兄妹の恥ずかしい妄想

 今日は、晴れの日曜日。梅雨の合間のなんとやら、ってやつだ。

 その日曜日に、俺は妹と電車に乗っていた。日曜日なのに電車は満員で、二人してぎゅうぎゅう詰めの車内でもがいていた。


「日曜日だってのに、電車内がすごいな……」

「本当だねー。ここにいる人たち全員、お母さんのお腹から産まれてきたのかと思うとすごいねー」

「すごいの観点が違う」


 あちこちから押されて嫌気がさすのだが、俺の右隣には妹、左隣には美人のOLさんらしきスーツ姿の女性。休日出勤だろうか。


「おおう……」

「……むう……」


 四方八方からぎゅうぎゅう押され、いやでもスーツ姿の女性と密着してしまう。あ、いい匂いする。思わず顔がゆるむ。


「……兄貴」

「ん、苦しいか? もう少しだ、がま」

「今ここで、兄貴の手を掴んだまま、『この人、痴漢です!』ってわたしが叫んだら、兄貴の人生終わっちゃうよね……ふふふのふ」


 ボソッとつぶやく妹の目に、ハイライトがない。背筋に悪寒が走るわなにこれこわい。


「おいやめろマジでやめろ」

「大丈夫だよ、兄貴が前科者になっても、わたしは見捨てないから」

「バカ野郎、おまえは兄を冤罪で陥れたいのか!」


 電車が棺桶になるのはイヤだ。早く着いてくれと、この時ほど強く願ったことはない。


―・―・―・―・―・―・―


「生きた心地しなかった……」


 なんとか無事に駅に着いた。奇跡だ。


「ドロップアウトした兄貴を必死で養う妹をやりたかったのに……『まったくもう、兄貴はわたしがいないとダメなんだから』とか言ったりして」

「そんな人生プランは全力でお断りする」

「遠慮しなくていいよ?」


 妹は、俺の左肩を払うように軽く叩いてきた。いいから早く目にハイライト戻せ。


「どうかしたか?」

「……や、なんとなく」


 そしてそのまま左腕に絡まってくる。


「車、危ないから右に来い」

「やだ」

「……歩きづらいんだが」


 そんなこんなで、目的地到着。今日は、隣街のショッピングモールまで買い物に来たのだ。俺は参考書を、妹は服を。


「じゃ、俺は本屋に行くぞ。おまえはどうするんだ?」

「んー、兄貴につきあう」

「……おまえの買い物はいいのか」

「そっちは、参考書買ったあとでつきあってほしいかなー、って」

「……時間があればな」

「はいな。じゃあいこ」


 とりあえず二人で、モール内の本屋に向かうことにした。ここの本屋は参考書の品揃えが物凄い。


「……あれだけいろいろ探しても見つからなかった過去問題集が、わずか五分で見つかるとは……」


 過去問題集と、ついでに目に付いた「毒物の化学」なんていう暇つぶし用の専門書を購入して、どこかへ宝探しに行った妹を探す。


 ……いた。なにやら真面目な顔で立ち読みをしている。あいつが真剣に本を読むとは珍しい。


「……なに読んでるんだ?」

「ふにゃっ!!」


 突然声をかけられたせいか、妹がびっくりして、何かの本をあわてて閉じた。どれどれ、タイトルは……『僕は妹に恋をする』? ……マンガじゃねえか。


「おまえが少女マンガを真剣に読むとは珍しいな。マンガとかは、俺の部屋で『ドラゴ〇ボール』くらいしか読まないくせに」

「い、い、いやこれはあの、その、なんとなくその、あの」


 妹はマンガに指を挟んだままだ。売り物だぞ、その本は。そしてなぜ顔が赤いんだ。


「……なにを慌ててるんだ?」

「い、いや、なんでもないないない! それより、兄貴は本買い終わったの?」

「ああ、もう既に用事は済んだぞ」

「そ、そうなんだ。じゃあ、わたしも本、買ってくるね!」


 そう言うなり妹は、指を本に挟んだまま、キャッシャーまで駆け足で向かっていった。……そのマンガ買うのかよ。


「……さて、とりあえずこちらの用事は済んだから、おまえにつきあうぞ」

「あ、う、うん」


 ……なぜか妹が少し離れて歩いている。来たときにベタベタくっついてきてたことを考えると、なんか違和感。


「……どうかしたのか、おまえは」

「い、いや、生々しい妄想をリアルに突きつけられて恥ずかしい、というか……」

「???」


 日本語おかしいぞ。思春期の妹は難しいな。ま、いっか。


「……ちょっと落ち着けわたし。うん、大丈夫。じゃ、兄貴、服を見るの付き合って」

「お、おう。……なにを買うかは決めてないのか?」

「具体的にはね。なにか夏の一張羅がほしいかなー、って思って、よさげなものを探しに来たの」

「夏の一張羅……夏用スウェットとか?」


 バコッ。

 さっき買ったばかりのマンガ本で叩かれた。


―・―・―・―・―・―・―


 そんな経緯を経て、妹とウィンドウショッピングの旅に出たはいいのだが、もうすでに一時間半ほどあたりをうろついている。

 どうにも妹にピンとくるものがないらしい。俺も最初のうちは意見を真面目に言ってはいたのだが、だんだん飽きてきた。


「んー、なかなか服との運命的な出会いがないねー」

「……そんなものを求めていたとは知らなかった」

「出会った瞬間ビビビっとこないと、一張羅にはなれないよー」


 服も人間も一緒か。ヘンなとこで凝り性だしな、こいつも。


「……ん、あれなんかどうだ?」


 そんなことを思っていたら目についた、ウィンドウ左端の白のワンピースを勧めてみる。

 真っ白だ。シンプルでエレガントなワンピース。派手さがないから、今まで目に付かなかったのか。


「…………………………」


 妹の視線が固定されている。今日初めてのリアクションだ。


「気に入ったのか?」

「……兄貴、白色好きだもんね」

「ん? ああ。なんとなく清潔感あるし」

「うん……でも、大人っぽすぎて、わたしには似合わないかもしれないね」

「おまえに似合わなかったら誰にも着れないぞ、あれ」

「………………」


 お、悩んでる悩んでる。もうひと押しするか。


「これを着て、麦わら帽子とかセットにしたら、海辺に映えると思う」

「……白のワンピースが兄貴の妄想で汚されそう……」

「俺色に染まる、と言いなさい」

「……キモッ」

「ぐはっ」


 クリティカルダメージ食らった。いやそう言われちゃ返す言葉もないけどさあ、男の夢くらいわかってくれ、妹よ。


「……ふふっ、きーめた。これにする」

「……んあ?」


 そう言った妹がエンジェルスマイルを浮かべた。やましい心があったせいか、ちょっとドキッとしたわ。


「……そうか。じゃ、試着してくれば?」

「ん、でも大丈夫だとは思う。サイズは問題ないだろうし、それに……兄貴のお墨付きだもんね」

「……あ、ああ……じゃ、麦わら帽子は俺が見つくろってプレゼントしてやろう」

「やた。さんきゅ」


 いつの間にか先ほどの距離感は詰まっていた。これぞ平常運転。うん、こうでなきゃ落ち着かないな。


 ワンピースを買うため店員に話しかける妹を眺めては、だらしない顔になった自覚があった俺だが。


 仕方ない、可愛い妹なんだもの。




「……汚さないように染めてね、お兄ちゃん……」

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