妹はご機嫌斜め
それは、五月だった。
「わたしは〜、太った〜♪」
風呂から上がってくるなり、いきなり妹が歌い始めた。なんだなんだ。
「肉まんが脂肪になって〜、地面が割れるくらい〜♪ 作詞作曲、わたし!」
妹よ、内容が寒い。
「なんだ、太ったのか、おまえ」
「ん。ここのところ肉まんとかアメリカンドッグとか肉まんとか食べ過ぎた。もう来週には衣替えなのに、どーしよ」
こいつの大好物のひとつがジャンクフードだ。コンビニで今は年中買えるしな。
「どのあたりが太ったのか特定できない」
「おなかまわりがヤバい。つまむとわかる」
「どれ」
「つまんだら、舌噛むよ?」
命まで賭けて拒否られた。
「……外から見ると全くわからないんだが」
「だからといって、乙女の柔肌を触らせろというのはねえ」
そんなところだけこいつに一般常識があるとは。
「無理にやせなくたっていいと思うがな」
「わたしの性格的に、どこかで自制しないと絶対に際限なくなるから」
「ほっとくと肉まん三つも四つも食うもんな、おまえ」
「肉まんの魅力には抗えない。誘惑の肉まんは〜、勝てるものがいない〜♪」
まだ続いてたのか、歌。
「好きにするがよい。太ろうがやせようが」
「ふーん。……兄貴は、どっちがお好み?」
「え」
そう言われて気づいた。俺は、そのあたりにあまりこだわりはない。
「――特にないな。どちらでも別に嫌いじゃない。極端に太ったりやせたりしてるのはちょっと遠慮したいが」
「そうなの?」
「うむ。だが、女子は少しくらいぽよぽよしていたほうが魅力的な気もする」
「……ふ、ふーん」
「やっぱさ、柔らかいじゃん、女子って。いろいろと」
「………………」
「………………」
「……女子、いろいろ触ったことあるの?」
「いや、おま……」
……ちょっと待て俺。おまえのことを基準にして、なんて言ったら舌噛まれるかもしれん。変態兄貴にならないようごまかそう。
「……いや、一般論としてだな……」
「…………………………ふーん」
――その後、妹がグレました。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「……こんな時期に妹の反抗期がくるとは」
朝、会話どころか、視線すら合わせてくれなかった妹。どこの選択肢を間違えたのだろう。理由が不明だ。
まあ、年頃だからな。そういうこともたまにはあってもおかしくないのかもしれない。
「ひとりで登校するのも久しぶりだな……」
進路の話を両親としたあたりから、登校時、妹は言わなくても一緒についてきていた。それが、今日はいない。隣に。
寂しいような複雑な感情がわき上がる。うまく表現できない。ボキャブラリー増やさないと。
「……俺が、妹離れできなかったりして」
当たり前の日常にあいつがいない、それだけでこんな気分になるのか。今更だな。
なんとなく、通学路が長く感じられた。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
妹の反抗期は帰宅しても絶賛継続中。晩飯のときも、視線すら合わせてもらえない。
「……可愛い可愛い妹よ、お兄ちゃんに醤油取ってくれないか」
「……つーん」
「…………」
「つーん」
おい、口で言うな。
オヤジとおふくろが『喧嘩でもしたの?珍しい』と心配してきた。普段が普段だけに、そう思って当然といえば当然だが。
「ははは……まあそんなとこ」
「……つーん」
だめだこりゃ。醤油は使わず、素材の風味を大事にしよう。……味がない。
何を食べたかすら記憶に残っていないが、晩飯タイムも終了。
あとは風呂に入って寝るくらいしかする事がない夜中。俺はテレビを見ながら、風呂順待ちをしていた。
だが……妹が、いつまでたっても風呂から出てこない。
最初はダイエットのために長風呂してるのかとも思ったが、さすがに一時間は長すぎだろう。
「……おふくろ。妹が風呂から出てこないんだけど。のぼせてるかもしれないから、見に行った方がいいかも」
俺にそう言われて風呂場を見に行ったおふくろは、倒れてる妹を発見、無事保護した。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「……ん?」
「ようやく気づいたか。まったく、のぼせるまで風呂に入ってるなよ」
「……ああ、わたし、風呂からあがろうとして、立ったらクラッときて……」
「倒れ方が悪かったら命に関わるんだからな。気をつけろ」
「……ごめんなさい」
あれから俺は、意識のない妹を抱きかかえてこいつの部屋まで連れてきた。一応気づくまで様子をうかがっていたが、一安心。
「ダイエットなんて必要ないんだから、無理なことはするな」
「うん……」
素直なのはこいつのいいところだ。繰り返さないよう念を押す。
「……ところで、兄貴が助けてくれたの? ……見た?全部」
「いや、おふくろが発見した。俺はおまえをここまで運んできただけ」
舌を噛まれないように、事実を伝える。
「そう……別に兄貴なら、見られても平気だけどね。運んでくれてありがと」
腹をつまむのはNGで、全裸見られるのはOKとは、妹心は複雑すぎてわかんねぇ。おかしいな、俺って妹心のスペシャリストなはずなんだが。
「…………」
「…………」
お互いに沈黙。
また『つーん』とかされるとややこしくなりそうだから、そろそろ退散しようかと思って、座っていたベッドから立ち上がろうとすると。
「…………重かったでしょ」
妹が小声でそう言ってきた。気にしてるのか、阿呆。
「いや、全然」
「嘘だ」
「ほんとだっての。柔らかかっただけ」
「………………」
妹の顔の赤みが増した気がする。まだのぼせが引かないのかね。氷水でも持ってくるか。
そう思い、再度ベッドから立ち上がろうとすると、今度は妹に抱きつかれて押し倒された。
妹相手じゃなきゃ事案だわこれ。
「……誰と比べて?」
「……はい?」
「だから、誰と比べて柔らかかったの? って聞いてるの」
やはりのぼせててちょっと変なのかもしれないな、こいつは。
「他とは比べようがないな。俺はおまえの柔らかさしか知らないから」
「………………」
「………………」
少しの沈黙のあと、なぜか妹の抱きつく力が強くなった。
「……あはははは。あー、バカみたい、わたし」
「???」
なんだろう、わけがわからない。でも妹が満面の笑みを浮かべた。
「……そうだよね、冷静に考えたら、兄貴がそんなにモテるわけないし」
「おい言い方」
――――ま、いっか。俺は考えるのをやめた。
「……このまま一緒に寝ちゃう?」
「暑苦しいので勘弁してくれ」
「ムードないー。ま、仕方ないよね」
こいつが笑顔になるように考えるのが俺の役目だ。笑顔のときは何も考えず、一緒に笑えばいいだけだもんな。
笑顔があればムードなんていらない。
「……わたしの柔らかさ、ずっとおぼえていてね。お兄ちゃん……」
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