六月の花嫁にはなれないけれど
「なあ妹よ、お前は将来なにになりたい?」
「んー、女城主」
梅雨入り宣言された日の夕食後のリビングにて、軽い気持ちで妹に質問してみたら、予想の斜め上をタイムスリップした答えが返ってきた。さっき見たテレビドラマのせいだろうか。
「いやそういうのじゃなくてな……もっと現実的な回答がほしい」
「えー? “お嫁さん”みたいな回答より、よほど現実的だと思うけど」
「六月に掛けたのか……だが、お嫁さん、なんて回答するやつなんているのかよこの年齢で。子供じゃあるまいし」
「まわりに何人かいるよ。玉の輿狙いとか、楽して生きたい人とか」
確かに、ある意味現実的な回答だな。ただしイケメンか金持ちに限るとか、その類か。――だが、なんで女城主がお嫁さんより現実的なのかがわからん。
「世の中は打算で動いてるんだな。知りたくなかった」
「大丈夫だよ。そう言う人は、たいていは通常の結婚すら出来るか怪しい人だから、現実的じゃないよね」
「……それみんなの前で言うなよ。刺されるか絞められるかの二択しかないから」
身の程知らずと言いたいのだろうが、おまえがそれを言うと余計にマズい。まあ、お嫁さんが現実的じゃない理由はわかった。
「言わないよ。そんな会話に参加すらしたくないから。あまりに非現実的すぎて」
おおう辛辣。なんでこんなに毒舌なんだ、今日のこいつは。
「……そう言えば、おまえは小さい頃ですら『お嫁さんになる!』とか言ってたことはなかったな」
「…………なりたいとも思ってなかったし」
「そうなんだ」
俺としては、『お兄ちゃんのお嫁さんになる!』とかいう記憶もほしかったところだがな。
「……兄貴、ちょっとキモい。顔が」
おっと、思考が顔に出てたか。兄の愛は難解で複雑なものなので、妹には理解されない部分もある、ってのが厳しいな。
まあそれはともかく。
進路を決めて、やりたいことは焦らず模索する、と決意したはずの俺だが、やはり漠然とした不安は残る。
こいつはどうなんだろう。そんな気持ちから、軽く聞いてみたわけだが……
「……なあ妹よ、おまえは将来の不安とか、ないのか?」
ぼかして質問しても斜め上の返答がくるだけなので、ストレートに聞いてみよう。
「なに、どうしたの急に」
「……ん。いや、俺は将来なにをしてるんだろうな、と考えると、はっきりしたビジョンがまだ見えてなくてな」
「ふーん。そのまま、フラスコ握るサイエンティストを目指すのかと思ったけど」
俺の目指しているのは、理学部化学科である。自分で進路を選んでおいて何言ってんの? と他人に言われそうだが、研究者以外に何になれるのか全くわからない。
「それで食えればいいんだけどな。大学院行かないと研究職は無理だろうし、仮に行ったとしても採用されるかわからないしな」
「兄貴の場合、頭に“マッド”が付きそうだもんね」
「俺に世界征服させるつもりか」
「あ、それいい。世界征服したら、わたしの都合いいように法律変えちゃってよ」
世界征服して、真っ先に妹優先するマッドサイエンティストってどうなんだ。世界は妹のためにあるのか。
――――やるかもしれないと思ってしまうのが、自分で少しゾクッとする。
「……内容によるな」
「将来わたしが、一番なりたいものになれるように」
「??」
「それが無理なら、女城主がいい」
本気だったのか、女城主。
「……なんで女城主になりたいんだ?」
「一人で生きていけそうだから」
そうきっぱり言い切ったこいつの顔に、何か悲壮な決意みたいなものを感じる。なんだろう、このよくわからない感。
「善政敷かないと一揆起きるぞ」
「じゃ、年貢はおしるこドリンクでいいや」
「家老が有能じゃないと、財政が破綻しそうだな……」
「大丈夫だよ。わたしが城主になったら、家老は兄貴しかいないから」
「雇ってくれるのか?」
「もちのろん。永久就職で」
こいつが女城主になったら、俺の生活も安泰だということはわかった。……だが間違いなく、神経はすり減るとも確信する。
「……わかった。頑張れ、女城主目指して」
「ん。問題は、その前にドラえもんが来てくれないとほぼ不可能なことかな」
「確かに」
二人で声を上げて笑った。むなしい笑い声だ。やっぱり、お嫁さんより女城主のほうが無理そうである。
「…………」
「…………」
「……わたしはね、将来に不安はないよ」
笑い声も収まり、何を話していいかわからない時間が少し経ってから、妹は天井を見上げてきっぱりそう言った。
「……何でだ?」
「…………だって、どんなに人生に絶望しても、兄貴はずっとわたしの兄貴だもんね」
「絶望……? そんな波瀾万丈な人生想定してんのか、おまえは。平凡な幸せをつかんで天寿を全うする率の方が高そうだが」
「平凡じゃなくても、幸せならいいな……」
妹はそう言って、ずっと天井を見たままだ。どう返せばよいのかわからない。
「…………」
「……………………っていうか、わたしは本当に兄貴の将来が心配だよ! 世渡り下手そうだしね」
「うっ」
突然矛先を向けられて言葉に詰まった。それは重々承知している。――――だが、おまえも世渡り上手ではないんじゃないかなあ。
「このままじゃ、今までと同じくわたしが面倒見る未来しかないよ、兄貴は」
「……おまえに面倒見られた記憶がないのだが、どういうことだ。逆ならいくらでも思い当たる節があるが」
「そうだっけー? じゃ、今までのお礼に、将来わたしが面倒見てもいいよ?」
自分のことは棚に上げたまま妹はそう言って、やっと天井から俺に目を向けた。気のせいかちょっと赤い。
「……そのときは頼む。介護お願いする」
「……いったい何年、面倒見させるつもり?」
「確かに」
また二人で声を上げて笑った。今度は、少し心地よい笑い声だった。世渡り下手が二人集まれば、意外になんとかなるのかもしれないな。
――――ひとりじゃ無理でも、ふたりなら。
「……そうなったら、わたしはきっと幸せだよ……お兄ちゃん」
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