは気にしなくてもいい」

「そして、私が私としてではなく、あの人のとして現世に引き止められていたことも、全て思い出しました」

「じゃあ……」

「あの人の元へ参ります」

「君が本当にそれでいいのなら構わないよ」

 とは言うものの、早瀬は漠然と水菜に迷いがないことを察した。

 胸の内がすっきりと晴れ渡っていた。

 一応別れの挨拶が済むのを待っていたものか、水菜が小さく頷き返した瞬間、

「早瀬。お前も納得しただろう。幻吽。丁重に彼女を連れて来い」

 自分は全く動くことなく命令して来る惺流塞。それでも「丁重に」と命令につけている分、まだマシかもしれないと早瀬は思う。

 水菜が幻吽に連れられて惺流塞の前に立つ。

 水菜と幻吽に遮られて早瀬からは見えないが、かつて見たことがある場面が蘇っていることは想像できた。

 惺流塞が『隠世』を取り出し、水菜を一撫でするのだ。それだけで水菜は自分の姿を失い、惺流塞が手にした巻物の中へ収まってしまう。

 派手さは何もない。ただ静かに封じ込められてしまうだけだ。

 実際、水菜が消えてしまった後、惺流塞の手の中には巻物があった。ついでに幻吽の姿まで消えている。

 葵ノ進は現れたり消えたりする非常識な事態に混乱を極めているようだった。

 それもまた仕方がないことなのかもしれない。それが普通の反応なのかもしれない。今回は葵ノ進にとても迷惑を掛けたと思っている。それは素直に謝らなければいけないと思ったが、正直なところ自分の取った行動を後悔はしていない。

 結果的には何もしていなかったが、水菜が笑えたのであればそれでいいとした。


 後で知ることとなる惺流塞の色に関する豆知識によると、その色を受け継いだ人格は、自分の記憶をきちんと把握していないと後に色としての役割をしっかり果たせないらしく、そのために無理矢理今回記憶を引きずり出すような真似をしたらしい。

 そういうものなのかと早瀬が訊ねれば、そういうものだと返って来た。

 色を集めている本人がそう言うのだからそうなのだろう。

 だが、ことはそれだけでは済まない。


「で? 水菜を利用したお前の『色』の元はどこにいる?」

 惺流塞は言っていた。水菜はただの生贄だと。失われた色が力を得るために利用されただけだと。

 水菜が吸い取った精気は、水菜が現世に留まるためと、水菜を『色』にしてしまった黒幕の元へ流れていた。だとすれば、その黒幕をどうにかしなければ第二、第三の水菜が生まれてしまう。それを阻止することが自分の役目だと早瀬は切り替えた。

 惺流塞は言う。

「そいつは常に女を監視する場所にいた。女の人格を眠らせて、自分がその器を利用して人間達を襲っていた。そして再び記憶を封じ、女の人格を起こして何食わぬ顔をして傍にいた。だから、今も傍にいる」

 反射的に早瀬と葵ノ進が周囲に視線を走らせるが、

「何もいないぞ? 惺流塞」

 すると惺流塞は鼻先で笑い飛ばして言った。

「いるんだよ」

 直後だった。

 身の毛がよだつような猫の悲鳴が聞こえたかと思うと、惺流塞、早瀬、葵ノ進の三人の中心に、ボトリと一匹の黒い子猫が降って来た。

「な? 言っただろ?」

 得意げに惺流塞は言った。

「まさか、この猫は………」

「知っているだろ?」

「ああ、俺が彼女と出会うきっかけになった猫だ」

「そう。その猫はこの世と女の作った世界との要だった。

 女の作った世界から現世を見張り、これと思った人間を引きずりこむ。その役目を担っていた。大方、引きずりこんだ人間が、女のことを信用し、外へ連れ出そうとした瞬間を狙って物にして来たのだろう。普通の人間が相手ならいざ知らず、持ち主であるこの俺がいる場所で騒ぎを起こしたのだから運が悪い。いや、俺にしてみれば運がいいのか。どちらにしろ、このままで済ますわけにはいかない。

 小僧。今度のはお前の刀でも斬れるぞ。存分に働け。今回の不可思議な事件の下手人だ」

「下手人……と言われても、相手は猫ですよ?」

「猫の姿をしているだけさ。中身は別物だ。油断してると憑かれるぞ」

「え」

 その一言で顔色を無くす葵ノ進。

 刹那、一番弱いところを見つけた猫が、いきなり本性を表して襲い掛かった。

「うわああぁあっ!」

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