優しい世界

妹の友人たち

「ただいま。……ん?」


 オヤジの四十九日も無事済んで、十二月へのカウントダウンが始まる秋の終わりの夕刻。

 いつも通りに我が家に帰宅し、玄関のドアを開けると、見慣れない靴が三足ほどあった。大きさからして女物だ。


「……友達が来てるのか? 珍しい」


 リビングから笑い声が聞こえる。よくよく考えたら、高校に入学してから初めてだよな、妹が友達連れてくるのは。


 じゃまするのも野暮だと思い、部屋に閉じこもろうとしたら、よせばいいのに気づいた妹が話しかけてきた。


「あ、兄貴、おかえりー」


 友達らしき三人も一斉に振り向く。女子高校生が四人いるリビング……まあなんと贅沢な風景だろうか。


「はじめましてー!」

「おじゃましてます」

「ごきげんよう」


 お客人三人に挨拶され、俺は無言で軽く会釈をする。


「あ、兄貴、紹介するね。右から、みかっぱちゃん、マキちゃん、ディーちゃん」


 聞いてもいないのに、妹が紹介を始めた。……あだ名で紹介かよ。


神山美佳かみやまみかでーす。よろしくお願いしまーす」


 ……やや色の抜けた茶色のショートカットで、天真爛漫そうな女の子だな。


星野真希ほしのまきです。何度か対面はしてますよね、お兄さん」


 こちらは編み込みをした長めの髪に、左の泣きぼくろが印象的な女の子だ。


大門瑠璃だいもんるりと申します。どうぞお見知りおきを」


 お、なんかお嬢様っぽい。ふんわりとウェーブのかかった髪と、やや細い目の笑顔が上品な女の子だ。


 みんな違ってみんないい、か。名言だわ。

 真希さんだけは名前そのままか……ああ、以前昇降口で妹と一緒にいたところを見ているな。そう言えば。

 で、美佳さんがみかっぱちゃんで、瑠璃さんがディーちゃん、と。二人とも、どこかで見たような気がしないでもない。話すのは初めてだが。


「……すみれの兄です。よろしく」


 特に個人情報は必要ないだろうと割愛したが、美佳さんが予想外の返しをしてきた。


「存在は有名ですよー、将吾しょうごお兄さん。むふー」

「……へっ?」


 思わず間抜けな声が出た。自分で言うのもなんだが、俺はまったく目立たない人間だと思うのだがなぜに。


「すみれちゃんのブラコンは有名ですから……」

「そうですわね。『兄貴を超えてから、出直してきて!』と、サッカー部の次期エースを一刀両断にしたあの告白お断り文句は、今でも語り草になってますし」

「そのあとのお兄さんの武勇伝も、みーんな知ってますよー」

「ちょ、ちょっと!」


 三人の怒涛の攻め言葉に妹が慌てる。俺の知らないところでいったい何があったのやら……いやちょっと待て、武勇伝ってアレのことか。これも黒歴史だわな……


「ふふ、わたくしと美佳さんに変なあだ名を付けたお返しが、やっとできますわね」


 瑠璃さんが頬に手の甲を当て、上品に怪しく笑う。この子は育ちがいいのだろうか。言葉遣いも仕草も上品である。


「……ヘンなあだ名? おまえ、相変わらずだな……」


 妹のあだ名をつける能力は、残念な意味で立派だ。なんせ、隣の田中兄弟に付けたあだ名が『一号』『二号』だからな。それを街中ですれ違ったときに言われたらビビるわ。


「えー、ディーちゃんはもうイニシャルからしてこれしかないでしょ? 実家も実家だし」

「……実家?」

「ディーちゃんの家はね、お豆腐屋さんなんだよ!」


 ……ああ、走り屋のアレか。今どきの女子高生がよく知ってるな……って、こいつは俺の部屋にあるマンガ読んでたんだった。


「……ん? ひょっとして、『大門とうふ店』の……?」

「あら、ご存知でしたのね、お兄様は」

「そりゃ知ってるよ。あそこの豆腐を食べたら、他の店の豆腐なんか水だ水。身がしまってて食べごたえあるし」

「ふふ、ありがとうございます。今後ともどうぞご贔屓に」


 穏やかな微笑みとともに、瑠璃さんが軽く礼をする。……すげえ、このセレブ感。豆腐屋ってすごく儲かるんだな。だが、瑠璃ちゃんって呼んでも、ディーちゃんって読んでも、長さ変わらなくないか?


「……で、美佳さんのあだ名はなぜに?」

「みかっぱちゃんはね、水泳部の期待の一年生なんだよ!」

「へぇ、水泳部。……って、顧問がオザコーじゃないか」

「はい、小沢公一おざわこういち先生が顧問でーす!」

「兄貴の担任だよね」


 オザコー先生は、担任でもあり、俺が化学好きになるきっかけを与えてくれた化学の教師だ。おもしろいんだよ、授業が。

 ……でも、化学担当教師がなぜ水泳部顧問をやってるのか、理由はわからない。


「でね、みかっぱちゃんは中学時代は県記録も持ってたくらい、筋金入りのスイマー!」


 ああ……泳ぐのが得意だから、そのあだ名か。こいつにしてはひねりがない。


「だからしょっちゅう泳いでて、『頭皮にプールの塩素ってよくないよね。ハゲたらどうしよう』って気にしてたから、そうしたらカッパみたいになっちゃうね、ってことで、みかっぱ!」


 ……と思ったら、もっとひどい理由だった。しかも本名より長くなってる、こっちは。


「……美佳さん、すまない。こんな妹で」

「いーえ、もうあきらめました。慣れれば愛着すらわいてきますから、気にしてませーん!」


 テンションの高い妹をスルーし、俺は美佳さんに謝罪した。妹の不手際は兄の責任。土下座すべきか悩んだが、美佳さんは気にしてなさそうなのでやめておこう。


「……で、真希さんだけはノーマルなわけは?」

「「…………」」


 俺が問いかけると、美佳さんと瑠璃さんが黙ってしまった。……はて。


「……マキちゃんはね、畏れ多いからそのまま」

「は?」

「マキちゃんは、全国統一模試で、なんと全国七位の恐るべき才女なんだよ! もちろんうちの学年不動の一位!」

「……へぇ……ってそりゃすごいな……」


 妹の解説を受け、真希さんが右手を自分の顔の前で左右に振る。


「いえ、たまたまです……でもお兄さんも学年一桁順位を常にキープしてるじゃないですか……」

「よく知ってるな。でも、全国ヒトケタ順位の人に言われてもねえ…………って、なるほど。畏れ多いの意味が分かったわ」


 美佳さん、瑠璃さん、妹の三人が一瞬びくっとした。


「……真希さんを怒らせたら、勉強を教えてもらえないとか、課題を写させてもらえないとか、そのあたりだろ」


 三人とも顔から冷や汗を流している。どうやら当たりらしい。このあたりにヒエラルキー頂点と底辺の差が……

 うちの高校、名目上は県下有数の進学校だったはずだが、入って一年も経たずにこの格差。諸行無常、盛者必衰。


「数学の追試克服できたのは、マキちゃんのおかげだし……本当にわたしはマキちゃんに頭が上がらないよ……」

「……そうだな。確かに」


 俺は、妹の言葉にすぐさま相づちを打った。真希さんがいなかったら、夏休みの思い出もなかったかもしれない……なんて。


「すみれちゃんが頑張ったからで、わたしは何もしてないよ……ん、でも、わたしだけあだ名がないっていうのも、何となくさみしいかな……」


 真希さんがしみじみとそうつぶやくのを聞いて、ほかの三人の目がキラーンと輝く。……あーあ、墓穴にならなきゃいいけど……


「じゃあ、今日はこれから『マキちゃんのあだ名を考える会』開催しよう!」

「さんせーい」

「異議はありませんわ」


 予想通りの展開に、思わず俺が苦笑い。……ま、いいか。なんだかんだで四人とも楽しそうだ。

 女三人寄れば姦(かしま)しい、四人寄れば残念で姦しい、だからな。


 俺は考えるのをやめて、自分の部屋へと下がった。


―・―・―・―・―・―・―


 しばらくして、俺の部屋に、扉を三回ノックする音が響いた。


「……どうぞ」


 許可を出すと、俺の机の脇まで進んできた妹が申し訳なさそうに状況を告げる。


「ごめんね兄貴。みんな帰ったから」


 別に言いにこなくても良いのだが、気を遣ってくれたのだろうか。


「……ん。良い友達だな、みんな」

「うん! みんな、大事な友達」


 気遣いに応えるような問いかけに、笑顔で即答してくる妹。良い友達に囲まれてるみたいで、兄としても一安心だ。


「……で、真希さんのあだ名は決まったのか?」

「ううん、結局決まらなかったよ。わたしは“ジュワちゃん”というのを推したんだけど、ほかの人たちに却下された」


 どういう理由でそのあだ名をつけようとしたのか理解に苦しむんだが……そこにツッコミ入れたら負けのような気がする。我慢我慢。


「まあそれはいい。……しかし、おまえが友達を連れてきたのは、高校に入学してから初めてだよな」

「うん。なにも言わなかったけど、たぶんみんな心配してきてくれたんだ。……感謝してる」

「……そうか」


 いろいろあったからか……でも、本当にありがたいことだ。こいつのまわりには、優しさがあふれている。


「みんな、兄貴によろしくだって」

「おう。そうそう会う機会はないだろうが……おまえがぼっちでないことはわかった」

「当たり前だよ!」


 ぼっちでないときっぱり言い切る妹。こいつは、これだけ容姿が目立つのに、なぜか周囲の妬みなどからは縁遠い。たぶん、性格のせいだろう。……蔑(さげす)みはあるかもしれない、残念だから。


「……そうだな。おまえがぼっちになるときは、おまえ以外に人類が全滅するか、おまえが強くそれを望んだときのどちらかしかないだろうから」

「…………どういう意味?」

「要するに、自慢の妹、ってことだ」


 わざと面倒くさい言い回しをして、妹の頭を軽く撫でる。しばらく無言でされるがままの妹だった……が。


「…………でもね」

「ん?」


 ピキーン。


 突然変わる雰囲気。と同時に、両手を上から重ねてきて、俺の手は押さえつけられてしまう。手のひらの熱は伝わってくるのに、なぜか冷たく思えて仕方がない。


「……たとえ、わたしが孤独を強く望んだとしても、絶対にわたしから離れないひとは、たぶん……すぐ近くに……いるよ?」


 凄みすら感じる笑みとともに、妹はそう言ってきた。……ああ、目のハイライトが消えている。

 アドリブに弱い俺は、なんと返していいかわからず言葉に詰まった。


「………………」

「…………そうだよね?」


 じれてきたのか、力を込めて念を押してきた妹の手の感触に、俺の冷や汗もだだ漏れ。

 ……なんだ、この雪崩が起きる前の雪山のような寒気と緊張感は……


「…………ああ」


 必死で振り絞った二文字の言葉が、妹の手を魔法のように柔らかくしたので、ようやく安堵する俺。……呑まれている、こいつに。


「……ん。なら……安心した」


 俺の手を解放して、妹は去っていく。


 だが、部屋を出る前にこちらを一瞥し、冷たい声でつぶやいたセリフは、俺の耳にもはっきり届いた。


「わたしを……裏切らないよね、お兄ちゃん……? 逃げ場は……ないよ?」

「…………」


 裏切るわけないだろう……とすら発することもできず、俺はヘビに睨まれたカエルのように固まるだけだった。




 ……のだが。


―・―・―・―・―・―・―


「……えーと、みんなにすすめられて、お兄ちゃんが逃げられないよう威圧感出したはいいけど……こんな感じでよかったのかな? ドン引きしてたりして……」

「ひとりごとは自分の部屋に戻ってからの方がいいぞ。丸聞こえだわ」

「?!」

「前言撤回。おまえの友達、悪友って言葉がピッタリだ。あと、おまえ本当に演技上手くなったな。ゾッとしたよマジで」

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