【番外編】残念美少女な妹とバレンタイン

 二月も半ば。ついこの前、節分が終わったと思ったら、もうバレンタインというイベントがやってくる。


 まあ、俺には関係ない。受験シーズンまっただ中だからな。

この前のセンター試験の感触は悪くなかったとはいえ、二次試験で失敗しては元も子もない。


 だが……同じ家に住む、『すみれ』と名の付いた小悪魔は、何かしら仕掛けてくるに違いない。なにせ、小悪魔だからな。


 確信に近いそんな予想をしつつ、気分転換のためリビングのテーブルで勉学に励んでいると……玄関のドアが開くとともに、やつが現れた。


「あれ? 兄貴、ここで勉強してるなんて、珍しいね」


「出たな小悪魔め」


「?」


 思わず笛を吹きそうになった。こいつは、俺をかどわかすことに生きがいを感じているような人間だ。小分類がたとえ妹だろうと油断してはいけない。


「……勉強のじゃましちゃ悪いから、わたしは部屋にいるよ。じゃ、頑張ってね」


 ……ん?


 てっきり、


『さて、兄貴に質問です。今日は何の日でしょうか? んふふ、わかるよね。ほしい? チョコレート、ほしい?』


 くらいの絡みはあるかと思った。……この回想は去年のなんだが、迫り方の新しい可能性などを示されても困るな。なにやら変なことを考えてるんじゃないかという、恐怖にも似た悪寒が身体を襲う。


 ……まあいい。チョコレートに気を取られて勉強をおざなりにするわけにはいかない。

 とりあえず気を取り直した俺は、化学の問題集との戦いを再開した。



―・―・―・―・―・―・―



「……もうこんな時間か」


 問題集との戦いに勝利した後、時計を見ると午後七時半。二時間半ほど格闘していたその間、妹は一度も部屋から出てこなかった。


「そこまでして気を遣う必要……ないんだが、な……」


 誰に聞かせるわけでもなくただつぶやく。


「あら、勉強は終わったの? じゃ、晩御飯にしましょうか」


 おふくろにそう言われてハッとした。リビングをいつまでも占拠するわけにはいかない。晩飯の時間だし、さっさと撤収しよう。


「居座っててごめん。すぐ片づける」


「大丈夫よ。じゃあ、すみれ呼んできてもらえる?」


「わかった」


 おふくろの命を受け階段を上り、小悪魔(すみれ)の文字が書かれたプレートのつく扉を、三回ノックする。


「おい、晩飯の時間だぞ」


「…………わかった。先に行ってて」


 いつもより小さい声で、中に生息する小悪魔が返事をしてきた。

 ……先に行ってて? なんですぐ出てこないのだろうか。


「……どうした、具合でも悪いのか?」


 そう言って俺がドアノブに手をかけた刹那。


「ちょっ、入ってきちゃダメ! 絶対ダメだかんね!」


 いきなりそう叫ばれて、反射的にドアノブから手を引っ込めてしまった。


「……わかった。じゃ、先に行ってるぞ」


「……うん」


 着替えでもしていたのだろうかと思い、俺はその場を引きあげた。

 だが、妹が晩飯に顔を出してきたのは、俺が食べ終わって席を離れようとする時だった。しかも、俺と対角線上の席に陣取る。


「……ごちそうさま」


 俺がそう言って席を立ったとき、ようやく妹は晩飯を食べ始めた。……いつもは俺の隣に座るのに。何かあったんだろうか……



―・―・―・―・―・―・―



 そして入浴タイム。野郎の入浴シーンなど誰も見たくないだろうから、細かい描写は省かせてもらおう。


「…………俺、なんかやらかしたかな…………」


 湯船につかりながら、ぼんやり考える。風呂の順番にしても、いつもは妹が『小悪魔の一番風呂』なんだが、今日に限っては先に入れと執拗に勧められた。

 一番風呂は湯が硬いから嫌いだ……別に、妹の後に入浴したいわけじゃない。決して。


 まあそれはともかく、今日の小悪魔は、間違いなく俺を避けている。不自然なくらいに。

 だが、俺には心当たりが……


 ………………


 ……いや、今日の朝食に、妹が買っておいた納豆を黙って食べてしまったことを怒っているのだろうか。前にそれをやったときは、三倍ほどの値段がつけられた限定ゴージャス納豆を買ってあげて、やっと機嫌を直してくれたし。


 ……それとも、昨日息抜きに対戦したゲームで、完膚なきまでに叩きのめしたことを恨んでいるのだろうか。涙ぐんでたし。


 ……いやいや、ひょっとすると自販機のジュースを買いに行ったとき、ついでに買ってきてやったガルパソソーダジュースがお気に召さなかったのかもしれない。『こんなの邪道だよー! 兄貴のすかぽんたん!』とか怒ってたし。


 ………………


 ……あれ、ひょっとして俺……妹に、あまり好かれてないんじゃ?


 ピトーン。


 そんな俺の不安を増幅するような水滴の音が、壁にかかったシャワーヘッドから落ちてきた。


『やーい、妹に嫌われてやんのー。バカな兄貴だなー』


 シャワーヘッドにすらそうバカにされたような気がして、つい八つ当たりをしてしまう。


 ドカッ。


 シャーー。


 シャワーヘッドを叩いたときにボタンに触れてしまったのか、直後に冷たい水で顔に反撃を食らった。



―・―・―・―・―・―・―



 結局、風呂から上がって部屋に戻っても、今日という日の意味はなかった。


 ………………


「……なんで、俺はこんなにショックを受けてるんだろうな……」


 今年も当たり前に、妹からチョコをもらえるかと思ってた。

 ……いや、チョコがもらえなかったことがショックだったんじゃない。妹が、俺をキライになったかもしれないということが……


 とたんに、絶望感に襲われる。こんなに暗く深い闇は、経験したことがなかった。


 大学受験なんかどうでもいいや。そんな破滅的な思考回路にとらわれかけた瞬間、不意にスマホがけたたましく鳴り響いた。


 ……通話着信? 妹から? 隣の部屋にいるのに、なんでわざわざ通話?


「もしもし」


「……兄貴、遅れてごめん。ドアの外、見てね」


 通話はそれだけだった。言われた通りに部屋のドアの外を見てみると……


「…………あ」


 金色のリボン付きの、包装された何かがそこにあった。……包装紙が、なぜか薄汚れて色落ちした感じになっている。


 俺はたまらず、隣の部屋のドアをノックもなしに開けた。


「ちょ、ちょっと兄貴、入ってきちゃダメだってばーー!」


 突然部屋に入ってきた俺から遠ざかりながら、妹はそう叫んだ。


「……なぜ俺を避ける」


 そう言って近づくと……なぜか、妹がマスクをしていることに気づく。


「……マスク? なんでマスクなんか?」


「だから近づいちゃダメだって! わたし、インフルエンザにかかっちゃったかもしれないんだから!」


「…………へっ?」


 さっきまでの切羽詰まった感が突然抜けていった。……なんだそれ。


「昨日まで元気だった隣の席の友達が、今日インフルエンザにかかって休んじゃったんだよー! たくさん話をしたから、ひょっとするとわたしにうつってるかもしれないと思って……」


「…………」


「……で、準備してたチョコも、ウイルスがついてたらやだなって思って、消毒のつもりで家にあったアルコールをスプレーして拭いたら、包装紙が色落ちしちゃって汚くなっちゃったの……」


「…………」


「代わりの包装紙なんて持ってないし、渡しづらくなっちゃった……遅くなってごめんなさい」


 ……つまり、俺にインフルエンザをうつさないように、避けていたってことか。


「……ばかやろう」


「ひゃっ?!」


 安心した俺は、衝動的に妹に抱きついてしまう。


「そうならそうと、ちゃんと言え……」


「……インフルエンザ、うつっちゃうかもしれないから、離れて……」


「うるせえ。おまえに嫌われたかと、俺は……」


「…………」


 ギュッ。


 俺らしくない、か細い声の言葉を妹が確認し、抱き返してきた。優しく、だが結構強い力で。


「……何言ってるの。ほんと……わたしが兄貴をキライになるわけ、ないでしょ……」


「…………」


「だから、ね……? インフルエンザうつされないように、離れて……?」


 そう言って、妹は俺に抱きついてきた手を緩め、突き放すように身体を押してくる。

 やっと我に返った俺は、慌てて妹に抱きついていた腕を離し、大げさに後ろへ下がった。


「す、すまん。つい」


「……もう。兄貴は感染しちゃったかな? 『妹ウイルス』に」


「………………」


 否定できねえ。というか、これだけ一緒にいるんだ。感染しないわけがない。


「……気をつけてね。妹ウイルスは、たちが悪いよ?」


「まるで未知のウイルスみたいな?」


「その例えはひどい!」


 むくれる妹を尻目に、心の中でそのウイルスの脅威について考察する。

 いつのまにか入ってきて、打ち消さなければならないとわかっていながら心の中で増殖し、進化する。進化するものだから、倫理観など追いつかない。


 感染したら最後……不治の病だ。たちが悪い。


「いや、近いだろ」


「……それじゃ、兄ウイルスはそれ以上にたちが悪いよね?」


「……なんだそれ」


 また新しいウイルスが……妹にしか感染しないウイルスなら、あまり脅威にはならないと思うがどうなんだ。


「妹にしか感染しないけど、感染力が強い上に、症状がだんだん重症化する、最強のウイルスだよ」


「…………」


 妹ウイルスと同じじゃねえか。


「そして……たぶんわたしは、産まれた時から、兄ウイルスに感染してたんだ、きっと」


「…………」


「ふふっ。責任とってわたしを治療してね……じゃ、ほんとインフルエンザにならないように、そろそろ部屋から出たほうがいいよ」


「あ、ああ……チョコ、ありがとな」


 もう手遅れじゃないかとは思うが……いい切り上げどきだろう。俺はきびすを返し、部屋から出る。


「……ハッピーバレンタイン、お兄ちゃん」


 バタン。


 妹の部屋を出て、置いてあったチョコを回収し、俺は部屋に戻った。


 あらためて薄汚れた包装紙を見てみる。……確かに、アルコールを吹きかけて、乾かないうちにこすったらしい汚れかただ。


「何か印刷されてたようだな……どれどれ」


 受験対策も兼ねて、薄汚れた包装紙に印刷されていたらしい英文を訳してみると。


 …………


“死がふたりを分かつまで”


「……ばっかやろ。重すぎだっての」


 そうひとりごとを言いながら、鼻の頭を掻いた瞬間……俺の身体中に震えが押し寄せてきたのだった。

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