すれちがう兄妹

 妹は泣き疲れたようだ。看護師さんの訪問を機に、俺は部屋を出た。

 改めて、今日という日を振り返る。後悔と呼べる事項は、ひとつだけだ。


 ――――俺は、妹を守れなかった。


 もともと、御守りを忘れた俺のせいで、妹がこんな目に遭ったのだ。俺は声を出すことしかできなかった。あまつさえ、妹を守った物は、俺が自分の意志で選んだわけではないクリスマスプレゼントだ。


 俺の心に、新たな疑念が浮かび上がる。それは――――俺が、妹のためにしてやれることなど、何もないのではないか――――という、恐怖にも似た疑念。

 俺がそんな想像をして勝手に絶望していたその時、入院準備を揃えてきたおふくろが、病室の前までやってきた。


「すみれの様子は、どう?」

「……まだ少し、混乱してるみたいだ」

「そう。……今日はもう帰りなさい。明日までは私がすみれを見るわ」

「…………うん」

「…………あまり、気に病まないようにね」


 俺が、あまりに情けない顔をしていたことに気づいたのだろう。そんなセリフを残し、おふくろは病室へと入っていった。


 病室の前で立ったまま、どのくらい時間が経っただろうか。俺の頭の中は、すべてが抜け落ちたように空っぽだ。


 まるで、不吉な未来を考えたくない、そんな思考放棄をしているかのように。


―・―・―・―・―・―・―


 ひとりきりの家は、妙に不安をかき立てる。ただでさえ眠れそうにない俺は、部屋にこもる気にもならず、リビングのソファーに横たわっていた。いつもならば、妹の指定席。


 何かを考えるわけでもなく、ただ、帰らない誰かを待ち続ける。端から見たら単なる時間の無駄なのだろうが、今の俺には寝るよりも意味があるように思えて。


 気づけば、夜は明けていた。


 ふと、玄関の鍵を開ける音がする。思わず体を起こして、音のする方を見ると……おふくろがドアを開けて帰宅したようだった。


「将吾。まさかあなた、寝てないの?」


 ただいまよりも先に、昨日着ていた制服のままの俺を見て、おふくろはそう言ってきた。


「……寝れるわけ、ない」

「いいから寝なさい。すみれなら、身体のほうは大丈夫だから。腕に傷痕は残るかもしれないけど、後遺症とかは残らなさそうだし」


 傷痕が、残る。あいつの腕と、俺の心に。――だが、『身体のほうは』って、どういう意味なんだ?


「……身体以外は大丈夫じゃないの?」

「自分があんな怪我してるっていうのに、『お兄ちゃんの未来を壊しちゃった』とか、『こんなわたし、妹の資格ない』とか、錯乱しちゃって、なだめるのに苦労したわ」

「…………」


 昨日も言っていたが――妹の資格って、なんだ。それを言ったら、俺も兄の資格なんかないんじゃないのか。


「……俺の、せいなのに……」

「だから、自分を責めるんじゃないって、言ってるの!」

「…………」

「……私だって、もっと気を遣っていれば、正夫さんは、まだ……」


 おふくろが切なそうに、後悔の心情を吐露するところを見て、ハッとした。


「…………ごめん」


 俺の謝罪に、今度はおふくろがハッとする番だった。


「……私こそごめんね。でも、すみれは生きてるの。将吾も生きてるの。それが一番大事なことよ」


 生きているのが、一番大事。俺は救急車の中で、それを実感している。生きているなら、お互いに考えていることを、お互いの想いを、相手に伝えあうことができるのだから。


 ――――妹と、話したい。強い願いが俺の心にわき上がってくる。


 俺はおふくろの言葉に頷き、決意を表す。


「すみれと、話をしてくる」

「そう、将吾がそうしたいなら……あ、でも」

「……どうかしたの?」


 何かを言いかけてやめたおふくろの態度に、俺は疑問を抱き訊ねてみると。


「すみれが……会ってくれるかしらね」

「……えっ」


 衝撃のアンサー。俺が狼狽してしまうのも無理はなかろう。


「ちょ、ちょっと待って、俺、そんなにすみれに嫌われてるの?」


 俺の切羽詰まったセリフを聞いたおふくろは、『今まで何を聞いてたの?』と言わんばかりに、「はぁぁぁぁ……」とためにためた息を吐いて、俺の目を見返してきた。


「そんなわけあると思う? ……まあ、一日や二日でなんとかなるものじゃないから、いつ行っても同じでしょうけど」

「……?」


 狼狽はおさまった。が、意味は分からない。――――行くしかないか。


―・―・―・―・―・―・―


「……なんだこれ」


 病院に着いてみると……妹の病室の扉に、『面会謝絶』の貼り紙が。

 一瞬焦った。が、その文字がどう見ても手書き、かつ筆跡が妹のそれだったことに疑念を抱く。確かこの病室は二人部屋だったはずだが、今は妹しかいないはずだし。


「勝手に貼っていいのか、こういうの」


 ひとりごとをつぶやきながら扉を三回ノックすると、中から『面会謝絶です』と静かな声が返ってきた。びっくりさせんな。

 話をしたいということしか頭になかった俺は、遠慮なく扉を開けて中に入る。


「入るぞ」

「ちょっ、やっ、面会謝絶って言ったでしょー! あ、痛っ!」


 俺とわかった途端に、妹はベッド脇のカーテンを無事な方の手で閉めた。


「……そんなに俺の顔を見たくないのか」

「違うってば! あわせる顔がないの!」


 とりあえずその言葉に安堵するも……口まわりの裂傷があるのに、そんな叫んで大丈夫なのか? などと余計な心配をしつつカーテンをめくる。


「やーーーーっっっっ!!」


 刹那、叫び声とともに左手で顔を隠す妹が現れた。だが、片手程度では隠れないくらい、顔が……腫れていた。一気に俺の罪悪感が増幅される。


「ううう……」


 消えてなくなりたいような思いのこもったうなり声をあげる妹を落ち着かせようと、俺は凝視するのをやめて、傍らにあった椅子を動かし、座ると同時に頭を下げた。


「顔を腫らさせて、傷痕まで残させて……俺は、兄失格だな」


 俺が守らなければならないはずの、妹のこんな姿を見てしまっては、兄のプライドなどズタボロだ。もう自虐的になるしかなかった。


「そんなことない! 実際に、お兄ちゃんがくれた帽子がわたしを守って……」

「実はな、その帽子は、俺が選んだものじゃないんだ」

「……えっ?」

「店員にすすめられるがままに買った物なんだ。だから……俺が選んだわけじゃない。俺が選んだものが、おまえを救ったわけじゃないんだよ。だいいち、俺が御守りを忘れたりしなければこんな目には……」

「……関係ないよ、そんなの」


 俺の自虐を、無理矢理遮ってくる妹。顔を隠すのもやめて、横になったまま俺へと向き直ってくる。


「お兄ちゃんがくれたものだから、わたしはそれを気に入ったの。誰が選んだか、なんて関係ないの。だから、お兄ちゃんがわたしを守ってくれたのに変わりはないの。なのに、わたしはお兄ちゃんの足を引っ張って、取り返しのつかないことをしたの」

「…………」

「それなのに、気がついても、自分のことしか考えなかった。だからわたしは……妹、失格」


 自虐を自虐で返し終わったあと、上に視線を逸らした妹に、今さら何を言っても信用してくれないに決まっている。


 自分を責め始めたら止まらなくなりそうな気配を感じ、お互い黙り込むしかなかった。


 ――――どうすればいいんだろうな。俺も思わず天を仰いだ。もちろん、空なんか見えない。見えるのは……白い、あまりにも白い、シミひとつすらない天井。空虚だ。


「……話していたら、おトイレ行きたくなっちゃった」


 しばし上ばかり見て黙っていた俺は、その妹の一言で、ようやく顔の向きをベッドに戻すことができた。


「そうか。動くのも大変だろうから、看護師さん呼んで……」

「手伝って。わたし、片手しか使えないし。足もこんなだし」

「……は?」


 意味不明なお願いをしてきた妹が、折れてない左手で指し示したものは…………尿瓶(しびん)。


「ば、ばっ、ばっ」

「兄だもの、そのくらい手伝ってくれてもいいよね? それとも……妹失格なわたしの手伝いなんて、したくない?」

「兄妹関係ねえだろ、そういう問題じゃねえよ!?」

「じゃあ、失格妹からのお願いということなら?」

「……失格兄だから、遠慮させてもらう」


 とんでもない提案にドギマギした俺とは対照的に、妹はしばらく考え込むような素振りを見せ、ふたたび目をそらしてから、ひとりごとのように意味深なセリフをつぶやいた。


「……兄妹失格になったら……わたしたち、どうなっちゃうのかな?」


 妹は言い終わってもこちらを見ない。どういう意図なのかはわからないが、たぶん、たぶんだけど――――


 俺は、こいつを怪我させたことを、ずっと後悔して。こいつは、俺の進路をだめにしてしまったことを、ずっと後悔して。

 お互い、相手に後悔させてしまったことで、ずっと自分を責め続ける。そんなことを続けていくしか、ないんじゃないか。

 そんなふうに、ついつい悪い方向へ考えてしまう。


「……離れ離れに、なるかもな」

「あはは。……そっか。今までは、兄妹だから一緒にいられたんだもんね」


 ――そうだ。兄妹の絆は、足枷などではなかった。一緒にいることが当たり前に許される、免罪符だったのだ。

 俺の脳裏に、“兄妹失格”の果てが浮かんできて、ただただ寒くなる。


「きっと、罰が当たったんだ。『兄妹じゃなくなれば』なんて、思ってたわたしに。自分のことしか考えてなかったわたしに。恋人同士になんて、なれるわけないのにね」

「…………」

「挙げ句の果てに、お兄ちゃんを巻き込んで、人生変えちゃって……どうやって償(つぐな)えばいいのかわからなくて」

「…………」

「……本当に、妹失格だよ……」


 続けると無限ループしそうな会話は、そこで途切れた。結局、その後に看護師を呼んで、俺が病室を出るまで、妹と視線を合わせることはなかった。

 妹と話したかったはずなのに、気持ちを伝えたかったはずなのに。結果、現実を思い知らされただけだ。


 たとえ――――あくまで『たとえ』だが――――お互いに好きだったとしても、結ばれることは、絶対に許されない。

 いつか一緒に見た、『ローマの休日』のように。


 ………………


 俺の中にあった兄妹の絆が、歪んだ。やっぱり、俺は兄失格なのかもしれない。

 俺が妹になにを求めているのか、やっと気づくなんて、俺はバカだ。いや、大バカだ。


 ――――ずっと一緒に、いたいだなんて。

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