兄は妹が心配です

 そういえば、今さらではあるが、妹のバイト先が決まった。一週間ほど前の話だ。


 牛丼屋は、理由は不明だが丁重にお断りされたらしい。

 ドラッグストアはレジ係しか募集してなくて、作業的な不安から断念したらしい。

 弁当屋は、タッチの差で埋まってしまったらしい。


 結局、バイト先は、個人経営の渋い喫茶店だった。……喫茶店経営って、結構男には憧れの職業だよな。俺だけかな。


「マスターも奥さんも穏やかないい人でね、あのバイトは続けられそうだよ!」


 バイト初日を終えた妹が嬉々として伝えてくる内容とは逆に、俺は不安をおぼえた。それはなぜか、と言われると……まあ、まわりにはバレバレではある。

 というわけで、必死で仕事に励む妹をじゃまするのは忍びないのだが……俺は偵察もかねて、喫茶店で勉強でもしようかと準備をして、妹のバイト先へ向かった。


「……えーと、『カフェ ROOD(ルード)……ギーグルマップではこのあたりだな………………って、おい」


 なんだこれは。


 一瞬ラーメン屋かと錯覚するくらいだ。喫茶店に待ちの列ができてる状況、初めて見たぞ。こんなに人気のある喫茶店なのか。結構広い駐車場も満車だわ。

 ……まあ確かに、ちょっと煤(すす)けた山小屋のような木造の外見はそそられる雰囲気を醸し出しているよな。


 仕方ない、またの機会にしよう。

 喫茶店に入ることをあきらめて、俺は自宅へUターンすることにした。


―・―・―・―・―・―・―


「……なあ、おまえのバイト先、いつもあんなに混んでいるのか?」


 バイトから帰ってきて、疲れからかそのままリビングのソファーでしかばねになっている妹に問いかけてみる。


「今日は特別だよ。毎週“5”のつく日だけ、特製ケーキセットがメニューに加わるんだー」

「……ふーん。そんなに人気あるのか」

「自家製のケーキで、すっごく評判いいんだよ! マスターって、昔は有名な洋菓子店のパティシエやってたって噂が」


 それを聞いて、手持ちのスマホで《カフェ ROOD》で検索してみると…………クチコミサイトに、ステマじゃないかと思われるような高評価の数々。知る人ぞ知るケーキの美味いカフェらしい。


「コンディトライとは違うのか?」

「基本は喫茶店で、ケーキはマスターの気まぐれなんだって」

「……なんだそりゃ」


 気まぐれで作るものでもそれが本物なら、みんながそれに群がるってわけか。

 これはぜひ一度、そのケーキを味わってみないとならない、そんな使命感がなぜかわき上がってくる。


 だが。


「……ってか、なんで今日混んでたって、兄貴が知ってるの?」

「い、いや、たまたま前を通ったから……」

「…………ふーん。でも、いつも通る道からは離れてるじゃん」

「…………だから、たまたまだって」


 使命感の必要ない部分に思わぬツッコミを受け、しどろもどろになる俺と、それを見てニヤニヤする妹。……いつもの日常風景だ。


「……まあ、たまたまでもいいよ。混んでなかったら、いつでもご来店ください、お客様」


 意地悪い笑みを浮かべながらわざとらしくそう言ってくる妹には、なんの抵抗もできないのである。


 むっちゃ行きづらくなったわ。


―・―・―・―・―・―・―


 ……とか思っていたのはつい一昨日のことだったはずなんだが、なぜ俺はまたROOD(ルード)前まで来ているんだろう。

 今日は空いている。入るなら今なのだが、どうにも露骨なように思えて躊躇(ちゅうちょ)してしまう。

 不審者のように、入り口近辺を行ったりきたりしつつ、中の様子をうかがっているしかできない、そんなとき。


「あー、将吾お兄さんじゃないですかー!」


 いきなり名前を呼ばれ、反射的に振り向くと……三羽の烏(からす)が後ろから迫ってくるではないか。美佳(みかっぱ)カラス、真希(マキ)カラス、瑠璃(ディー)カラス。


「お兄さん、すみれちゃんの様子を見にきたんですね」

「中に、入りませんの?」


 どうやらカラスたちは名付け親のもとへやってきたようで、俺はあまりのばつの悪さに頭を掻くしかできない。


「まあまあ、せっかくだから将吾お兄さんもご一緒しましょー。さー、早く中に入った入った」

「お、おい」


 どうしたものかと途方に暮れていると、みかっぱカラスに背中をつつかれ、俺は店の扉を開けざるをえなくなった。

 カラン、というベルの音とともに、従業員全員から『いらっしゃいませ』の声が飛んでくる。


「あー! いらっしゃい、兄貴」

「……お、おう」


 営業スマイルなのかそうでないのか判断のつかない妹の満面の笑みを向けられ、首の後ろに手をやりながら入り口で立ちんぼになってしまうと、後ろから冷やかしの声が上がった。


「あれあれー? あたしたちもいるよー?」

「お兄さんしか見えてないんだね……」

「みんなで様子を見に来ましたわ」

「みかっぱちゃんもマキちゃんもD(ディー)ちゃんもいらっしゃい!」


 おまけのように付け加えられた三羽のカラスは別に気を悪くするそぶりも見せず、俺の背中を四人席の方へとつつき続けた。


「お、おい、なんで押すんだ」

「いいからいいから。将吾お兄さんもご一緒しましょー」

「そうですね、こんな機会はあまりないし」

「ふふっ、ハーレムですわね」

「………………」


 三羽烏の言葉攻めにタジタジである。いやこれ、どう見てもハーレムじゃなく包囲殲滅陣だろうに。おもちゃにされそうな予感しかないぞ。


「結局こうなるのか……」


 四人のテーブル席。俺の隣にはマキカラス、向かいにはみかっぱカラスとDカラス。鋭い目で見られている俺は残飯扱いに等しい。


 改めて店内を見てみる。……趣味の良さそうな油絵。趣味の良さそうな古時計。趣味の良さそうな花。キャンプ場にありそうな煤けた木のテーブルと丸太をぶったぎったような椅子。……雰囲気だけでも満点に近いが、ボキャブラリー不足でうまく表現できないのが残念だ。

 従業員は……マスターはカウンターにいるあの人だろう。あとは……給仕役が妹ともうひとり女の子、レジにいるのは……若い男。


「はい、どうぞ」


 キョロキョロしてるうちに、お冷やを四つ、妹が運んでくる。赤と白のギンガムチェックのエプロン……うーむ、目に優しくない。

 妹は三羽烏を一瞥し、最後に俺に意味ありげな笑顔を向けた。周りの温度が少し下がったように思う。


「ご注文が決まりましたら、お呼びくださーい」

「…………」


 妹がそう言って去っていったあと、目の前のお冷やを見ると……なぜか、俺の分だけなみなみと注がれている。他の三人のグラスは六分目くらいの水だ。


「……おーおー、露骨だねすみれっちは」

「これは、お兄さんにちょっかい出すな、って意思表示なのかな?」

「嫉妬でしょうか? 可愛らしいですわね」


 ……だーかーらー、なんで自分からいじられるようなネタを提供するんだよ、あいつは!


「嫉妬ったって、ねえ……」

「すみれちゃんに勝てるわけないのに」

「無駄な心配ですわね」


 ねえ、頼むから三人で一斉に俺を見るのやめてくれませんか。鼻毛出てたらどうしよう、とか思っちゃうよ。

 俺は包囲殲滅陣のプレッシャーに耐えきれず、からからになったのどを潤そうと、お冷やに手を伸ばす。


「あ、将吾お兄さんは、もしこの中でつきあうとしたら、誰を選びますか? もちろんすみれっちは除く、で」

「むぐっ」


 お冷やがのどにつかえた。美佳さんが爆弾投げてきよったわ。


「……ちょっと美佳ちゃん、その質問は……」

「あら、いいではありませんか。わたくしも知りたいですわ」


 包囲殲滅陣で先制攻撃された。勝ち目なし。こういうときは……


「え、えーと。はは………………すいません、注文お願いします!」

「はいはい、ただいま」


 声を上げてから二秒で妹がオーダーを取りに現れた。盗み聞きしてたに違いない。だって……目がこわい。


「ア、アイスコーヒーひとつ」


 真冬なのに汗だらだら。アイスコーヒー以外に選択肢がなかった。


「この寒いのに? ……かしこまりました。みんなは何に……するの?」


 妹が、三人に対してちょっと怒気を孕んだ声でたずねるが、三人の方はどこ吹く風でいなす。


「あたしはカプチーノにしーようっと」

「じゃあ、わたしはブレンドコーヒーで」

「わたくしはミルクティーをお願いしますわ」


 メニューも見ずに決める三人。……うーむ、やはり四天王最弱は……


「……かしこまりました。確認させていただきます。マキちゃんがブレンド、Dちゃんがミルクティー、みかっぱちゃんがカプチーノ、あと兄貴がアイスコーヒー。以上でよろしいでしょうか?」


「「「はーい」」」

「……少々お待ちくださいませ、だよ」


 最後に鋭い視線を四人席全体に投げかけ、妹は去っていった。


「……すみれっち、ちょっと怒ってたねー」

「それはまあ、ね……」

「お兄様をからかったように感じられたんでしょうか」

「……いや、からかってたでしょ、君たち」


 俺が思わずツッコミを入れると、三人とも越後屋の悪巧み笑顔を向けてきた。……ああうん、三人寄れば姦(かしま)しい、残念成分なしだもんな。ちったあ先輩を敬え。


「そんなことないですよ? ……うーん、将吾お兄さんがあたしの兄だったらなー。きっと人生楽しそう」


 美佳(みかっぱ)さんがそう言って頬づえをつく。


「……きょうだいいないの? 美佳さん」

「ん? いますよー、兄が。将吾お兄さんと同じクラスに」


 しれっと今明かされる衝撃の事実。……神山、って確か……夏に助言をくれた、確か妹に必ず先に風呂に入られると嘆いてた……


「まさか、神山圭一(かみやまけいいち)の妹!?」

「当たりでーす」


 ……あのあと名前を調べてはいたが……今思い出さなければたぶん卒業まで思い出さなかったかもしれない。


「美佳さんは、圭一が嫌いなの?」

「少なくとも、すみれっちみたいにはなりませんねー。ね、マキちゃん、瑠璃ちゃん?」

「うーん……きょうだいがいるのは、少しうらやましいかも……」

「そうですわね……優しいという条件がつくならばですが、わたくしも姉より兄が欲しかったですわ」


 ふむ、察するに真希(マキ)さんはひとりっ子で、瑠璃(ディー)さんは姉がいるみたいだな。


「だよねー。将吾お兄さんみたいなら、文句なし!」

「そうだね」

「言うことなしですわ」


 あまりのヨイショに背筋が寒くなってきた。なんで俺はこんなに三羽烏に買いかぶられているのか、まったくわからない。やっぱりホットコーヒーを頼むべきだったろうか。


「……なんでそんなに持ち上げてくるわけ?」


 ヨイショされる心当たりがまったくないので、ストレートに聞いてみる。


「えー、だって……すみれっちが振ったサッカー部員との一部始終を知ってれば、みんなそう思いますよー?」

「はい……すみれちゃんをバカにしたような発言は、あとから聞いて許せませんでしたし」

「妹のために、自宅謹慎も恐れず本気で怒るお兄様は、わたくしたちのクラスでも尊敬の念を集められてましたわ、ふふ」

「…………」


 見事なまでの返り討ちに遭った。うっわ、だから初対面のときに『存在は有名』とか言われちゃったわけか。黒歴史がスーパーブラックヒストリーになっていく……

 とはいえ、美佳さんも真希さんも瑠璃さんも、俺をからかってるようには見えない。


「あたしが水泳をやめずにいられるのも、すみれっちのおかげなんだし……」


 美佳さんが、天井を見上げしみじみとそう言うと。


「それなら、クラスになじめなかったわたしが、今ここにいられるのも……すみれちゃんのおかげです」


 真希さんがそう後追いして、お冷やのグラスを動かし。


「あらぬ疑いをかけられたわたくしを、最後まで信じてくださったのも、すみれさんだけでしたわ……」


 瑠璃さんがおしぼりを力強く握りしめたまま、つぶやいた。


 話が見えないが……どうやら三人とも、妹に何かしら感謝していることがあるんだろう、ということだけはわかった。


「……だから、すみれちゃんには笑っていてほしいんです」


 真希さんの言葉に、残り二人が頷く。……いや、みんなでこっち見んな。しかも茶化すような目線じゃない、真剣だ。

 まだ茶化されたほうがよかった。本気の包囲殲滅陣には勝てない。こっちの兵力も三万くらいくれよ。


「お待たせいたしました。ブレンドコーヒー、ミルクティー、カフェカプチーノ、そしてアイスコーヒーです」


 その瞬間、孤立無援な俺に援軍到着。救世主は注文の品を一度に持ってきていた。すげえ、始めて一週間でこれとは、おまえ天職じゃないのか。


「……なーにを、話していたのかなー?」


 疑いの目つき、ややとげのある口調。接客業にあるまじき態度の店員に、思わず四人全員が吹きだした。


「おまえが、四天王最強だという話だ」

「……??」


 俺の説明に、妹は首を傾げるばかりだった。


―・―・―・―・―・―・―


「……うーん、でもすみれっち、やっぱ目立ってるよねー」

「うん、あそこの若い男性客、さっきからずっと、目ですみれちゃん追ってるよ」

「あら、あそこの同僚らしき男性も、視線がすみれさんに釘付けですわよ?」


 妹が伝票を置き、立ち去ってからすぐ。三羽烏が店内の視線事情を冷静に観察していた。俺はあえて無言を貫かせてもらう。


「こ・れ・は、すみれっちナンパされちゃうかもねー」


 美佳(みかっぱ)さんの言葉に、アイスコーヒーを吸う俺の口が一瞬止まる。


「あらあら、そうしてすみれさんは、騙されてしまい堕ちてゆくのですわね……」


 瑠璃(ディー)さんの言葉に、ストロー口(ぐち)から空気が逆流していく。


「すみれちゃんが危険な目に遭わないように、お兄さん……ちゃんと見ててあげてくださいね?」


 真希(マキ)さんの言葉に、思わず声を上げる。


「……君たち、遊んでる?」

「「「少しだけ」」」


 少しだけ、じゃねえよちくしょう。五虎将軍だったら最弱は俺だわ。


―・―・―・―・―・―・―


 街灯がところどころ切れている、やや薄暗い夜の道を、白い吐息とともにほてほてと二人で歩く。

 街灯が切れている代わりに、今日はやたらと星が夜空に輝いている。まるで星に見守られているかのようだ。


 結局、妹のバイトが終わるまでROOD(ルード)に居座ってしまった。


「……ねえ。今日はみんなとなにを話してたの?」


 妹はご機嫌四十五度くらいである。


「なに話してたって……どうせおまえ、聞き耳立ててたんだろ」

「残念ながら全部は聞いてない」


 カマかけるまでもなかった。苦笑いしか出ない。


「……まあ、楽しい友達だな。もっと早く家に呼べば良かったのに」

「………………」

「…………どうかしたか?」


 突然黙り込んでしまったので、何かあったのかと思いきや……


「……だって、家に呼んだりしたら、兄貴が目移りするんじゃないか、っていう不安が……」


 言いにくかっただけらしい。妹はそう言ってから、プイッと顔を背けてしまった。……あ、耳が赤い。


「はあ? 目移りって、なんだ?」

「……だって、みんなかわいいし……」


 ……ああ、そういう意味か。そうだな、みんな確かにかわいいから。


「まあ、あと15年早く知り合っていたら、わからんかもな」

「……なにそれ」

「15年前に知り合ったのが、おまえだっていうことだ」


 目移りとかのレベルじゃないな。妹はひとりで充分だ、少なくとも俺は。そう思っても口には出さないけど。


「……ん。今は、もうそんな不安はないよ」


 すりよる妹をそのままにして、ひたすら歩く。もうすぐ雪が降りそうなくらいの寒さだ。


「俺は、たまたまおまえの兄だっただけかもしれないけどな」


 自分への自信のなさがそう言わせてしまうのだろうか。ちょっとした自虐ではあるが、その言葉を聞いた妹が、ギュッと俺の左腕をつかんできた。


「兄貴に『たまたま』はあっても、わたしには、『たまたま』は、ないよ」

「……あ?」

「わたしが選んだの、全部。行動も、この気持ちも。……だから、わたしは兄貴の妹に生まれたんだ、きっとね」

「……難しすぎてよくわからん。哲学か?」

「そのうちわかるから」

「……そうか」


 そのうち、ね。そのうち……そのうちって、いつなんだろうな。明日のことですらわからないのに。

 ま、そんなことに思い悩むのも、カロリーの無駄遣いかな。


 そんな気がして、俺は考えるのをやめた。


「だいいち、わたしに『たまたま』があったら、妹じゃなく弟になってるし」

「下ネタやめい」

「いたっ。もー、叩かないでよ!」


 二人で軽く笑いあう。


 もう少し、気づかないふりをさせてくれ。……なあ、冬の星空さん。


 …………


 ……あ。ケーキを頼むのを忘れてたことに、気づいてしまった……




「わたしだけの…………お兄ちゃん」

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