妹と進路と夏祭り

「……よし。お前の成績だけを見るならだが、なんとか大丈夫だろう。また謹慎食らわないように、油断はするなよ」

「はい。では、失礼します」


 担任との面談が終わった。俺は三年生、夏前に志望大学について真剣に考えなければならない時期である。

 夏と錯覚するくらい暑いこの時期に、寒い季節をさらに寒くしないよう考えなければならないとは。思わずタメイキが出る。


「……っても、やりたいことなんて、別にないんだけどなあ……」


 ひとりごとだ。大抵の高校三年生に、やりたいことが明確な形で存在などしない。

 いつかは大人にならなければならない。そんなことは誰もが知っているとしても。


「あれ、兄貴、今帰るところ?」


 担任と進路についての面談が終わっていざ帰宅というときに、偶然にも玄関で我が妹と遭遇した。

 相変わらず視線を集めているな我が妹は。兄として鼻が高い。


 ……まあ、そんな妹が一緒にいた友人をほっといて、こちらに寄ってくるのはなにか違うのではないかとは思うが。


「……お兄さん登場しちゃった。こうなったらだめだね。わたし先に帰るね」

「あ、バイバイ。また明日」


 妹の友人が、何やら不穏な言葉を残して去って行く。どういう意味だいったい。


「……お前、いいのか? 友人ほったらかしにして」

「ん? 別に大丈夫でしょ。嫌でも明日になれば顔合わせるし」

「兄なんかほっといても家で顔合わせるんだから、友人を大事にしろよ……」


 こいつは、俺がゴールデンウィークの終わりに、オヤジやおふくろと進路の話をして以来、やたらと俺につきまとうようになってきた。


「……兄貴と一つ屋根の下で過ごすのも、あと半年くらいしかないんだし」

「……」


 俺が、大学進学をすること。

 志望大学は、自宅から通えないこと。

 大学に受かったら、一人暮らしをしたいから、資金援助してほしいこと。


 少し遅い時間まで、具体的な話も交えて、オヤジやおふくろと話をした。


 幸い、成績に関してはまず問題なく、あとは突発的な不運をいかに回避をするか、という点が重要。

 不運とは、具体的にいえば、一時の感情で学校の休みを食らうなということだ。……我慢できるかはわからん。


 そんな話を、傍らで無言のまま聞いていた妹が、今までに見たことのない顔をしていたのを覚えている。

 具体的にどんな表情かは説明できない。説明しろという問題が大学入試に出たら、ボキャ貧の俺は浪人確定だ。


「ま、現役合格できると、まだ決まった訳じゃないけどな」

「あ、そっか。それなら一年と半年だ」

「不吉なこと自分で言っちまった……万が一、二浪したら、二年と半年だな」

「何言ってるの、二浪したら、ずっと一緒だよ?」

「なんでだ」

「だって、そうなったらわたしは兄貴と一緒の大学に行くんだから」

「……お前が現役で入れるかの方が、問題になるんじゃないか? その場合」


 こいつが抱えている感情の大半なら、俺にもわかる。


 不安と寂しさ。


 今まで当たり前のように自分のそばにいた親しい人が、突然居なくなることへの。


 寂しがり屋で泣き虫だった小さい頃のこいつを思い出す。泣き虫はさすがに最近影を潜めたが、寂しがり屋な面は、思い出したように顔を出すときも稀によくある。


 まあ、もちろんそれだけではないだろう、感情としては。たくさんのフレーバーを組み合わせてできた、ドクターペッパーみたいなもんだ。

 複雑怪奇な味。


「それは盲点でした」

「……というよりだな。もし同じ大学に通うとしたら、俺と一緒に住む気なわけ?」

「当たり前でしょ。家賃は浮くし、ボディーガードにもなってくれるし」

「まあ確かに。女の一人暮らしは何かと物騒だしな。オヤジやおふくろは安心するかも」

「でしょー? こんな美少女がひとりで暮らしてたら、ゴーカンマホイホイになっちゃうよ」

「もがっ」


 酸素がのどにつかえた。カマドウマじゃねえよな。ゴーカンマだよな。いや、一緒にしたらカマドウマに怒られそうだ。


「げほげほげほっ! ……おまえな」

「だから、そうなる前の兄貴。撃退してくれるでしょ?」

「……潰して燃やすぞ、そんな奴」


 そんなゴキブリ、いやカマドウマ、スリッパで叩くだけじゃ飽きたらんぞ。


「いやいやいや、サツジンはまずいから。身内から犯罪者出したくないから」

「……まあそうなりそうならおまえが止めろ」

「もちろん。だからギブアンドテイクだよ」

「おう」


 ……どこがギブアンドテイクなのだろう。


 言いくるめられた感がハンパないが、まあこいつに勝てるわけがないのだ。負けてさわやか。うんそれでいい。


 そんな会話をしてるうちに、あっという間に我が家に到着した。


 ――――のだが。


 何を思ったか妹は、俺の手を引っ張って家の前を素通りした。


「兄貴。コンビニ寄ってかない?」


 今日はなんの予定もない俺は、その提案に乗った。


―・―・―・―・―・―・―


「なんかさー、コンビニでいつでもアメリカンドッグ食べられるのって、お得感あると思わない?」


 揚げたてのアメリカンドッグをコンビニで購入して、店外に出るなり即パクつく妹が、そんな同意を求めてきた。


「どんなお得感だ」

「お祭り気分の」

「……まあ、アメリカンドッグって、子供の頃は縁日とか祭りくらいでしか食べなかったよな」

「でしょー? なんとなくお祭り気分になれるコンビニグルメスタートですわ」

「おまえは……明日からほっかむりしてコンビニに買い物にくるつもりか」

「あはは。まあ、なんとなく兄貴と食べたかったの」


 俺の手にもなぜかアメリカンドッグが一本。


 そういや、小さい頃に一緒に行った、夏に近くの神社で開催されるお祭りで、こいつにこれを買ってあげた記憶がある。


「……どうしたの兄貴。食べないの?」

「ん、ああ」


 兄妹で並んで、一緒にアメリカンドッグを食べ歩く。行儀が悪いのは承知の上だ。


「なんか昔のお祭りで、同じようなことした記憶がよみがえったわ」

「……そんなことあったっけ」


 妹が素っ気ないふりをして反応してきた。


「ああ。確かあの時は……」



 あの時は、確かこいつが、買ったばかりのアメリカンドッグを落っことして。


『三秒ルール!』とか言い出して拾って食べようとしたから、俺が止めたんだよな。


 そして――――



「あっ」


 思い出を懐かしんでいたその時。隣を歩いていた妹が声を上げて、俺は現実に戻った。


 食べ歩きしていたため注意が足りなかった妹が、道路の小石につまづいて、そのせいで半分しか食べていないアメリカンドッグを落としてしまったのだ。


「あちゃー……やっちゃった」

「おう……もったいねえな」

「五秒以内なら大丈夫! まだいける!」

「やめろバカ」


 しかも昔より二秒増えてる。


「うー……うー……」


 アメリカンドッグを最後まで食べられなくて、不機嫌にうなる妹。おあずけ食らった犬かよ。


「はは。まったく、しょうがねえな。あの時と同じじゃねえか……ほれ」

「およ?…………あっ……」


 俺が食べかけのアメリカンドッグを妹に差し出すと、妹は真っ赤になりとまどいつつも、それを受け取った。


 こいつの照れ顔、久しぶりに見たな。


「……ありがと、兄貴」

「ほんと、昔から変わらねえな。俺たち」


 そうだ。


 いつかは大人にならなければならない。こいつとも離れる日がきっとくる。


 でも、今は子供でいいじゃないか。


 やりたいことが見つからないまま大人になるより、やりたいことがある子供のほうがずっといい。


 とりあえず、やりたいことはひとつ見つかったし、な。



「なあ、提案があるんだが」

「はいな。遠慮なくプリーズ」


 妹はそう言いつつ、譲り受けたアメリカンドッグを堪能している。じゃあお言葉に甘えよう。


「今年は、夏祭りに行こうか。一緒に」

「…………!! ……うん!」


 提案が予想外だったのか、しばらく妹はぽかんとしていたが、その後、不安や寂しさが消えた笑顔になった気がする。誘ってよかった。



 まずは、今やりたいことをやっていこう。

 そうすれば、きっとまた何かが見つかるはずだ。




「……今年のお祭りも思い出作ろうね、お兄ちゃん」

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