妹のアルバイト事情

「わたし、バイトする」


 冬の気配が見えてきた十一月の半ば。家族がそろった夕食後のリビングで、妹が突然そう宣言した。


「悪いことは言わない。やめとけ」


 すぐさま俺は説得する。


「……なんでさ」

「おまえは労働に向いてない」


 むくれながら理由を聞いてくる妹を一刀両断するのは気が引けるのだが、俺が言わなきゃ誰が言う。


「どうしてそう断言できるの?」

「世間知らずで、好奇心旺盛なくせに飽きっぽくて、どこまでもマイペースなやつが他の人と一緒にうまく働けると思うか?」

「うっ。……でも、それは経験を積んでいけば……」

「経験積む前に、雇用主に愛想尽かされる可能性を考慮しろ」

「………………」


 何かをしたい、という妹の気持ちはわかるのだが、こいつが大人に混じって働いてる姿が想像できない。


 それに…………


「まあ、いいんじゃないかしら?」


 ……と思ったら、おふくろが敵に回ってしまった。


「ちょっ、おふくろ、いくらなんでも無謀じゃ……」

「将吾、過保護にもほどがあるわよ。すみれには良い経験になるだろうし、私としては賛成するわ」

「…………」


 一家の長にそう言われてしまっては、何も返せない。……経済的な事情もあるにせよ、そういう問題だけじゃないんです、母上様。


「わー! 本当? じゃ、明日からバイト探してみるね」

「……って、なんのバイトをするか、まだ決めてなかったのかよ」

「うん。なにかしたいなー、って。じゃ、スマホで早速調べてみるね。ありがとう、お母さん!」


 妹はそう言って、自分の部屋へ戻ってしまった。思わず俺はテーブルに肘をついたまま頭を抱える。


 さすがにバイト中ずっと見張るわけにもいかないし……ナンパ野郎から、どうやってガードすりゃいいんだよ……


―・―・―・―・―・―・―


「……で、なんのバイトしたいか、決まったのか?」


 翌日の朝。登校中にそんな質問をしてみる。


「うーんとね、無難なところではコンビニ、あとはガスットとかのファミレスとかかなーと思ったんだけど、深夜しか募集がなかった」

「……まあ、そうだな」

「時間帯で最適だったのは、牛丼の吉里家(よしりや)だったんで、近いうち聞きに行くつもり!」

「……女子高生が牛丼チェーンでバイトかよ……」


 まあ、こいつらしいといえなくはない。こいつ、この年齢でひとり牛丼が平気なやつだし。

 でも、もしこいつが牛丼屋でバイトしてたら、『吉里家に美少女店員がいるぞ!』とか拡散されそうで怖いな。


「牛丼余ったらお持ち帰りとかタダでできないかなー、って期待もあって」

「できるわけねえだろ」

「えー、そうなの? 従業員割引もなしかな?」

「それはわからん」


 意外と動機が不純だった。おこぼれにあずかりたいから、食い物系の仕事探してたのだろうか。顔色にがっかり感が浮かんでいる。


「割引あるといいなー。食費も浮くし」

「……さいですか。で、いつくらいから働きたいんだ?」

「そうだね。四十九日が終わってから、かな」

「…………」


 ……そうか。もうすぐオヤジの四十九日だな。オヤジが逝ってから『もう』なのか、それとも『まだ』なのか、どちらとも言えない。

 だが……オヤジに胸を張って報告できるような具体的なことは、まだ何もない。それは、断固たる決意、とでも言うものだろうか。


「……おまえは、なぜ突然バイトしようと思ったんだ?」


 そんなことを思いながら、改めて聞いてみると。


「お金がほしかったから」


 あまりの清々しい答えに感動すら覚えた。


「……そうか」

「ん。お金を稼ぐのって、大変だとは思うけど」


 こいつはこいつなりに、いろいろ考えてはいるんだろう。それはわかるんだが、なにせ俺は心配性なシスコン兄。……キモいとか言われそうだが気にしない。

 だから、ついつい余計な心配を重ねてしまうのだ。


「……お金がほしいからって、うかつなことはするなよ」

「うかつなことって、何?」

「……援交とか」


 ドスッ。


「おぐっ」


 鞄の角が俺のわき腹にクリティカルヒット。


「そんなことするわけないでしょー!」


 わき腹をおさえてその場にうずくまる俺を見下ろしながら、妹が絶叫する。しかも怒っている。……まあそりゃそうか。


「……すまん。今のは失言だった」

「……まったく」


 ごめんねの言葉代わりに、立ち上がった俺のわき腹を妹が撫でる。


「おまえがそんなことするわけないとはわかってはいるんだが、ついいろいろ心配しちまって……な」

「いろいろって……まだ他に心配ごとあるの?」

「バイト先でナンパされたり……じゃねえ、何でもない」

「…………」


 無意識に口から出てしまった俺の言葉を聞いて、わき腹を撫でていた妹の手がピタリと止まる。……しまった。だがもう遅い。


「……まさか、バイト反対してたのは、それが理由?」

「うっ。……でもまあ、バイト経験がないから他人に迷惑かけないか心配なのが一番の……」

「…………」


 自分で言ってて、本当に説得力がない言い訳だ。はい、俺の負け確定。今回は決まり手が勇み足だった。


「……まあ、見た目だけは美少女な妹を持つ兄の苦労と思え。うん」


 キモい、とか言われるのを回避したい一心でよけいなセリフを追加してしまったが……妹は、それを聞いて一回深くため息をついてから、ヤレヤレのポーズを取って首を左右に振った。


「ほんとにもう。……そんな心配してる暇があるなら、化学式のひとつでもおぼえたらいいでしょ、兄貴は」


 返す言葉もねえ。もう開き直るしかないわ。


「……心配なものは仕方ないだろ」

「はいはい。ロクデナシに引っかかるわけないし。だいいち、わたしだって、いつまでも子供じゃいられないんだよ」

「…………」

「兄貴にだけ責任押しつけたりしないで済むように、わたしもいろいろ経験しないと」


 俺のほうにキリッとした瞳を向けて、妹は言い放った。その言葉は、自分に言い聞かせているようにも思える。

 大人になることを強いられるのは、俺だけではないんだな。……こいつは俺より二歳年下なのに。


「……でも、家事だって大変だし、おまえにこれ以上負担かけるわけには……」

「そう考えるのは間違い。今は、みんなで幸せになれるように、自分にできることを模索しているだけ。お互いにね」

「………………」

「そして……いつか、一緒に大人になろう?」

「……ああ」


 あっさり説得された。完敗だ。……俺は本当に兄か。情けない。これはバイトすることを気持ちよく賛成するしかない。


 だけど、なんとなくスッキリした気分だ。……そうだ、自分ひとりで、大人になる必要はないんだよな。

 そのことに改めて気づかせてくれた、時には子供っぽくて、時には俺がドキッとするくらい大人びてる、誰にでも自慢できる俺の妹。本当にこいつが妹でよかった。


 ……少しずつ、少しずつ。大人になってもずっと一緒に。




「もう……ひとりじゃ、オトナにはなれないんだからね。わかってる? お兄ちゃん」

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