一歩ずつ前へ

「……そうか。残念だったな」


 明けて次の日。センター試験を受けなかった顛末を、担任である小沢公一オザコー先生に報告するため、俺は学校の職員室を訪れていた。

 オザコー先生は、いろいろな意味がこもった『残念』という言葉で俺を慰めてくれた。先生のほうが無念そうな表情をしているのは、なんとなくおかしい。


「残念じゃありませんよ、先生。これは、俺が自分の意志で選んだんですから」

「…………」

「後ろを振り返っているヒマなんてないんです。先生には迷惑をかけてしまいましたが……」

「俺のことなんて気にするな。……倉橋、おまえはたぶん――――この学校で、一番俺の印象に残る生徒になるよ」

「え?」

「まったく、昔は問題起こしたかと思えば、今ではいらんくらいに大人びやがって。おまえの心配なんかする必要はまったくないな。おまえの道を、好きなだけ行けばいい」

「……はい! ありがとうございます!」


 オザコー先生が、椅子に座って無造作に足を組みながら、最後に俺に向けて見せてくれた笑顔は、たぶん一生忘れないだろう。――ここが、俺の出発点だ。


―・―・―・―・―・―・―


「……で、どうするの?」


 それから帰宅して夜の我が家。おふくろに、今後のことを突っ込まれ、俺はプレゼンをすることとなる。


「ん、もう考えてはいる。近所のドラッグストア、あそこは新規や中途にかかわらず、年中正社員採用をしてるんだよね」

「ああ、『ヤマシタヒロシ』ね。じゃあ、そこに行くの?」

「そのつもり。ただ、薬品部は入社して最低一年は本社で研修させられるみたいだ。詳しく話を聞いてみないとわからないけど」

「本社って……C県よね。あなたが行く予定だった大学のある……」

「そういうこと。まあ、どちらにしても俺はC県住まいになっていたわけで」

「…………そう。寂しくなるわね」


 おふくろがしんみりとつぶやくさまに、どうにも違和感。


「なにらしくないことを言ってんの、おふくろらしくない」

「わたしたちが、じゃないわよ。あなたがよ」

「………………」


 違和感の正体はこれだったか。言葉に詰まった時点で俺の負けだ。ボキャブラリー不足は相変わらずである。


「まあ、今さらよね。あなたより、あの子のほうが深刻かもしれないけど」

「…………」

「なんて顔してるの。いいから、自分で決めたなら強くなりなさい」

「…………うっす」


 この親にしてこの娘あり。おふくろにもかなわなかったんだな、俺は。家族間でも最弱であった。ひとり暮らしするしか、家庭内最強になる道はないのか。


―・―・―・―・―・―・―


 いろいろあって、次の日。

 夕暮れが迫る前に妹のところに立ち寄って荷物をおいていこうと、病室のドアを開けると、先客が三名ほどいた。誰かは言わずもがなである。


「あー、将吾お兄さんだー。こんにちはー」

「おじゃましてます」

「ごきげんよう」

「いらっしゃい、美佳さん真希さん瑠璃さん」


 三人は事故った当日にも来たらしいが、妹が情緒不安定だったので、すぐ帰って行った。が、今日は和やかムードである。


「あ、お兄ちゃん、荷物持ってきてくれたんだね。ありがとう」

「いや、時間の余裕はあったからな。別にかまわない。あと何か必要なものはあるか?」

「えーと、スマホは昨日お兄ちゃんが持ってきてくれたから、あとはどうにでもなるよ!」

「わかった。なら、あと何か思い出したら連絡を…………ん?」


 妹と会話をしてる時にふと意識を横にそらすと、三羽烏がこちらを(きょとん)とした目で見ていることに気づいた。


「……どうかした?」


「こ、これは……」

「二人の間に……」

「甘い空気が……」


「「「なにがあったんですか?」」」


「「…………は?」」


 なんだなんだ。変な方向に三羽烏のくちばしが向かったぞ。


「いや、だってすみれっち、ナチュラルに『お兄ちゃん』呼びだしー……」

「今まで『兄貴』だったもんね、少なくともわたしたちの前では」

「さらに二人の距離が縮まるようななにかがあったに違いありませんわ……」


 なんなの君たち、妙に鋭いんだけど。そんな言葉はもちろん考えても発しない。だが、三羽烏は俺たちがなにも言わなくても、自己完結へ向かったようだ。


「まあねー、あれほど錯乱していたすみれっちが穏やかになったし」

「お兄さんがどうなだめたのか、わたし、気になります!」

「まさか……兄妹で熱いベーゼを交わしたり……ああ、はしたない……」


「いやあのね、すみれは痛い思いして出血までしてるんだけど、そんなことできるわけ」

「お兄ちゃん、その言い方は誤解を招くよ……」


 さすがにないことないこと言われるのもアレなので、我慢が足りない俺が否定をするのだが……言い方がまずかった。


「痛い思いして……」

「出血までして……」

「……確定ですわね」

「「「……きゃー!!!」」」


 いや、確定って何がさ。いかがわしい妄想しないでください頼むから。


「みんな何を想像してるの! もー!」


 妹が少し大きな声を出し、折れた肋骨のところを痛がる素振りを見せた。肋骨折れてるのに叫べばそりゃ痛いわな。


「おい、無理して叫ぶな。大丈夫か? ……まったく、この状態で、そんなことできるわけなかろうに」

「あたた……ほんとだよね。治るまで待っててね、お兄ちゃん」

「…………んん?」

「はーい、病院内ではお静かに! お兄ちゃんとは何もありません、まだ」

「…………んんん?」


 なにか引っかかる言い方をしていたような気がする。……ま、いっか。何が起きるわけでもないし。


 三羽烏がわめきたて、四天王の最弱がそれをなだめ、五虎将軍一番の最弱はそれを眺めて苦笑いする。


 うん、優しい世界に戻ってきた、かな。




「お兄ちゃんの人生を変えちゃった責任は、どうやって取ればいいんだろ……」

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