Relaunch
一夜明け、妹の入院先の病院、一階。
俺は気が重かった。自分のことですら解決できてないのに。だが、おふくろもそうそう仕事を休んでいられない。仕方なく、必要な荷物を届けるために来たのだが。
入口を通り、階段を上がろうとして、待合室を一瞥すると……なにやら知った顔の二人がいることに気づく。
生徒会副会長と、その妹、
あまりの偶然に、つい近づいて声をかけてしまう。
「……どうしたんだ、そのケガは」
不意打ちで声をかけられた西野兄妹は、びっくりしながら俺を凝視してきた。
「……将吾先輩……」
二人とも、事故にあったようなケガにも見えない。美月は俺に何か言いたそうにしていたが、診察室から呼び出され、口を開かないままそちらへ消えていった。
俺は、副会長の隣に座り、ストレートに尋ねることにした。
「何かあったのか?」
「……
「贖罪?」
「はい。美月が迷惑をかけた方々に……謝って回ってきました」
――――なるほど。ガラの悪い奴ら相手にも、無抵抗だったのなら、このケガも納得だ。
「……大変だったろう」
「ええ。罵倒されたり、物を投げつけられたり、袋叩きにされたり。でも、一番大事なものは守れた、そんな満足感が今の僕にはあるんです」
「一番、大事な……?」
「はい。たぶん――――美月の、心を」
傷だらけの顔で笑う副会長を見て、今の自分のふがいなさを知る。そんな俺の心の中など知らずに、言葉を続けるもう一人の兄。
「少なくとも、美月の心が歪みきってしまう前に、僕は兄としてそれを守れたんじゃないかな、そんなふうに思えて」
「………………」
「はは、もともとは、僕のせいで美月の心が歪みはじめちゃったんだから、当たり前のことなんですけど……」
「……そんなことはない。尊敬する」
皮肉でもなんでもない本心を伝えると、副会長は安堵したと同時に、決意を伝えるようにはっきりと言葉を紡いできた。
「ありがとうございます。きっと……将吾先輩とすみれさんみたいに、なりたかったんです。僕は」
「……どういうことだ?」
「あなたたち兄妹を見ていると、恋人との絆より兄妹の絆が劣るとは思えない、って」
「…………」
「むしろ、将吾先輩たちは、『兄妹だから一緒にいる』んじゃなくて、『ずっと一緒にいるために兄妹に生まれた』、とすら思えるんですよ」
「!!」
「だから、僕と美月も、そう思えるような関係になろう、って。僕にとって、替えのきかない、大事な妹ですからね」
「………………」
「未練たらしい僕でも、やっとあきらめがつきました。僕もきっと、歪んでいたんですね……僕をずっと見てくれていた妹を、これからは大事にしていこうと思います」
副会長の言葉に完全ノックアウトされた。
『兄妹じゃなかったら、恋人になれたかもしれない』
きっと、そう思ってしまっては、運命の悪戯だ、兄妹の絆は。
だが、『ずっと一緒にいるために、兄妹に生まれた』のならば――――それは、運命による必然。
なにを迷うことがあるか。俺たちの絆は、恋人同士のそれに劣るわけじゃない。
それに、『ローマの休日』とは、決定的に違うことがある。――――俺たちは、たとえ結ばれることはなくても、一緒にいられるんだ。望めば、ずっと。
歪んでいたのは、兄妹の絆ではなく、俺の心だ。ありのままを大事にすらしなかった。このままでは、本当に兄失格になってしまう。
「あ、美月、大丈夫だったか?」
副会長が、そのとき診察室から出てきた美月に声をかけた。俺が放心状態になっていることは気づかれなかったようだ。
「あ、あの……」
近くまで寄って、美月が話しかけてきたその時、俺はやっと我に返った。顔を引き締めて向き直ると……目に入ってきたのは、美月のつむじ。
「……どうした。いきなり」
「迷惑かけてごめんなさい! 今更謝っても許されないかもしれないけど、それでもごめんなさい!」
「…………」
「わたしには、謝ることしかできないから……気が済まないなら、殴ってもいいから……」
涙目になりながら、ペコペコと必死に謝ってくる美月を見て、この子は本当は素直な子なんだな、と理解した。ならば、許さない道理などない。
「もう怒ってねえよ。二度と、あんなことするなよ」
「! …………はい!」
美月は、笑いながら泣き出した。傍らで、美月の頭を撫でる副会長も穏やかな笑顔だ。
この兄妹のようになりたい。そう思うくらいに、誰の目にも優しく映る、そんなワンシーンだった。
――――俺たちも、まわりから見ると、この二人のようだったのだろうか。もしそうなら、取り戻したい。妹の笑顔を。
「……美月ちゃん、大丈夫?」
「
「うん、心配だったから……あの人たちは、兄さんと
俺がそんなことを考えている間に、ちょっと幼く見えるセミロングの髪型をした女の子が、美月へ心配そうに寄ってきた。どうやら美月の友達か。
「香織ちゃんの友達なら、助けないわけにいかないよね。ね、
「ああ。しかも、あいつら確か『ブルーシャドウ』の元メンバーだからな。壊滅させたのにまた悪さしやがって」
わりと体格のよい男子と、ポニーテールが快活そうな印象を与えてくる女子が、その後ろにいる。
美月たちを救ったのは、彼ららしいな。どこかで見たような気もする二人だが……高校の後輩だったか。
少しにぎやかになってきたようなので、退散しようと席を立った俺は、あることに気づき、副会長へ問いかけをした。
「そういや……名前を聞いてなかったな」
「あ、そうでしたね。
「ん。……じゃあな、功貴。お大事に。そして、ありがとう」
謝罪を受け取った俺は、右手を挙げて、功貴の方を見ずに立ち去る。彼はなぜ礼を言われたのか、果たしてわかっただろうか。
「西野先輩、あの人は?」
「一年D組の、倉橋さんのお兄さんだよ」
「えー、すみれちゃんの!?」
微かに聞こえる素性バレ会話に肩を軽くすくめながら、俺は気合いを入れ直して、妹の病室へと向かうことにした。足取りも軽く。
――――きっと、取り戻せる。いや、取り戻してやる。
―・―・―・―・―・―・―
妹の病室に、ノック三回。返事もないうちに、ドアを開けて中へ。
妹は予想外の訪問者だ、といわんばかりに目を見開いてこちらに向けたが、俺は左手にもった荷物を掲げると、納得したような表情になった。
俺はベッド脇に備えてあった椅子に座り、持ってきた荷物をベッドの下に押し込む。
「……別に、そんなに急いで荷物持ってくる必要なんてないのに」
「ヒマだったからな」
「わたしの…………せいでね」
「そんなことは……」
「お兄ちゃんと同じ道を歩もうとして、後ろから足を引っ張って、お兄ちゃんを転ばせちゃったんだよ、わたしは」
「……おまえのせいじゃない」
「そんなわけない。肝心なところで足を引っ張った、妹失格なわたしなんかに、優しくしないで。よけいにつらくなるから」
今にも泣き出しそうな妹の、このセリフで確信した。――ああ、こいつも歪みかけている。このままでは、壊れてしまう。俺もこいつも、兄妹の絆も。
だが、それがわかっていても、なんと言えばいいのか、考えがまとまらない。勢いが中途半端なせいか、肝心なところでボキャブラリー不足が露呈してしまった。
「…………」
「ねえ、つらいよ……つらいんだよ。いっそのこと、怒ってよ。『おまえなんか妹失格だ!』って、怒鳴ってよ。優しいままだと、わたし、一生自分を許せないよ……」
沈黙という針のムシロに耐えかねたのか、心境を吐露して、罵声を要求してきた妹の声は、ただただ
今まで見たことのない、絶望的な顔をしたこいつに対して、『なぜわからないんだ』と――別の意味で怒りがわいてくる。
「……わかった。怒る」
「……ぐすっ、うん……うぇぇ」
“怒る”宣言で、勢いが最高潮になった。怒りのパワーはおそろしい。
――――もうヤケだ。すでに泣いているこいつに、表面ばかり取り繕う意味はない。ありのままを伝えよう。
俺はそう腹をくくった。そして、大きく息を吸い込む。
「なにが妹失格だ、ばかやろう! おまえ以外の妹なんていらねえんだよ!」
「……え?」
「小さい頃からずっとつきまといやがって。いつの間にか俺の中に入り込んで来やがって。いつの間にか誰よりも大事な存在になりやがって」
「…………」
「さんざん俺を振り回したあげく、『妹失格』だぁ? ふざけんなよ、俺をもてあそんで捨てるつもりか、このやろう!」
「……そ、そんなつもりは……」
「俺を、おまえなしではいられなくした責任はきちんととれ! それがいやなら、おまえにケガさせた俺を兄失格にしろ、わかったか!」
一気に言ってしまったせいで息切れした。呼吸を整えて少し落ち着こう。
腹をくくったせいか、かなり乱暴な言葉になった上に、内容が……ああもう、認めてやるよ。プロポーズみたいになっちまった。
「………………」
「………………」
妹が混乱しているのが見てとれる。当たり前だ、言った本人ですら混乱しているんだから。顔が赤いのわかるし。
「……それって」
「………………」
「きっとわたし、お兄ちゃんの足を引っ張りまくるよ……?」
「生きててくれりゃ、それでいい」
「わたしは、お兄ちゃんの未来を、壊しちゃったんだよ?」
「俺も、お前に傷痕を残させた。おあいこだ」
「傷なんていつか治るよ! でも、お兄ちゃんの行く道を変えちゃったことは、取り返しがつかなくて……」
「……気にすることじゃない。俺がそのくらいでへこたれるわけねえだろ」
「…………えっ?」
「おまえが後ろからついてこれないような道を、俺はこれから行く予定だからな」
妹は、俺の言葉に唖然として、すぐさま青くなった。百面相久しぶりだな。
「……もう、お兄ちゃんとわたしの道は、別々になっちゃうの……?」
俺の後ろを当たり前についてきた、こいつらしい不安。だが、俺はおどけるように否定をする。
「阿呆。んなわけあるか。お互いに自分の道を進んでいっても、またすぐ交わるさ。だって俺たちは……」
「…………」
「一緒に生きるために、兄妹として、この世に生まれたんだからな」
「!!」
俺たちが兄妹に生まれた意味はそれしかないんだ。恋人になる必要なんてないんだ。だから……ずっと。
俺はそう言おうとして思いとどまった。言うまでもなく、たぶんこいつも理解してくれているはずだと確信したから。
「……お兄ちゃん、わがままなお願いがあります」
その証拠に、お願いをしてきた妹からは、ネガティブな感情が消えていた。
「……言ってみろ。聞くだけは聞いてやる」
「はい。……こんなわがままで、お兄ちゃんを振り回したあげく、人生を変えさせちゃうような、はた迷惑なわたしだけど……」
「…………」
「一生、お兄ちゃんの妹として……そばにいさせて、くれますか……?」
動かせる左手をこちらに伸ばして、一片の曇りなく笑う。俺は、抱きしめる代わりに、その手を掴む。
手が触れた瞬間、俺を見たまま、涙をこぼす妹をあやすように、お互いの手の指を、白くなるほどに力強く組み続けた。
――――これは、誓いだ。恋人より価値のある、兄妹としての、
俺は取り戻したぞ、妹の笑顔を。
「これ、夢じゃないよね……だって、お兄ちゃんの手、暖かいもん……」
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